インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

インターネットポルノ中毒

カバーのそでにこう書いてあります。「インターネットポルノ中毒は、裸やエロスに対する中毒ではない。画面上の目新しさに対する中毒だ」。この本の副題は「やめられない脳と中毒の科学」となっていて、書店で偶然見つけて購入しました。

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インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学

最近飲酒をやめ、それを継続させ、習慣化させることに努力してきました。飲酒をやめると、当然ですが「しらふ」でいる時間が長くなり、そのぶんを読書や学習にあてることができるようになります。その読書や学習についても習慣化が常に課題としてつきまといます。

そういうわけで、人間が何かの嗜好について心身の健康を害するほどに耽溺してしまうのはなぜなのか、そこから抜け出し、抜け出した状態を継続させるためには、すなわち習慣化するためにはどういうプロセスが必要なのかについて興味があり、この本を手に取ったのでした。

……と書くと、なにやら優等生めいていますが、恥を承知で正直に書くと、私もポルノにアクセスしたことは多々あり、そこから抜け出すのに苦労したこともあります。しかもこの本の帯の惹句にあるように、「無気力、集中力不足、不安感、うつ」などの原因が「ポルノの見過ぎ」であるというのはとても人ごととは思えず、思わず「そう!」と書店の店頭で叫びそうになってしまったのでした。う〜ん、やっぱり恥ずかしい。

この本によると、近年爆発的にそのコンテンツが増加しているインターネットポルノサイトは、従来の古典的な(?)ポルノ、つまりグラビア雑誌とか単体で購入するAVなどとはまったく違う性質のものだということです。「高速チューブサイト」と表現されていますが、高速インターネットの普及で登場した、ストリーミングで次々に、しかも「一番おいしい部分」だけを切り取った映像ばかり取っかえ引っかえ、それも無料で視聴することができる(その裏にはアフィリエイトや有料サービスへの誘導など、数々の広告的仕掛けがあります)ポルノサイトは、脳に与える影響という点において、それまでのポルノとは異なっている(もちろん害が桁違いに大きい)というのです。

これはよくわかります。こうしたネットの技術に裏打ちされた、過剰に消費を促し、過剰なまでに脳の注意を喚起する仕組みは、何もポルノサイトだけではありません。この本にはこう書かれています。

「空っぽ」のドーパミンハイを引き起こす活動は控えよう。たとえばひんぱんで強烈なビデオゲーム、ジャンクフード、ギャンブル、フェイスブック逍遙、インスタグラム、ツイッター、ティンダー、無意味なテレビなどだ。(166ページ)

こうした刺激が具体的に脳内でどのような生理学的な影響を与えるのかについても、この本では詳しく解説されています。それはやや専門的で難解な部分もありますが、そこが完全に理解できなくてもこの本を読む価値はあると思います。要するにインターネットポルノもまた、SNS同様に、ネット時代に入って私たちに大きな影響を与えるようになった「注意経済(アテンション・エコノミー)」の一種であり、きわめて注意深く対峙しなければ、心身の健康を害するまでにいたる存在なんですね。

短期的な報いは小さくても、永続する持続的な満足を生む活動に目を向けよう。よい会話、作業場所の整理、抱きしめ合い、目標設定、誰かを訪ねる、何かを作ったり庭いじりをしたり、といったものだ。要するに、絆を感じさせたり、長期的な目標に向けて後押ししてくれたりするものならなんでもいい。
インターネットポルノのような強力な気晴らしは、退屈、苛立ち、ストレス、孤独に対する自分なりの薬の一種だったりする。だが本書を読んでいるなら、おそらくは超常的な刺激による気晴らしの慢性的な利用が、目標や健康を犠牲にしかねない、ファウスト的な取引だというのに気がついているはずだ。(同)

本書の対象読者はいわゆる異性愛の男性が主に設定されているようですが、女性や、それ以外のジェンダーの人々にも通じる課題を扱っています。ただ研究対象として本書で紹介されたり証言したりしている方々のほとんどが米国人であるからか、EDの克服と、パートナーとの「健康」なセックスを取り戻すことに重点なり目標なりが置かれている傾向があるので、その辺は人によって自分の問題意識とはやや齟齬を感じるかもしれません(例えば、ポルノに出演している人々を「消費」ないしは「蕩尽」しているという問題などについては、本書では論じられていません)。