昨日Twitterのタイムラインで、私の恩師である「とらねこ285」老師のこのツイートを読んで驚きました。
日本人学生の繁体字アレルギーが甚だしい。クラスに台湾と香港の聴講生がいるので、先週、台湾の人が書いた繁体字の軽めのエッセイを教材として配った。日本人が「え? 繁体字⁉︎」とざわつき、難易度が低い文章にもかかわらず、今日は日本人学生の半数以上が授業に来なかった。びっくり。
— とらねこ285 (@toraneko285) 2018年10月17日
えええ、どうして? 中国語の簡体字(かんたいじ/简体字)と繁体字(はんたいじ/繁體字)*1のどちらにもなじんでおいた方が、学習や研究の面でも仕事や生活の面でも未来が広がるのに、不思議です。でも、そういえば以前、翻訳のエージェントさんからも「繁体字の文章なのでほかの翻訳者(日本語母語の方)に断られてしまいまして……」と私に仕事が回ってきたことが何度かあります。
日本における中国語教育は、戦後の歴史的な経緯もあってこれはもう圧倒的に「北京一辺倒」です。というわけで現在の中華人民共和国で正式な字体とされている簡体字を使って中国語を学ぶ方がこれも圧倒的に多い。かくいう私も最初は簡体字で学びました。
まあ初中級段階ではどちらかに絞って覚え、その後もうひとつを……と学んでいくのがいいかとは思いますが、すでにその段階をこえたと思しき(だって台湾と香港の聴講生がいらっしゃるクラスで、軽めのエッセイを教材に学ばれているのですから)大学生さんがなぜ繁体字にアレルギー反応を示されるのでしょうか。
簡体字は私たち日本人にとってはかえって大胆かつシンプルなところが新鮮で面白いし、いっぽう繁体字は漢字が生まれた原初の呪術性みたいなのが残っているようで(ただの想像ですけど)これも面白いです。ちなみに私、以前にも書きましたが、いちばん好きな漢字は「亂」です。
どうですか、この左側の乱れっぷり。何ともこう、ただならぬ様子が伝わってくるではありませんか。カタカナで「ノツマムヌ」と読めちゃうところもただならない。京都で有名な中華料理の老舗「ハマムラ」のロゴマークみたいです。
http://www.hamamura-gr.com/index.html
複雑な左側に対して右側が「乚(つりばり)」だけってのもアンバランスでいいですね。擾乱・攪乱・霍乱・紊乱……いずれも現代の日本語や簡体字で採用されている「乱」ではものたりません。黒澤明監督のあの名作も『亂』だったらもっと戦乱っぽかったのに。もっとも、「乳」と勘違いする方が続出するかもしれませんが。
閑話休題。
でもこのツイートを拝見して、華人留学生にも似たような傾向があるなあと思いました。自分の生まれ育った地域以外の中国語(いずれも北京語・普通話*2ベース)を笑ったりアレルギー持ったり、あまつさえ「正しい中国語ではない」と言ったりする生徒さんが時折います。
さらには、中国語の先生にも。中国と台湾、つまり当事者自身がすでに「三通」などを実現してどんどん交流している段階になっても、「繁体字は正式な文字ではない」とか「私は台湾には行かない(行けない)」などと言っている中国語の先生がいるのです(実話。しかも比較的最近です)。
言語ナショナリズムはよくあることですし、語学教師が「無謬性」を追求するあまり視野狭窄に陥るというのもありがちなことですが、「全部取りすれば将来より広い方面に対応できる」とは思わない——とくに未来への進む方向が広く開かれている若い方々が——というのはなぜなのでしょうか。勉強や学習というものに割く努力やリソースは最小限にして、最大限の成果やリターンを得たいという気持ちが(意識しているかどうかは別にして)働いているのかな?
ちなみに、私が現在奉職している都内の某通訳学校では、伝統的に様々な地域の中国語を教材に用いています。もちろん北京語・普通話ベースの中国語ですが、「北京一辺倒」になることなく、北方の“儿化音*3”がふんだんに入った発言も、南方の“捲舌音*4”が弱い発言も、その他の訛りが入った発言もなるべくまんべんなく取り入れ、配付する資料も簡体字であったり繁体字であったりします。これは実際の現場に出たら「繁体字は苦手です」などと言っている場合じゃないので、訓練段階から馴染んでおこうという戦略。実はこれ、かつてこの学校の講師をしておられた上記の「とらねこ285」老師の時代から引き継がれている「伝統」なのです。
ともあれ、中国語を学ばれている日本の大学生さんも、日本に留学して通訳や翻訳を学ばれている華人のみなさんも、せっかく中国や台湾など「ナマな現地」からほどよく距離を置いた日本という「第三者的立場」にいるんだから、欲張って全部取りすればいいのにな、と思います。
ちなみに、こんな楽しい本もありますよ。