インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「泣いて/笑ってごまかす」について

先週日曜日、TBSの番組『サンデーモーニング』で、評論家で多摩大学学長でもある寺島実郎氏が、元財務省事務次官福田淳一氏のセクハラ問題に関してこんなコメントをされていました。YouTubeに音声が上がっていた(https://youtu.be/xi2tcFmy7uo)ので、ちょっと長いですがGoogleドキュメントの音声入力を使って書き取ってみました(変換間違いと思われる部分を修正し、読みやすいように改行を入れてあります)。

あの僕はね、女性に公正な機会を与える事ってのはもう当然のことだと思うしね、日本がその男性中心社会だってこともまあ事実だと思うし、そのジェンダーっていうことで疎外されてきた人がいるっていうことをしっかり踏まえ…まあ要するに受け止めなきゃいけない立場なんだけども。


ただですね、その組織を率いマネジメントしてるっていう立場からする人がね、たぶん心の中で思ってることはね、前向きに女性活用したくてもですね、例えば今まで阻害されてたから女性もそうなっちゃってるんだっていう部分もあるんだけども、この残念なことにね、例えば愁嘆場に近いところで頑張って戦わなきゃいけないっていう仕事の現場ってあるわけですね。


で、そういって何かリスクが起こったりね、難しい問題にぶつかった時にね、男性は良くて女性はダメなんて一切言いませんよ、だけど一つの傾向としてですね、例えばその、女性がやっぱりそういう阻害されてたからだとも言えるんだけども、えー甘えの構造っていうかですね、例えば泣いてごまかす、笑ってごまかすなんていうところでね、結局マネジメントやってる人間からしたらですね、やっぱりダメなんだよなって思うような事例にぶつかっちゃったりするんですよ。


で、そこに悩みながらね、やっぱりそれでもやっぱり女性が力出して行くチャンスを作ってかなきゃいけないっていうふうに思いながらね、やってるってのがまあ現状ですね。

私はこの意見を聞いて、いや、そういう頑迷な意識こそ、内省が求められているんじゃないかと非常な違和感を覚えました。そもそも、女性だ、男性だという立て分けそのものがもはやまったく意味をなさない、そういう意識のありようが求められているというのに。

寺島氏は「今まで阻害されてたから」とか「男性は良くて女性はダメなんて一切言いません」など数多くのエクスキューズを入れながら話していますけど、結局は「女性は泣いて/笑ってごまかす」という粗雑で陳腐で旧態依然とした一般化にすり寄っています。

この件に関してはネットでも一部で「炎上」していて「いや、男性だって泣いて/笑ってごまかす」「男性の方が多い」などの意見も散見されましたが、それも不毛な議論に思えます。そんな個人の特質ないし特性を、性別やジェンダーで語ろうとすることそのものにまったく意味がないのですから。

想像するに、かつて寺島氏の周辺にそうした反応をする女性が実際にいたのかもしれません。それでも、冷静になって一歩引いた視線で世の中を見渡し、自分の意識を見つめ直してみれば、それが本当に女性に特有の性質なのか、そうした予断を開陳することが、こうして声にならなかった声がようやく表面化しつつある現代に果たして有効なのか、内省することは可能じゃないですか。

福田元事務次官の問題については『ハフィントンポスト』で作家の雨宮処凛氏が「日本語が通じているから意味も通じてると思ったら大間違いなのだ」と述べていました。

www.huffingtonpost.jp

何というか……確かにこの「分かっていない」感には、どこから解きほぐし学んで行ってもらえばいいのかという軽い絶望さえ覚えます。私は、人は年齢に関係なく自分の意識を刷新していけると信じているし、未熟な自分もそうありたいと思っているけれど、2018年のこの世の中になってもやはり無理な人はいるのかと、重く、やるせない気持ちにさせられる寺島氏のコメントでした。そして一週間後の今日、また『サンデーモーニング』を見ましたが、残念ながら番組でこの件に関するコメントはありませんでした。