インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

NHK受信料は支払います

昨年の暮れに、東京新聞山田健太氏の寄稿を読みました。

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巷間かまびすしいNHK受信料の支払いの是非に関して、「極論すればNHKを見ても見なくても(中略)社会の公共財として、みんなで少しずつ負担して公共的なメディアを支えることで、民主主義の発展に寄与することをめざしている」と、山田氏はおっしゃいます。なるほどこういう視点があったのか、と目の前の視界が開けるような感覚を味わいました。もちろん、NHKがそういう付託に応えているかどうかは問われるわけですけど。

NHKの最近の報道には首を傾げる事が多い私ですが、それでも衛星契約の受信料を振り込んできました。正直に言って、「受信設備を設置しただけで契約をしなければならない」という放送法の主旨に疑問を感じないわけではありません。それでも「とはいえ見応えのある番組や好きな番組もあるし」「NHKにも心ある職員はいるはず。その人たちを応援しよう」などと自分を説得していたのです。でも、この山田氏の見解を読んでなるほどなと思った次第です。

最近のNHKはけしからん、だから抗議の意志も込めて受信料は払わん、というのはやや短絡的に過ぎると思うんです。全ての報道がひどいわけではないし、優れた番組もある。SNSでは現在の報道を「大本営発表」と揶揄したり、「NHK解体」などという勇ましい言葉も散見されます。でも2018年の現在の状況を「大東亜戦争」当時と全く同じと断じるのは粗雑に過ぎますし、NHKを解体して、じゃあどうするのか。単に罵詈雑言をぶつけて自らの溜飲を下げるだけで、少しも建設的ではありません。

この国には公共放送が存在し、曲がりなりにも(かなり曲がってはいても)いくばくかの事実を私たちに伝える役割を果たし、権力に対する批判も皆無なわけではありません。「大本営発表」になぞらえたりするのは「オレは奴らに痛快な一撃を加えてやったぜ」的清涼感はあるのかもしれませんが、現状を少しでもよい方向に持っていこうと願う理性的な態度からはほど遠いのではないでしょうか。

私たちにできることは、山田氏がおっしゃるように、公共的なメディアを支えつつ、おかしいことはおかしいと一人一人が声をあげ、伝えていくことでしょう。白か黒か、all or nothingで一刀両断にするのはあぶないと思います。……とはいえ、NHKのオフィシャルサイトから投書しても、いつも「なしのつぶて」なんですけどね。