インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

冗談言っちゃいけません

「東京新發現 DISCOVER NEXT TOKYO」というFacebookページがあります。京王電鉄と『地球の歩き方』が共同で運営する、多摩エリアの観光情報を台湾や香港に向けて発信するサイトです。

f:id:QianChong:20180927132519j:plain
https://www.facebook.com/DiscoverNextTokyo/

ここで「観光促進につながる情報を取材し、短文記事を中国語(繁體字)で書いていただくの主な業務内容」という、大学・短大・専門学校の「留学生ライター募集」というオファーが来たんですけど、インターンシップだから報酬はなしだそうです。冗談言っちゃいけません。

サイトの内容を拝見するに、これは明らかに京王電鉄が沿線の観光地に外国人観光客を誘致するための宣伝です(高尾山など、人気のスポットがありますからね)。しかも地域の情報を取材して、中国語(繁體字)で原稿執筆をするというれっきとした「業務」ですよね。

日本国内、首都圏に住んでいて、しかも中国語でそこそこの記事が書けるこうしたライターを探せば当然コスト高になります。これは、そうしたコストをかけずに「留学生の勉強にもなるから」という理由付けで「インターンシップ」の名を借りた無償労働ではないでしょうか。

語学学校に勤めていると、時々こうした依頼があります。かなり前のことですが、こんな依頼もありました。その条件があまりに「身勝手」なので、ブログの記事に書いておいたのです。

qianchong.hatenablog.com

ここまでひどくはなくても、テレビ局などから「この中国語の意味を教えて」とか「今からファックスで文章を送るので大体の意味を教えて」などといった依頼はよくありました。ほんの一言、二言の場合、「それはですね……」とお教えしたこともありますが、そのたびに、この国ではまだまだ専門の技術、とりわけ語学に対するリスペクトが希薄だなと感じていました。

それでも集まってしまう?

そういう意味では、一昨日から始まった東京五輪のボランティア募集に注目しています。これだけの規模で「無償労働」が、それも医療や通訳などの専門分野でさえ成立してしまうという前例ができてしまえば、これは回り回って多くの人々の収入に影響してくるのではないかと思うのです。

昨日ボランティアへのエントリーを受け付けているサイトを見てみましたが、この「ポエム」感満載の惹句は一番批判を受けている無償労働についてとことん回避をしています。またそのあまりのやっつけ感に某まとめサイトでは「ボランティアが作ったんだろw」などのコメントが並んでさすがに同情を禁じ得ない入力フォームの問題もあって、出だしはちょっとバタバタしているようです。

応募を考えてくださる皆さまへ|東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
news.yahoo.co.jp

それでも、先日の本間龍氏と西川千春氏の対談でうかがったところによると、海外から「五輪のボランティア参加が生きがい」という方が多数参加すると見込まれているんだそうです。もちろんそういうことができる富裕層の方々が中心のようで、自分の意思で参加されるならいいと思いますけど、その結果残った「レガシー」はずっと日本に暗い影を落とすと思います。

「やりがい搾取」とまで批判されたボランティア募集が「なんだ結局集まったじゃん」ということになれば、その「成功できてしまった」という「レガシー」は、今後同様の巨大商業イベントにおける大規模な搾取にも前例とお墨付きを与えるでしょう。特に影響を受けるのは若い人たちではないでしょうか。

私はこれが、ことオリンピックのボランティアにとどまらない一番大きな問題だと思います。目先の利益ばかり追いかけて(端的に言って上記のFacebook案件も経費削減の結果でしょう)「労働には正当な対価を」がなし崩しになっていけば、若い人も育たなくなり、お金も回らなくなる。やがて社会全体が萎縮していきます。

語学へのリスペクトが足らない

ところで、上記の「留学生ライター募集」ですが、仮にオファーを受けて留学生の皆さんに「誰かやりたい人は?」と聞いたとしますね。たぶんほとんどの人が「え? 報酬なし?」と驚きますよ。オリンピックのボランティアについて紹介したときも珍しい動物を見るような目をしてましたもん。こうやって、日本は奇妙で非常識な国という評価が確立されていくんです。

SNSで教えていただいたところによると、こうした「インターンシップ」に名を借りた無償労働や低賃金労働は日本だけでなく各国で見られるそうです。それでも、仮にも語学を学び、通訳や翻訳を仕事にして食べていこう、それで社会に貢献していこうという若い方々を育てている私たち学校関係者は、こうした流れに竿をさしてはいけないのではないでしょうか。

そして例えば語学について「ちょろちょろっと喋ったり、書いたりするだけ」とか、通訳や翻訳について「話せれば訳せる」などといった社会通念を少しでも変えていけたらいいなと思います。