インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

能舞台の簡素さと能装束の豪華さ

伝統芸能の能って、舞台はあんなにも簡素なのに、なぜ装束(衣装)はあんなにもデコラティブなのか……そんなことを思いながら展示を見ました。新宿は甲州街道沿いにある文化学園服飾博物館で現在開催中の「能装束と歌舞伎衣装」という展覧会です(11月29日まで)。

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https://museum.bunka.ac.jp/

能をご覧になったことがある方はご承知の通り、能舞台には通常の演劇につきものの緞帳や幕などがなく(登場人物が出入りするところだけ、小さな幕があります)、大道具といえるような大掛かりな舞台装置はほとんどなく、小道具にしても必要最小限かつかなり抽象化されたシンプルなものが多いです。

例えば中国の皇帝が住んでいるような豪奢な宮殿にしたって、畳一畳分ほどの平べったい箱の上に、竹と布で組んだようなか細い屋根が乗っているだけ。海水浴場の「海の家」だってもう少し豪華なんじゃないかと思えるくらい簡素です。源頼朝武蔵坊弁慶といった錚々たるメンバーが乗り込む船にしても、まるで一筆書きで描いたような船の輪郭だけを模した作りで、しかもそれをひとりの登場人物が「電車ごっこ」みたいにして舞台に持ち出すのです。

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「the 能.com」さん「船弁慶」の項より。右側の四人が乗っている(というか入っている)のが「船」です。

ところが、その簡素極まりない舞台に登場する人物は、いずれも豪華絢爛かつ大胆不敵なデザイン。金糸銀糸でもって花鳥風月その他の模様をあしらったものや、モダンアートと見紛うような抽象模様もあり、一見地味に見える色彩のものでもよく見るととんでもなく精緻な模様が織り込まれているなど、とにかく「デラックス」な装束を身にまとっています。

しかもサイズがまたバカでかい。武将なんかが履いているズボン(袴)など、片方だけで脚が十本くらい入りそうなほどの幅があるのです。老女物など枯淡を極めたような曲(演目)の装束や、一番「地味」である狂言方の装束であっても、現代の私たちからすればずいぶん格式が高いというか、「上等そう」ないでたちです。

もちろん舞台芸術ですから、生身の人間が着の身着のまま登場したって面白くもなんともないのかもしれませんが、でも現代演劇ではごくごくフツーの格好で、メイクすらしないものもありますよね。私は能の持つこの「なにもない空間から始まってなにもない空間で終わる」という究極のシンプルな劇空間でありながら、登場人物だけが超ド派手……というギャップに、なんとも魅了されるのです。

素人考えですが、能が生まれた頃の中世はまだここまでデラックスな装束は少なかったのかもしれません。それが後に武家の式楽となり、各大名家お抱えのもと(上記の展覧会に出品されている装束も、旧井伊家の所蔵品です)、江戸時代の産業の発展などもあいまってここまで進化してきたのでしょうか。

ともあれ、現代の私たちは、LEDの大スクリーンやら、レーザービームやら、ミラーボールやらの照明装置に慣れていますし、ド派手で奇抜な格好だっていくらでも目にすることができますが、中近世の人々はこういう度外れた綺羅びやかさの能装束をまとった登場人物たちが登場するたび、どんな気持ちで眺めていたんでしょうね。