これまで、東京都台東区公式サイトや元SMAPメンバーによるユニット「新しい地図」における、機械翻訳丸投げによる珍妙な中国語や英語をさんざっぱら批判ないし揶揄してきました。こうしたサイトの珍妙な翻訳は、私が奉職している学校の幅広い国や地域の留学生が集まっているクラスで紹介すると、いつも大爆笑の嵐です。
なおかつ留学生のみなさんは、これまでに日本で出会った奇妙な翻訳の実例を次々に教えてくれます。私も以前同僚から教えてもらった、東京都某区のお知らせで催し物の日程の曜日、例えば「(火)」が「(fire)」になっていたなどという例を紹介するのですが、ここまでくるとちょっと笑えません。経費削減の折から、百歩譲って機械翻訳に頼るのはアリだとしても、最低限人を雇ってチェックしませんか。その予算も取れないのなら外語での発信はムリですよ、多言語対応ご担当者のみなさま。
こうした奇妙な翻訳は日本だけでなく世界中どこにもあるものですが、日本の場合は官公庁や大企業などの公式サイトでさえときどき(いや、かなり)「やらかす」のが何とも恥ずかしいです。五輪を控えて「おもてなし」じゃないんですか? 訪日外国人倍増で景気浮揚を図っているんじゃないんですか? いつも申し上げていることながら、早期英語教育も結構ですが、通訳や翻訳、あるいは言語そのものに関するリテラシーみたいなものの涵養が必要ではないかと思います。
台東区だけじゃなかった
ところで昨日、ふと気になって東京23区の公式サイト全てに当たってみたところ、なんと23区すべてが機械翻訳で「必ずしも正確とは限りません」などの但し書きがありました。台東区だけじゃなかったわけです。ごめんよ、台東区(違うか)。
「必ずしも正しいとは限りません」「100%正しいとは限りません」などの但し書きを入れりゃいいってものでもないと思うんですけど、なかにはエラーになって表示されない区も。なんというか……外語で発信する気は実はそんなにないんだけど、他の区がやってる以上うちの区もやっとかなきゃ的な「横並び一線」感が半端ありません。
一方で東京都は簡易版ながらきちんと翻訳したページがあるようです。また国の組織、例えば外国人に関係の深い観光庁とか、あと首相官邸なんかも機械翻訳には頼らず翻訳者が訳しているもよう。もしこのレベルでも機械翻訳丸投げだったらさすがに「やばい」ですが、それはなさそうだったのでほっと胸をなで下ろしました。でも区レベルになると予算が厳しくてそこまで手が回らないのかな。
東京都 | http://www.metro.tokyo.jp/ |
観光庁 | http://www.mlit.go.jp/kankocho/ |
首相官邸 | https://www.kantei.go.jp/ |
区によっては重要な情報、例えば災害情報とか社会保険関係だけ別枠できちんと翻訳したページを持っているところもあるようでした。もちろん公式サイトだけが外国人向けの発信ではなく、印刷物などを用意している区もありますから、ここだけで一概に批判できないのですが、ほとんど意味をなさない珍妙な中国語の羅列を見るにつけ、「精神の退廃」みたいな大仰な文言が頭に浮かびます。それでも、機械翻訳でもないよりはマシということなのでしょうか。
私は(中国語だけしかチェックしてないけど)あんな珍妙な中国語で区の公式サイトを世界に向かって発信するくらいなら「ないほうがマシ」じゃないかと思います。基本ここは日本ですし、日本は良くも悪くもかなり「純度」の高いモノリンガルな国なので、「区の公式サイトで多言語対応までなかなか手が回りません、でも必要に応じて重要なものから対応していきます」でもいい(というか仕方がない)とも思うんです。
日本も例えばJNTO(日本政府観光局)などはしっかりとした多言語ページを作っています。諸外国でも例えばロンドン市やパリ市なんかも、公式サイトは英語やフランス語だけで、それとは別に観光局が素敵な日本語サイトを作って発信しています。一番情けないと思うのは「とりあえず機械でやっとけ」的思考停止、もしくは言語を舐めた態度です。
でも結局は「あの情報がない!」といったクレーム回避などの思惑もあって、「とりあえず全部機械でやっとけ。あ、もちろん『正確ではないかも』と但し書きをいれてな」的な所に落ち着いているのが現状ということになるのでしょうね。東京23区はサイト全部を機械翻訳に丸投げするのはやめて、重要な情報に絞り、予算をつけて翻訳者を雇い、対応していくべきだと思います。
追記
今朝の東京新聞特報欄に興味深い記事が載っていました。架空の神学者の論文が使われるなどの捏造が発覚した東洋英和女学院大学の元教授・深井智朗氏の研究不正に絡んで、そうした不正が露見しにくい背景には人文科学系の書籍が諸外語にほとんど翻訳されない問題があると指摘しているのです。外語に翻訳され、より多様な角度から検証されることで防げるものなのに、学術界内部でも「理系は自分で訳す」「利益誘導にあたる」などといった、文系と理系を同一視した無理解が壁になっていると。
問題を指摘する東京大学の西村清和名誉教授は、人文社会系の学問全体が、言語的に閉鎖された状態になっており、「いま国がやるべきことは翻訳体制を整え、日本の人文社会系成果が海外から無視されている現状を変えることではないか」と述べています。長い歴史を通して、外語を日本語に訳すことで豊かな文化を創り上げてきた翻訳大国日本も、逆に日本語から外語への発信はきわめて手薄ということなんですね。