インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能楽の「素人会」プログラムをご紹介します

能楽堂に行くと、ロビーなどに様々な能や狂言などの公演のチラシとともに、「〇〇会」などと書かれた薄い小冊子状のものが置かれていることがあります。これは能楽のお稽古をしている一般の方々が定期的に行う発表会・温習会、あるいは「素人会(しろうとかい)」と呼ばれる催しの番組(プログラム)です。

こうした会は玄人、つまりプロの能楽師の先生方についてお稽古をされているお弟子さんたちが、日頃の研鑽の成果を発表するというもの。お稽古をしている方々にとっては、本物の能楽堂の舞台に立てる貴重な機会です。

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http://kita-noh.com/schedule/5980/

私も年に一、二度参加していますが、まあ素人の発表会ですから、そこはそれ、正直に申し上げて「玉石混淆」。素人とはいえもう何十年も研鑽を積まれている大ベテランで「玉」の方もいれば、私のような腰痛防止のために身体動かさなきゃ……ってんでお稽古始めました的な「石」もおります。

それでも、素人会はなかなか面白いです。まず、ほとんどの会は、本格的に能楽堂能舞台を使用する公演なのに入場無料。しかも、メインで仕舞や舞囃子などを披露する方は素人でも、その後ろや脇を固めるお囃子や地謡の方々はプロの能楽師であることも多いのです。若手から中堅の能楽師はもちろん、時には人間国宝級の方々も出演しているので、非常に見ごたえ・聞きごたえがあり、能楽の世界にどっぷり浸ることができるお得な機会でもあることはあまり知られていません(メインの素人さん演者にはいささか失礼な物言いではありますが)。

というわけで、ここに、今年六月に行われる、私も参加する会の「番組」がありますので、宣伝を兼ねて番組の読み方や用語などの解説を試みてみたいと思います。

素人会、玄人会問わず、ほとんどの番組はこんな書式(?)です。番組とはプログラム、出し物、といったような意味。

連吟(れんぎん)

能の謡曲(謡:うたい)の一節を二人以上で謡うものです。ちなみに一人で謡う場合は「独吟(どくぎん)」となります。一番上にある大きな文字が曲名(猩々:しょうじょう、西王母:せいおうぼ、敦盛:あつもり、など)。その下にお一人の名前があり、この方が最初の謡い出しなど能の主人公である「シテ」の部分を謡います(シテ謡:してうたい、などといいます)。

そのまた下に二段にわたってずらっと並んでいる名前の人たちが、シテ謡の人と一緒に謡います。謡は斉唱(ユニゾン)でハモったりはしませんが、それでも大勢で謡われる謡には一種独特の迫力があります。

ちなみに今回「猩々」と「西王母」でシテ謡を担当するお二人は、いずれも年若いお子さんです。能には「子方(こかた)」と呼ばれる、小学校くらいまでの子供が専門に担当する役どころがあって、それが武将や天皇など高貴な人物であるという、一種の「倒錯(といっては語弊がありますが)」がよく行われます。これは子供だけが持っている一種の神聖性を表徴させるためらしいのですが、今回の連吟でもいわば子方にあたるような年齢のお二人にシテ謡という重役を担っていただくという、なかなか粋な趣向なのです。

仕舞(しまい)

そのあとに続くのが、仕舞です。これは能楽のお稽古では一番ポピュラーなもののひとつで、能の一節を黒紋服に袴姿、あるいは着物姿で、つまり装束(衣装)や面(おもて:仮面)をつけないで舞うものです(能楽では「踊る」と言わず「舞う」と言います)。

こちらは玄人の仕舞です。
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仕舞の際には、通常四人ほどの「地謡(じうたい)」が舞台の後ろに座って謡います。この地謡は、玄人の先生方が担当することもあれば、お稽古仲間の素人が担当することも、また玄人と素人の混成であることもあります。素人会の番組では通常、仕舞を舞うシテの名前だけが書かれ、地謡の名前は省略されることが多いようです(演者が多いので煩雑になりますもんね)。

番組の上の方には時間が書かれています。これはおおよそこれくらいの時間にこの番組が上演されていますよ、ということを示すためのものです。こうした素人会は番組と番組の合間に出入り自由なので、発表会を見に来るご家族やご友人の便に供するという意味合いもあるのだろうと思います。

舞囃子(まいばやし)

10:30頃からは舞囃子が続いています。舞囃子は一般に仕舞よりも長い一段を舞います。しかも地謡の他に「囃子方(やはしかた)」が入って、より本格的な能に近い形になります。とはいえ、舞囃子も基本的には装束などを着けません。

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曲名の下にシテを舞う方のお名前。その下に三人、あるいは四人書かれているのが囃子方で、基本的にはプロの能楽師です(お囃子の楽器を担当する方々も「能楽師」といいます)。三人の場合は笛(能管:のうかん)・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)。四人の場合はここに太鼓(たいこ)が加わります。

実際に舞囃子を舞ってみるとよく分かりますが、このお囃子、特に玄人のそれは、かなりの大音量・大迫力です。お囃子とはよく言ったもので、まさにその奏でる音楽に「囃され」、舞わされている感じがします。玄人の囃子方の演奏や、様々な気合いのこもった掛け声などは特に聞きごたえがあります。

また仕舞では基本的に、シテか地謡が常に謡っている状態で舞が進行しますが、舞囃子ではその他に、囃子方の音楽だけで舞う部分が含まれているのが普通です。その舞にも曲によって「舞働(まいばたらき)」「中之舞(ちゅうのまい)」「序之舞(じょのまい)」「男舞(おとこまい)」「神舞(かみまい)」「神楽(かぐら)」「楽(がく)」など様々なものがあり、お稽古の進捗に合わせて師匠の先生と相談しながら「じゃあ次はこれにチャレンジしてみましょう」という感じでお稽古に勤しんでいます*1

