先日Twitterのタイムラインで拝見した、とらねこ285氏(@toraneko285)のツイート。
会議通訳の資料を会議開催日のギリギリになってどっさり送ってくるのはまさに「あるある」なんだけど、どうにかならないのだろうか。日本語を聞いて中国語に訳すのに、前日の午後に英語の資料を大量に寄越すとか本当に勘弁してほしい。通訳がうまくいかない=発言が十分に伝わらない、ってことですよ!
— とらねこ285 (@toraneko285) July 30, 2018
通訳という「作業」を利用するのは、ある言語で話した自分の言葉を違う言語で聞き手に届けてもらうためです。ちょっと考えれば、違う言語の方の耳に最終的に届く言葉は通訳者さんが話している言葉なので、その通訳者さんに最大のサポートをしてこそ自分の言いたいこともより伝わる……はずなのにそう考えない方が多いのは本当に謎です。
具体的には、話す際に使用する資料やパワーポイントなどのスライド、発表原稿や出席者の名簿、さらにはその発言が行われる背景についての知識など(交渉などの場合にはどんな戦略や隠れた意図があるのかなどまで)、とにかく最大限通訳者に伝えてこそ発言者である自らの利に適うことになります。
もちろんその辺の事情をよく御存知で、通訳者に対して最大限「まえびろ」で資料などを提供し、必要に応じてブリーフィングやレクチャーを行ってくださるクライアントもいる……んですけど、実際には私が以前ツイートしたような状況が、通訳者のみなさんから「あるある!」と言われてしまうような状況が多いのです。
いっけなーい🔪殺意殺意💦私中国語通訳者👨🏻💻本番二日前に届いた資料が全部英語😅当日ブリーフィング中に中国側事務方が「そんなの放っておいてランチ行きましょ」🍱開会挨拶原稿なしのはずが登壇者内ポケットから取り出し高速読み上げ🎤次回、講演始まったらパワポ全差し替え判明💀お楽しみに❤️
— 徳久圭 (@QianChong) June 18, 2018
こうなるともう、わざと相手に伝えないようにしているんじゃないか、通訳者に何か恨みでもあるんじゃないか、などと思ってしまいますが、もちろんそうではありません。端的に言って、通訳という「作業」についての正確な認識がないために、通訳者に情報を提供しないことがどういう結果をもたらすかについて想像が働かないのです。
しかし通訳とはもともと多少の「無理筋」を内包した営みです。業界の専門家ばかりが集まる会議で、専門家同士でさえまだ共通の知見が得られていない事柄について話す(だからわざわざ国際会議をやるのです)場面で、通訳者だけがひとり門外漢であるにもかかわらず、その門外漢が一番前に出て二つの言葉で瞬時に専門的な内容をやりとりする……という、この「無理筋感」をご想像いただけるでしょうか。
巧婦難為無米炊──ひとりだけ門外漢の苦衷
https://haken.issjp.com/articles/careers/ke_tokuhisa_09
わたしは上で「ちょっと考えれば(分かるじゃん)」と書きましたが、いや、そうではない。分からないのですね。そも言語とは何か、母語や外語とは何か、言語が異なる人々との交流すなわち「異文化(異言語)コミュニケーション」とは何か、という包括的なリテラシー教育の必要を感じます。
昨今は「グローバル化」のバスに乗り遅れるなとばかり、朝野をあげて小学校から英語教育だとの声喧しいです。それぞれの言語の学習もけっこうですが、その前に、あるいはそれと平行して、「言語リテラシー」のような一般教養を発達段階に応じて身につけていくプログラムが必要ではないでしょうか。
それは言語の習得のみにとどまらず、多様性を認識し、認め合い、寛容と相互理解の精神を養うことなどにもつながると思います。