インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

同調圧力から逃れるためのメンター

鴻上尚史氏による人生相談を読みました。帰国子女のお子さんが学校のクラスで浮いた存在になっていると悩むお母さんの悩みに答えたものです。

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鴻上氏は「同調圧力の強さと自尊意識の低さが日本の宿痾」と喝破した上で、とても現実的な解決策を提案します。その策のいずれも、ご本人たちのある程度の忍耐と努力を必要とするものでした。私は、確かに現実的にはそうやって粘り強く「たたかって」いかなければならないよなあ、と思いつつも、そんな「たたかい」を必要としない社会にして行かなければならないよなあ、とも思ったのでした。

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https://www.irasutoya.com/2017/02/blog-post_57.html

日本における同調圧力の強さについては、日々色々な場面で痛感することしきりです。そして自分はそうした圧力から常に自由でありたい、逃れ続けていたいと思ってきた人間ですが、それでも知らず知らずのうちに同調圧力に屈していたり、時には自らその圧力に荷担していたりすることがままあって(特に教育という場に身をおいていると)、ちょくちょく「あ、いかんいかん」と軌道修正しています。

私が同調圧力から逃れるために、あるいは同調圧力を極力客観視できるようにするためのに「メンター(恩師・導く者といったような意味です)」としているは中国語圏の人々です。

中国語圏の社会にだってもちろん同調圧力のようなものはありますが、みなさん基本「あんまり気にしてない」。“蘿蔔青菜各有所好(蓼食う虫も好き好き)”、“上有政策下有對策(上に政策あれば下に対策あり)”、よそはよそ、うちはうち。人と違っても気にしないし、自分と違う感覚の人がいてもあまり関知しないのです。まあ中国語圏以外だって同様かもしれませんけど。

天津に留学していたころ、夏の暑い盛りには“膀爺”をよく見かけました。上半身裸で往来を闊歩しているおじさん(主に)です。海外では「北京ビキニ」などと称され、上半身全部脱いじゃう方以外に、シャツをたくし上げてお腹の部分だけ出してるおじさん(主に)も。「暑けりゃ、脱ぐ! それが何か?」というこのフリーダム。

“蹭涼族”という言葉もあります。“蹭”は「ちゃっかりもらっちゃう」みたいな意味で、デパートの扇風機やエアコン売り場とか、銀行とかコンビニとかに、涼むためだけに居座っちゃってる方々です。「暑けりゃ、涼む! 何か文句ある?」と。基本、他人が自分のことをどう思うかなんてあんまり気にしないんですね。

まあ日本にだって、家電量販店のマッサージ機に陣取ってるおじさんやおばさんは出没しますし、スーパーなどで少しでも製造年月日の新しい食品を取ろうと棚の奥に手を突っ込んで書き出している「ごうつくばり」さんはいますけど。

qianchong.hatenablog.com

それはさておき、最近私が「日本は特に同調圧力が高い社会なのかな」と感じたのは、とある公共交通機関におけるマナー広告を巡ってでした。一時期話題になったこの広告、中国語圏からの留学生はどう感じるのかなと思って、意見を聞いてみたのです。

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特に後半の「電車内で化粧」については、ほとんどの留学生が「別に何も……」でした。「まあそういう人もいるのかな、という感じ」。これだけ価値観が多様化している現代の、特に大勢の人間が暮らしている大都会であれば、いろいろな人がいて当然だし、いちいち気にしたりしない……と。

むしろ「あんなに揺れている車内で、よくアイシャドーなど塗れるなと感心する」といった意見もあり、また「そもそも自分の国にいるときはメイクなんてほとんどしなかった。日本に来て、周りの方がみんなメイクしているので私も少しは、と思った」という、日本における新たな同調圧力の存在を教えてもらったりもしました。

そうなんですよね。中国語圏を旅していて気持ちが楽なのは、外見が現地の方とそれほど違わないので溶け込んでしまうことができ、誰も私のことなんて気にしてない(だからこっちも気にしない)という開放感です。まるで透明人間になったような感じとでもいうか。もちろん人様の国ですから「旅の恥はかき捨て」的な無礼はないよう心がけていますが、日本にいると常時まとわりついてくるような同調圧力を感じないのです。

まあそれは旅行者や留学生という一種の特殊な身分だからかもしれません。現地の社会に溶け込んで仕事や生活をするようになればなったで、また日本とは違う種類の同調圧力がかかるのかもしれません。それでも、彼の地の人々の“我行我素(他人がどうあれ私は私のしたいようにする)”という基本的な人生観には学ぶべきところがあるのではないかと思うのです。

もちろん、それが行き過ぎれば社会は秩序を失います。たとえば、中国語圏の留学生が異口同音に言う「日本は街がきれいです」というの、中国語圏のあちこちを見てきた目からすればまあその通りかなと思います。日本にだって「ポイ捨て」やら「歩きタバコ」やら公徳心の乏しい人はたくさんいますけど、それでも日本の往来はかなりキレイですし、社会の秩序も治安もそこそこ高い水準に保たれていると言えるでしょう。これは同調圧力の強い日本だからこそという側面もあるのかもしれません。

放っておけば人々が自分勝手に動いて秩序が乱れるので、たとえば大通りには横断を阻止するために延々フェンスを設置するとか、公共交通機関では入口と出口を別々に設けるとか、そうしたインフラへの支出がなくて済むのは、その秩序が人々の自発的な意思、あるいは相互監視(=同調圧力)によってある一定のレベル以上に保たれているからではないでしょうか。

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市中心屡屡上演跨栏秀 谁之过? - 草根播报

私はそうした日本のあり方も好ましく思う人間ですが、その一方で鴻上尚史氏が宿痾と指摘する同調圧力の高さも問題だなと思います。個々人が自立や自律を尊ぶ矜持と公徳心を保ちつつ、他人の行動や生き方には過度に干渉しないという、その「落とし所」はどのあたりなんでしょうか。

追記

鴻上尚史氏の人生相談、今週も「同調圧力」に絡む内容でした。

headlines.yahoo.co.jp

同調圧力の最も強いもののひとつが「世間」です。田舎になればなるほど、高齢者になればなるほど「世間」を強く感じます。つまりは、同調圧力が強まり、逆らえなくなるのです。

これは……。かつて田舎に憧れて移住して、結局あれこれあって東京に舞い戻ってきて、なおかつ自らが高齢者に近づきつつある私としては、ずしんと胸に響く記事です。同調圧力との「たたかい」は、よほど腰を据えてかからねばならないようですね。