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世界の翻訳家たち――異文化接触の最前線を語る

世界の翻訳家たち――異文化接触の最前線を語る辻由美/新評論/ISBN:4794802706)を読む。『翻訳史のプロムナード』の著者による、翻訳家に対するインタビュー集。通訳や翻訳をなりわいにする人たちの間ではつとに知られた本だが、私はこれまで読んだことがなかった。
「世界の……」とはいえ、ここで紹介されているのは主にヨーロッパの翻訳者たち。翻訳者の権利確立が進んでいるオランダやフランスの事例、生活を気にせず仕事に打ち込めるよう整備されつつある各種の奨励金や「翻訳家コレージュ*1」といった試み、出版と翻訳の関係などなど、どのインタビューも非常に興味深い。
その中に一篇だけ通訳者に関するインタビューがあって、EUの会議通訳共同サービスの話がおもしろかった。加盟国がどんどん増えているEUでは、通訳に用いられる公用語の数もどんどん増している。そうした公用語を使って行われる膨大な数の会議にどう通訳者を派遣し、またその任務に足る通訳者をどう養成していくのか。
「相手に理解させるには自分が理解しなければならない」「通訳に向くかどうかは、その個人の家庭環境や受けた教育、それにその人の気質による」「きびきびした俊敏な人でなければ通訳にはむかない」「まずい通訳者ならいないほうがまし。すぐれた通訳者か、さもなければまったく通訳者をつけないかのどちらか」――インタビューに応じている会議通訳共同サービスの広報担当者は、非常にドライかつ実務的な(ある意味当たり前の)口調で通訳者を語る。
それから別の翻訳者へのインタビューで、文芸翻訳などで理想的なのは、ネイティブの翻訳者と二人三脚で意見交換しながら訳すことだという意見があって、なるほどと思う。
日本で、両岸三地(香港・台湾・大陸)の文芸作品をこういうスタイルで訳しているかたはいるのだろうか。これは自省でもあるけれど、翻訳者というのはどちらかというと孤独な作業が好きで、翻訳中にいろいろ意見を挟まれるのをあまり好まないタイプが多いように思う。この本で紹介されているような、訳しながらネイティブの意見を広く求め、時には激しく議論しながらも訳文を確定していくという作業は、正直言って苦手なのではないか。もちろんそういう作業を可能にできるほどの時間的・経済的余裕などないというのも大きな理由だとは思うが。
日本人はよく自らを「翻訳大国」だと胸を張るが、この本を読むとそれほどでもないという事実がわかってくる*2。確かに両岸三地ものの翻訳は、産業翻訳はまだしも、文芸やノンフィクションではまだまだ欧米ものとは比較にならないほど少ないだろう。日本に紹介される小説なども、まあ売り方が難しいからだろうけれど『上海ベイビー』みたいなセンセーショナルなものか、映画とのタイアップみたいなものばかりが目につく。もっと広範な書物が日本語に訳されていいはずだし、上にあげた二人三脚的な翻訳手法ももっと模索されていいと思う。

*1:翻訳者が一定期間滞在して仕事に専念したり、他の翻訳者と交流したりする国際的な施設。

*2:十年ほど前に出版された本なので、現在とは状況が異なっているかもしれないが、一九九〇年代のはじめ、日本における出版全体に対する翻訳書の割合はオランダやスウェーデンの半分以下、ドイツやフランスよりも少ない、と紹介されている。