インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

Twitterから遠く離れて

『note』で興味深い記事を読みました。tori氏による『自分がどのくらいエコーチェンバーの中にいるのか可視化するシステムを作ってみた』という記事です。

note.com

詳しくは元記事にあたっていただきたいのですが、エコーチェンバーというのは「閉鎖的空間内でのコミュニケーションが繰り返されることにより、特定の信念が増幅または強化されてしまう状況の比喩(Wikipedia)」。これは本当に怖くて、自分の立ち位置や自分がいる場所(職場・コミュニティ・交友関係などなど)を常に客観的に捉えるよう努力していないと、たちまちこの中に落ち込んでしまいます。

要するに自分のいる場所があたかも世の中全体状況の反映ないしは縮図になっていると勘違いすることですね。ちょっと考えてみれば世界は自分のちっぽけな想像力では把握しきれないくらい広く大きいということなどすぐに分かりそうなものですが、これがけっこう難しい。

自分の理解が及ぶ範囲の狭さを自覚しないまま、物事をすぐに一般化したり、国家や地球レベルに膨張させて語ったりする方は世の中にあふれています。自分の成功体験によってしか思考できない「昔取った杵柄系」、あるいは仕事における「タコツボ化」とか生き方全般における「井の中の蛙」状態もエコーチェンバーに落ち込んだがゆえの結果と言えるかもしれません。

qianchong.hatenablog.com

TwitterFacebookなどのSNSなど、エコーチェンバーの最たる物かもしれません。こうしたSNSのタイムラインになかば依存症的に身を任せていると、知らず知らずのうちに自分の中の思考に偏りが生まれているのです。あるいは人と比べて落ち込んだり、逆に謎の優越感を覚えたり。そんな危険性に気づいて以降、私はSNSから少し距離を置くようになりました。

まったくやめてしまった時期もあったのですが、そこはそれ、使い方によっては学ばされることも多いので、注意深くまた使い始めました。具体的にはいわゆる「脊髄反射的」に反応しないこと。例えばタイムラインに流れてきた情報に反応する場合、一呼吸置くとか、別のメディアで裏を取るとか。そう、タイムラインに流れてくる人が悪いんじゃないんですよね。それを見てつい脊髄反射的に反応したり、人と比べて落ち込んだり優越感を覚えたりする自分が悪いのです。

タイムラインもひとつの社会ではあります。ただそこにはエコーチェンバー的なバイアスが多分にかかりまくっている、というのを常に自覚することが大切なんでしょう。これはリアルな社会生活・人間関係でも同じですよね。

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で、自分のTwitterタイムラインにおける「エコーチェンバー度」です。この「エコーチェンバー可視化システムβ版」で検証してみたところ、偏りは標準的な範囲内でしたが、タイムラインに流れてくる話題を可視化してみるとこんな感じでした。おおお、かなり偏ってる。

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特に「党派性」はかなりリベラルに偏っています。まあこれは自分の考え方に近いので驚きはないのですが、少なくともTwitterのタイムラインでは意図するとせざるとに関わらず、リベラル的な立場の物言いをより多く浴び、選択的にそれらを摂取しているという自覚だけは常に持っていなければならないなと改めて思いました。

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TwitterなどのSNSは有用な側面もたくさんあるけれど、やはりそれはこの広い世界のごくごく一部なんだということを日頃から自分に言い聞かせておかなければいけないですね。基本的には遠く離れて眺めるくらいのほうがいいんじゃないかと思っています。