インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

娑婆よのう

むかしむかし、熊本の田舎に住んでいた頃、近所のおじさんが急逝したことがありました。私はその知らせを別のおじさんから聞いたのですが、その時におじさんがぼそっとつぶやいた「娑婆(しゃば)よのう……」という言葉をいまでも時々思い出します。

急逝したおじさんは「万年青(おもと:観葉植物の一種)」の栽培家でした。ところが、訃報を知らせてくれたそのおじさんによると、亡くなったその晩のうちに、庭に並んでいた万年青の鉢がごっそり誰かに盗まれてしまったのだそうです。万年青の鉢植えは高値で取引されている一種の芸術品。それをふだんから知っていて、なおかつ亡くなったその晩に盗むという行動に出られるのは、もしかしたら同じ集落の人間だったのかもしれません。

「娑婆」は仏教のことばで、現在では刑期を終えて出所したあとの「自由な世界」という意味合いのほうがポピュラーかもしれませんが、もともとは「苦しみを耐え忍ぶこの世の中」という意味なんだそうです。まるで火事場泥棒のような行為を目にして発せられた「娑婆よのう……」というおじさんの嘆息には、人間の浅ましさや貪欲さを悲しむ気持ちとやり場のない静かな怒りが込められているように思えたのです。

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https://www.irasutoya.com/2017/01/blog-post_109.html

それから幾星霜。私はいまでも、世間における浅ましい行為や貪欲なふるまいを見聞するたびに、あのおじさんの嘆息を思い出します。政治家やビジネスパーソン汚職や横領みたいに分かりやすいものもありますけど、もっと身近なところでもこちらの心が曇ってしまうような浅ましくて貪欲で、ある意味「しょーもない」行為を目撃することがあります。このブログでも何度か書いたことがある、スーパーなどでの「棚の奥に手を突っ込んで是が非でも新しいものを買おうとするおじさん」とか、「ロール状になった薄いビニール袋を『いーとーまきまき』よろしく大量にからめとって持っていくおばさん」とか。

私はランチによく讃岐うどんの「丸亀製麺」を利用するんですけど、あそこでも無料のネギや揚げ玉を「かけうどん」にメガ盛りにしていくサラリーマンが少なからずいて心が萎えます。もうマンガみたいなてんこ盛りで、ネギがトレーにまで散らばっていて、それでも飽き足らないのか小鉢にもどっさり揚げ玉を取っていたりして。あんなにネギを載せたら辛くて逆に美味しくないんじゃないかと思いますが、細君に言ったら「それで不足しがちな野菜を補おうとしているんじゃない?」だって。なるほど、そういう視点がありましたか。でも昨日は、これも無料のおしぼり(不織布みたいなのがビニールパックに入っているやつ)を十枚ばかりごっそり持っていく初老のサラリーマンがいて、またまた萎えました。

無料なんだから、いくら持ってっても自由じゃないか、大きなお世話だと思われるでしょうか。まあそうかも知れません。スーパーでの「棚の奥から新しいものを取る」や、書店での「平積み本は上から二冊目を取る」なども、周囲の仕事仲間に聞いたら「それがなにか? 当たり前でしょ」と返されます。いや、私は別に善人ぶりたいわけじゃないんです。ただそういう浅ましい行為を目にすることで心が萎えちゃうのがとてもイヤなのです。

こういうのを華人に言ったら“管不了(人は人だ、相手にするな)”と一笑に付されるかもしれません。いや、だけど、こういう我執にまみれた、人の心を萎えさせるような行為が一定量を超えて社会に充満すると、何だかとても大きなものを毀損するような気がしているんですけどね。それこそ「娑婆」ですよね。