インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「正しければ伝わる」わけではないです

先日の東京新聞朝刊特報欄に「世代を超えた社会運動は可能か?」という、とても考えさせられる記事が載っていました。

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立命館大准教授の富永京子氏が若者への取材を通じて指摘する、大人(あるいは年長世代)と若者の政治や社会問題に対するスタンスの違い。私は若者ではないけれど、確かに年長世代の「常識」に違和感を覚えることがままあります。

先日某駅前を通りかかったら、大音量で演説をしている一団がおり、思わず耳を塞ぎました。お揃いのゼッケンに幟(のぼり)、配られるビラ……はっきりと確かめず足早に過ぎ去ったのですが、どうやら政権批判をする日本共産党の方々だった模様。私は同党の主張に共感する点もあるけれど、正直「アレ」では多くの人に届かないと思いました。

「保育園落ちた日本死ね」などのように、SNSでの拡散が現実を変えることも多い現在、「路上での活動に過度にこだわる態度が、すでに年長者的なのではないか」という富永氏の分析は鋭いと思います。私自身、昔はデモにも集会にも参加しましたが、当時の私でさえ、殺気立った雰囲気で敵を糾弾する年長世代の手法や言葉遣いにはかなりの違和感を覚えていました。それが悪辣な相手に対する正当なカウンターパンチなのだと説明されても。

「取材場所にスターバックスを選ぶと『グローバル企業を支持するのか』と問うような年長世代にへきえき」というのも、本当に同感です。私もとある運動のニュースレターに、デザインとしてほんの少しの英文を配しただけで「アメリカ帝国主義の手先」などと苦情が来た(それも複数)ことがあって、その運動自体にかなり「ドン引き」しちゃったことがありましたもの。

もちろん社会運動が扱う問題は、等身大の分かりやすいものだけではありません。また時には強烈な言葉と手法が事態を動かすことだってあるでしょう。けれど、少なくとも年長世代がこれまで培って来た立場と考え方を頑として変えず、「上から目線」であるいは指弾しあるいは嘆息しても、人は、特に若い人は動かないのではないか……この記事を読んで改めて感じました。

かつてレイアウトの仕事をしていた頃、個人ユニオンを作って会社と交渉をしていたご縁で某労働組合のポスターやチラシを作ったことがありました。ただ、そのあまりに生硬な文章と情報過多に「もう少しシンプルな方が主張が伝わるのでは」と申し上げたところ、「でざいなーさんの意見も分かるけどさ、こっちは正しいことを言ってるんだからいいんだ」と言下に否定されました。

どんなに素晴らしい考え方であっても、伝わらなければ意味がありません。そして「何を」伝えるのかも大切ですが「どう」伝えるかも大切。問答無用で彼我を固定せず、「正しければ伝わる」という信憑を捨て*1、ひょっとしたら自分の考えが古い、あるいは変質してしまっているのかもしれないと常に検証する態度が必要だと思いました。そして、そのための訓練の場所としてTwitterのようなSNSは有効なのではないかとも思いました。

*1:これ、異文化コミュニケーションの現場で日本人が寄りかかる「誠意があれば伝わる」にどこか似ています。