インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ロシア語だけの青春・その2

黒田龍之介氏の『ロシア語だけの青春』を読んで。昨日からの続きです。

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語学教師としての視点から

昨日書いたのは学習者としての視点ですが、教師としての視点にも首肯することしきりでした。

●生徒の発音を笑わない。

これはとても大切で、私も常に気をつけています。日本人もそうですけど、華人留学生もああ見えて(失礼)けっこうシャイで、日本人に発音を笑われるとそれだけで意気消沈しちゃって積極的に話さなくなる危険性があるように思います。

●カードを元に、授業中はこれをシャッフルしながら、アトランダムに生徒を指名する。

いつなんどき自分に当たるかわからないという緊張感を生徒に与えるための方法ですが、私もこれを授業で使っています。黒田氏は「言語学とスラブ語学で有名な大学の先生が採用していたやり方」で「先生ご自身がプラハに留学されていた際に、セルビア語の授業で採用されていた方式」だと紹介されています。私は長谷川良一氏の中国語の授業と同氏の『中国語入門教授法』で知って取り入れました。

●外国語を専攻する大学生は、授業で覚える単語が実用的でないと、不満を漏らす。こんな使えそうもない単語じゃなくて、もっと役に立つ単語を教えてほしいという。その一方で、スラングや流行語は喜んで覚えたがる。だが、なにが使える単語で、なにが使えない単語かは、学習者には判断できない。

私が教えているのは大学ではなく、生徒もその大半は留学生ですが、こうした「不満」はよく聞かれます。いわく、教室で教わる日本語と、バイト先の人や日本人の友達が話している日本語とがかなり違う……などなど。ですが、外語はまずフォーマルできちんとした単語や構文を覚えないと、その先には進めないんですよね。きちんとした正式な言い方ができるからこそ、その先に進んでネイティブのように崩すこともできるのです。外語はあくまでも「フォーマル→カジュアル」と学ぶのが大切だと思います。

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https://www.irasutoya.com/2015/09/blog-post_93.html

●大学は見返りを求める場所である(中略)知的好奇心などを綺麗事をいってはいけない。大学で教える者は、現状をしっかりと把握する必要がある。
●人はなんらかの見返りを求めて、外国語を学ぶ。でも。ミールには見返りなんてなかった。

確かに、現在の日本は語学に(ことに英語に)対して過度に「見返り」を求めているような気がします(いや、昔からかしら)。でも見返りを求め始めたら、それは畢竟ギブ・アンド・テイクの世界であり、さらには投資とそのリターンという発想に陥ります。そうなれば、やれ効率だの、手っ取り早くだの、「○週間でペラペラ」だのまではひと続きです。

でも語学って、本来はものすごく「泥臭い」営みだと思うんです。もちろんそれを使って外語が理解できたり、自分の話すことが通じたりする瞬間は「ぱあっ」と世界がひらけたような感じがしますし、通訳や翻訳も華やかなイメージがあるみたいですけど、実際にはとても「泥臭い」、あるいは「辛気臭い」営みなのです。その語学を習得するには膨大な時間と労力が必要です。世上、それは無駄が多いからだ、古いメソッドから抜け出ていないからだなどの甘言は多いですが、一部の天才を除いて、手っ取り早くちゃちゃっと語学を習得することは不可能だと思っています。

それでなくても機械翻訳(通訳)技術の発展で、「語学なんて学ばなくてもいい時代がくる」などと喧伝され始めているこの時代。ますますそうした「泥臭い」営みには否定的な意見ばかりが寄せられることになるのでしょう。でも私は「語学に王道なし」はこれからも揺るがないと思いますし、いっそ AI などの技術がが発達して実用的な機械翻訳が普及したあかつきには、その時こそ「見返り」を求めない本来の泥臭くも楽しい語学を、静かにかつ思う存分楽しめる時代が来るんじゃないかと、へんな期待を抱いています。

●わたしは、オフィスのようにきれいな大学に身を置くと、居場所がなくて落ち着かなくなってしまう。なんだか嘘っぽい。わたしには、ミールのちょっと怪しい空間こそが、非常にリアルだった。きれいで整った空間で外国語を学ぶのって、どのくらいリアルなんだろ。

「ミール・ロシア語研究所」は代々木の雑居ビルの一フロアにあったそうですが、それよりは規模は大きいものの、私の通った日中学院も似たような「怪しさ」に満ちた空間でした。

初めて見学に行った時の印象も強烈で、窓には直射日光避けなのか投石避けなのかわからない桟が嵌っていて中の様子は伺えないし(実際、隣が日中友好会館なので、黒塗りの街宣車がよく出没するのです)、教室に入ってみれば黒板の上に墨痕淋漓と簡体字でスローガンのようなものが書かれているし、先生も生徒もみんなお互いのことを「ぴんそん」だの「りんむー」だのと呼び合っているし、昨日も書いたようにみんな大声で発音練習しているし……と怪しさ満点でした。

まあ建物の怪しさという点では、これものちに私も講座をいくつか担当させていただいた、神田の東方学会ビルに入っている日中友好協会東京都連合会の中国語教室とか、今はもう閉校してしまった新橋駅前のニュー新橋ビルに入っていた朝日中国文化学院のほうが数倍怪しかったですが。ともあれ、私は日中学院に何年間か通ううち中国語熱が嵩じて、サラリーマンを辞めて中国に留学することになり、帰国後はここで事務局や教師の職を得たものの、いろいろと問題を起こして結局は退職することになってしまいました。

たぶんもう一生日中学院に行くことはない(というか、行けない)と思いますが、黒田氏が書かれている「ミール」の雰囲気と、日中学院のそれはとても似通っているように思われるのです。実際には私は「ミール」に行ったことがないんですから、本当のところはわからないんですけどね。ひょっとしたら今でも、日中学院にはそんな雰囲気の一部が残っているかもしれません。

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▲日中学院の教師だった頃。帰国する留学生が「一緒に写真を撮ってください」と肩を組んで来ました。こういうフレンドリーさが華人(チャイニーズ)のすてきなところです。