若いうちにもっと旅をしておけばよかったと思います。それこそ借金してでもあちこちへ行っておけばよかった。でも現実はそううまくいかないもので、若い頃はお金と時間がなくてなかなか旅へ行けず、歳を取ってみたらお金と時間にはいくぶん余裕ができても、こんどは身体がなかなか旅行へ適合してくれません。
歳を取ると、とにかくすぐ疲れます。それにたくさん食べられない。そのくせトイレが近いのでなんだか常に落ちつきません。バックパックひとつでドミトリーに雑魚寝もへっちゃらだったかつての自分はどこへ行ったのか、いまでは降圧剤やら漢方薬やら血圧計やら旅に持っていかねばならぬものがどんどん増えています。
疲れるので、旅に出ても人が多いところへは行きません。いや、行けません。行くだけで具合が悪くなるからです。だからいわゆる観光地や観光名所みたいなところもほとんどスルーすることになります。若いときは人混みが好きとまでは行かなくても、少なくとも苦にはなりませんでした。でもいまでは観光地の混雑と喧騒と行列そのものが身にこたえるようになってしまいました。
自分だって観光客のひとりで、こうしたオーバーツーリズムに加担している側なのですから偉そうなことは言えないのです。でもふだん混雑と喧騒と行列ばかりの東京に暮らしていて、たまに旅に出るのはそうした環境から逃げ出したくなるからです。なのに旅先でまたそうした環境に身をおいてどうするというのか。
それでますます田舎の、できるだけ人がいなさそうなところばかり選んで旅をするようになりました。こないだイングランド南西部を車で旅したときも、ソールズベリーまで行ったのにストーンヘンジには行かず、コッツウォルズの村々もその観光客の多さに恐れをなして、車で通り過ぎただけでした(もとよりどこの駐車場も満杯で、車を停められませんでした)。
ロンドンにも数日滞在しましたが、ビッグベンとかバッキンガム宮殿とかセントポール大聖堂とかはおそらくものすごい人混みだろうと想像するだけで気持ちが萎えるので近寄らないことにしました。大英博物館には行きましたが想像通りの人混みで、翻訳のイコンとでもいうべきロゼッタストーンだけ拝んですぐに退去しました。
これまたものすごい喧騒のトラファルガー広場に立つナショナルギャラリーには、お目当てのフェルメールとあと『ルパン三世 カリオストロの城』に出てくる(峰不二子がカリオストロ伯爵らの謀議を盗み見するところ)ジョヴァンニ・ベッリーニの『総督レオナルド・ロレダンの肖像』だけ見に行きました。
行き帰りの航空機と、現地での移動手段(レンタカーかバイク)と、あとその場で決める宿(いずれもインターネットがなかった時代に比べると格段に便利になりました)だけおさえておいて、あとはノープランというような旅が私はいちばん楽しいのですが、それだけでもけっこうしんどく感じられる歳になるとは……とはいえ、ツアーとかクルーズみたいな楽ちんだけどお仕着せで自由がない旅行はちょっと勘弁してほしい。
けっきょくは体力と食欲が充溢している若いうちにできるだけ旅をして思い出をたくさん作っておくに如くはないのです。じゃあお金がない、時間が取れない若い頃にどうやって旅をするのか。これはもう個人の状況がさまざまですからうかつに無責任なことは言えませんけど、でも少なくとも若いうちはガマンしてできるだけお金をためて、歳を取ってからゆっくり旅行しようとかいうのはやめておいたほうがいいと思います。あ、でも、これは旅行に限らないかもしれないですね。