インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

対等な言葉遣いについて

BLOGOSに載っていた岩田健太郎氏のこちらの記事に共感を覚えました。いわゆる「言葉狩り」や教条主義的な語源重視(と、そこからの批判・批難)に対して、それは短見かつ「つまらぬこと」であり、言葉の差別性は言葉の表現のされ方よりもその言葉を使う人間の心性にこそ宿っているのだという点。そして、そんな言葉狩りよりも着目すべきは、リアルな場面での差別的な言葉の使い方だという点。特に後者は、私も常々違和感を抱いていたので思わず「その通り!」と快哉を叫びました。

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岩田氏は「特権的な立場がある、と信じ込んでそれを態度に示すのが差別である」とおっしゃっています。その実例として挙げられていたのは「初老の男性が若い女性の空港職員をつまらぬ問題で怒鳴りつけていた」というもの。確かに時折私もこうした激昂おじさん(たいがいは初老のおじさんです)を目撃することがあります。

が、私はこのような激しいものだけでなく、普段の生活の中で客側がお店側に対して「です・ます」を使わず、いわゆる「タメ口」で対応している場面に接するときも、そこに同根の心性を見出して、いささか心が曇るのです。先日も行きつけのスーパーのレジで、私の前にいたおじさんが飲料のペットボトル一本だけをレジ台に置き、「袋はご利用ですか」と聞いた店員に対して「いらねえよ! テープ貼れ!」と怒鳴っていました。

なぜ「けっこうです」とか「テープでいいです」などと言えないんでしょうね。まあこれは極端な例ですが、他にも例えば飲食店などで「水持ってきて」とか「会計してくれる?」みたいな店員への命令口調、あれも私は苦手です。カネを払っている立場だから、「タメ口」や「上から目線」でも構わないと決め込むその感性がなんとも粗雑だと思うんです。だから普段から尊敬している人や好意を持っている人にそういう一面があることが分かった途端、一気に幻滅し、百年の恋もさめちゃいます。

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https://www.irasutoya.com/2015/02/blog-post_670.html

岩田氏は「『お願いします』『ありがとうございます』『すみません』というコトバを使えない中高年男性は非常に多い(中高年の女性にも少なからずいる)」と書かれています。そんなに多い? と思うでしょうか。いやこれが存外多いんです。ふだんはいたって丁寧な話し方をしている人でも、レストランとかホテルとか、空港のロビーとか、比較的高額な出費をもたらす場所にいくほど、なぜか高圧的な方向に振れる人はけっこういます。

そしてまたこれは、年を取って、年齢の離れた若い方々につい「タメ口」や「上から目線」で接しそうになる自分を再発見して常々自戒としていることでもあります。特に教師などという職業をやっている人間は、常に「センセ」などと持ち上げられているから一番危ない。私は例えば知り合いの子供に対しても、基本的には大人に対するのと同じ口調で接したいと思っています。「〇〇ちゃん、〜だね」みたいな馴れ馴れしい口調が苦手なのです。

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もちろんこうした口調には一面「親密さ」も含まれてはいることはわかります。いつまでも「です・ます」では却ってよそよそしいとか水くさいなどと受け取る人もいるでしょう。でも少なくとも、お店の店員など初対面の人には基本的に丁寧な、というか対等な口調でありたいと思っています。

商品やサービスを受け取り、その対価を支払うという取引は、そもそもが対等な関係の上で行われるべきものだと思います。お金を払う側が偉いわけでもなければ、商品やサービスを提供する側が平身低頭しなければならないわけでもありません。これはフリーランスで働いていた時に強く感じていたことであり、いくつかの職場に勤めるようになった現在でも肝に銘じていることです。