インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

通訳や翻訳の「倫理」

米国のオバマ前大統領の回顧録に記されていた日本の鳩山元首相に関する記述をめぐって、その翻訳についての議論がネットを賑わせていました。日本の大手メディア各社が鳩山氏に対してネガティブな表現となる訳文を載せていたことに対して、さまざまな英語関係者から疑問の声が上がっていたのです。昨日は翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子氏が、専門家ならではのとても分かりやすく丁寧な解説を書かれていました。

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英文の解釈をめぐる解説もさることながら、この記事では後半に記されている「翻訳の倫理」という部分に大きな共感を覚えました。

翻訳というのは、「字面を訳すだけでなく、原文を深く読みこみ、深い意図を訳出することである」という一般認識がある。間違ってはいないのだけど、ひとつだけ注意してほしいことがある。深く読み、筆者の意図や言外のニュアンスを汲みとるのは重要だが、その筆者が言っていないことまで訳文に盛り込むのは、ご法度であるとわたしは考える。

通訳訓練でも言外の意味を、それも「まあだいたいこんなこと言ってるでしょ」的に恣意的な言外の意味を盛りたがる方は時折いて、そういう方に「そこまでは言っていませんね」と指摘しても、不思議なことになかなか改まりません。私ごときが言うのもおこがましいのですが、これはいわゆる「なんちゃって通訳」の世界で、とにかく原発言に対するリスペクトと慎重さに欠けること甚だしいのです。これはもうその方の生き方や人間性の問題なんでしょうね。

通訳で原発言にないことは盛らず、原発言にあることはすべて拾おうとするとか、できるだけ活き活きと語りかけるように話す(やり過ぎない程度に)とか、翻訳でも句読点や記号などの使い方に留意するとか、決められたフォーマットを遵守するとか、サービスの受け手の利益や利便性を考えてきちんと訳出できる方は自ずとそうしている、あるいはそうしようと努めています。

なのに、何度指摘しても「なんちゃって通訳」のクセが抜けないとか、暗く小さくボソボソとした声で訳すとか、句読点や記号や数字の使い方が不統一だとか、段落の最初の一字あけを忘れるとか、字幕は句読点のかわりに「半角スペース」だと伝えているのに句読点を使っちゃうとか……そういう方が毎年毎学期一定程度はいます。私はこれはもう講師が教えてどうこうできるものではないかなと、なかばキレかかりながら、なかば諦めの気持ちで、それでも指摘し続けています。

自分の話したいことを話したいように話すのはとても上手なのに、他人の話していることを正確に再現するのはとても苦手な方もいます。通訳や翻訳は畢竟、他人に成り代わってアウトプットをするサービス業ですから、その他人を最大限尊重するホスピタリティのようなものが必要不可欠なのですが、そこにどうしても想像の及ばない方はいる。こんなことを言うと身も蓋もないんですけど、翻訳や通訳にははっきり「向き不向き」があると思います。まあどんなお仕事にもそれはありますから、当たり前なのかもしれませんけど。

辞書によれば「倫理」とは「人として守り行うべき道」だそうです。学生さんの中には「いや、別に通訳者や翻訳者になるつもりはなくて、自分の語学の一環として訓練しているだけだから」という方もいて、そういう方に「倫理」など持ち出しても戸惑うかもしれません。けれど、上掲の記事で鴻巣氏も記されているように、翻訳や通訳は時に言語や文化の異なる相手同士の悪感情を醸成し、歴史を揺るがす結果をもたらすこともあるのです。語学そのものにもそうした怖さは潜んでいる(だからこそ真剣に学ぶに足る)。通訳や翻訳を学ぶ方にはぜひ、その怖さのひとかけらだけでも心の隅に留めておいてほしいと思います。

この件に関して今朝の新聞にこんなコラムが載っていました。なるほど、誹謗ネタとして使うために言外の意味を盛った可能性ですか……。それこそ倫理に悖る行為だと思います。

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