このページの一番最後の番組、「清経(きよつね)」の舞囃子を舞うシテは玄人の先生、つまりプロの能楽師です。この番組だけは、囃子方の中にお一人、素人でお稽古をされている方が入り、シテは玄人にお願いして舞っていただくという、なんともぜいたくな趣向になっています。ここ、見どころのひとつです。

番組の構成は様々ありますが、こうして仕舞と舞囃子が交互に、そのまた合間に謡などが入ってくるのがよくあるパターンです。

このページの仕舞には、曲名の下に小さな文字で「クセ」と書かれているものがあります。これはひとつの曲にいくつかの仕舞(仕舞ドコロ、などと謡本に書かれていることもあります)が含まれていることがあるためで、クセはそのうちのひとつです。

クセは「曲(クセ)」。一曲の中核になる重要な部分と物の本には書かれており、一般的に静かにじっくり聞かせ、舞うものが多いです。その一方で、あとから出てくる「キリ」は「切り」。一曲の最後の部分で、どちらかというと勇壮でドラマチック、あるいはスペクタクル性の強い謡と舞であることが多いです。

能(のう)

今回の素人会には、なんと能が丸々一曲かかります。それがこのページにある「杜若(かきつばた)」。素人さんで能を一曲舞うというのはなんともすごい努力と挑戦ですよね。

能の番組だけは独特の書き方があって、まず主人公のシテ(この方がお稽古をされている素人さんです)が曲名の右肩に。役名も書かれています。曲名の真下には、脇役として能の夢幻的な世界と観客の現実的な世界と取り持つ「ワキ方(わきかた)」のお名前。その下に囃子方四人のお名前。さらには曲全体の進行を司る「後見(こうけん)」のお二人と、地謡八人の名前がすべて記されています。

今回は、シテと地謡の二人以外はすべて玄人の能楽師が総出演。しかも本格的な能の上演ですから、装束や面から「作り物(つくりもの:道具類)」までプロの舞台とまったく同じものが使われます。しつこいようですけど、これも無料で見られちゃうんですから、素人会、かなりお得でございます。

ちなみに地謡の並び方にも、基本的な決まりがあります。前列四人、後列四人のうち、後列の方がベテラン格になり、なかでも真ん中のお二人がさらに格上です(前列も同様)。地謡をリードする方を「地頭(じがしら)」と言いますが、この曲の地頭は、能楽喜多流の著名な能楽師である塩津哲生(しおつ・あきお)師です。

そのあとも連吟や仕舞や舞囃子が続きまして……

トリを飾るのは舞囃子の「船弁慶(ふなべんけい)」や「高砂(たかさご)」など、勇壮かつダイナミックな舞が特徴の曲です。「船弁慶」は扇のほかに薙刀を使って舞いますし、「高砂」は途中に登場する舞が「神舞(かみまい)」という、まさに「神!」的なスピードで展開する舞になっています。しかも「五段」ですから、ふだんは「三段」になることも多い神舞がより長くたっぷりと入っています。

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いやいや、なかなか盛りだくさんでしょう? 入場無料・入退場自由のいたって気楽な会ですので(とはいえ演じる素人の私たちは舞台裏で異様な緊張感に包まれていますが)、お時間があればぜひ能楽堂にお出ましくださいませ*2

能楽における素人とは

伝統芸能能楽は、もちろん能楽師の方々の弛まぬ努力によってその伝統を今に受け継いでいるわけですが、一方で観客として、あるいは愛好者として能楽を支える素人もまた現代と未来に能楽が続いていくための重要なファクターとして存在しています。

プロの能楽師の先生方も、その重要さをじゅうぶんに分かっていらっしゃるからこそ、ご自身のお稽古や公演など忙しいスケジュールの合間を縫って、ここまで素人の発表会につき合ってくださるのです。

www.wochikochi.jp

下世話な話ではありますが、能楽をお稽古して、定期的にこうした発表会に出るとなれば、それなりの出費も必要になります。謡や仕舞ならまだしも、舞囃子や、能一曲まるまるとなると、そこに参加するプロの能楽師の数からしてもその出費には予想がつこうというもの。それでも能を愛好する素人のみなさんと玄人の能楽師の熱意で、こうした「素人会」があちこちで開かれているのです。

今回ご紹介した「佳門会(けいもんかい)」は、能楽喜多流能楽師、塩津圭介(しおつけいすけ)師の社中(一門のみなさん)の方々の素人会です。

www.shiotsu-noh.com

ぜひぜひご高覧を賜りたく存じます。

*1:ちなみに「楽」は「中国物(ちゅうごくもの)」と呼ばれる、中国語題材にした能によく出てくる舞です。滔々と流れる大河のようなリズムと複雑な足拍子が特徴で、魅力的かつ難しい舞です。いつかこれが舞えるようになりたい、というのが私の今の目標です。

*2:私は今回、連吟で「猩々」、仕舞の地謡で「安宅(あたか)」「天鼓(てんこ)」「三輪(みわ)」、舞囃子地謡で「羽衣(はごろも)」「清経」「高砂」、能の地謡で「杜若」、それに自分の舞囃子「龍田(たつた)」に参加させていただく予定です。すべての謡を間違えずに謡えるかしら……というのもさることながら、舞囃子「龍田」に出てくる「神楽」の舞できちんと拍子を踏めるかしら、一時間以上もある能「杜若」でずっと能舞台に正座して、終演後に舞台から捌ける際、足がしびれずちゃんと立てるかしら、というのがいささか心配です。