インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

『英子の森』を読んで身悶える

松田青子氏*1の小説『英子の森』を読みました。


英子の森 (河出文庫)

文庫版の帯に、翻訳家の鴻巣友季子氏による解説の一部が惹句として載せられています。

おもしろい。そして怖すぎる。さあ、みなさん、手にとってください、読んでください。「グローバル英語教育」という善人の顔をした魔物の真の恐ろしさがわかりますよ!

その言葉にまさに惹きつけられるように「森」へ迷い込んでみれば……ホントに怖かった。そして「語学業界」に身を置く者としてはなんとも割り切れない、じっとりと寝汗をかいた後のような感覚が残ったのでした。

個人的に「刺さった」部分を抜き出してみますが、物語の雰囲気を先に知ってしまうと興ざめするかもしれません。気になる方はぜひ本作を先にお読みいただきたいと思います。





翻訳について

わからない単語や文法があったりしてすべてが理解できない一文は、にごって見えた。(中略)わからない単語を辞書で引くのは、森の中に分け入るようなもので、木々をかき分け進んでいくと、何も邪魔するものがない野原に出るのだ。それは地道な、けれど壮快な作業だ。

とある著名な文学者にして翻訳家*2が、「外語の原文にあたるときはいつも靄がかかっているような気がする」というようなことをおっしゃっていましたが、この「にごって見え」る感覚、見通しのきかない森の中にいるような感覚は、翻訳をしたことがある方なら共感できるのではないでしょうか。

語学に対する評価の低さについて

「英語を活かせるお仕事☆」
業務:国際会議での受付、クローク係。
時給:1100円

*英語を使わないポジションもございます。お問い合わせください。
時給:1050円

 たった50円。末尾に添えられた一文に今日も力が抜けていくような気持ちになった。英語を使う仕事と英語を使わない仕事、その差50円。なんだこれ。笑ってしまう。でも笑わなかった。一つも笑えなかった。

これはこの小説に出てくる派遣会社からのお仕事紹介メールの文章ですが、実際にこうしたメールは私も日々受け取っています。私は不覚にも笑ってしまいましたが、この語学に対する評価の低さはどうだろうと思います。例えば、かつて私が実際に接したお仕事紹介では、こんなのがありました。

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「仕事内容」に感嘆符つきで書かれている「通訳するだけ!」「商品知識は全く必要ありません!」というのが、通訳という作業への無理解をあますところなく露呈させていて、軽く目眩を覚えるほどです。とはいえ、語学や通訳を「単に口先でちょろちょろっとしゃべるだけ」、ないしは「話せれば訳せる」と思っていらっしゃるクライアント(雇用主)は多いんですよね。

語学に対する評価、あるいは対価の低さについては、ご参考までに、こちらも。

qianchong.hatenablog.com

英語を知らない人は、英語がちょっとでもできる人だとすぐもう英語ができる人だと思う。どれぐらいの程度で英語のできる人なのか見分けることができない。

うんうん、本当にそう。そして英語に限らず、語学の達人と呼ばれる方々は自ら「○○語ができる」とか「ネイティブ並み」とか「ペラペラ」などという形容はしないものです。いみじくも本作の解説で鴻巣友季子氏が「何年か前、日本の翻訳界きっての英語の達人が、『おれ、この一、二年でようやく英語がちょっと読めるようになってきたと思うんだよね』と発言し、周囲が震え上がったことがあった」と書かれているように。

ネットの求人サイトを開いた。「職種」をクリックし、出てきた選択肢から「専門職/その他すべて」をクリックし、「美容師」「エステ・ネイル」「技術者」などの様々な専門職の中から、「通訳、翻訳」をクリックした。「専門職/その他すべて」3326件の中で、「通訳、翻訳」はたった8件だった。(中略)これ以外で、英語を使える仕事となると、今度は「教育」をクリックするしかない。

これも「刺さる」なあ。この描写はまんま、五年ほど前に私がとつぜん失業して、失業保険を受けつつ職安に通っていた時の情景に重なります。英語ですらこのありさまですから、中国語はもっと悲惨な状況でした。就業相談のカウンターで接してくれた職安の職員は例外なくみなさん「あなたの年齡や条件に合う仕事はないです」と顔に書いてありましたもの。

語学学校の功罪について

電車の中には、専門学校や検定、資格取得の案内など、いろんなジャンルのいろんな広告が貼ってあった。その広告も「新しい扉が開く!」「新しい自分に出会えます」と、いろんな理由で疲れた顔たちに魔法の呪文をかけようとしていた。語学学校や海外留学の広告もいくつかあったが、そのほとんどが英語関連だった。いろんな魔法がある中で、自分がかかったのは英語の魔法だった。理由はよくわからないけど、そうだった。英子は、一枚一枚広告を剝がしてまわりたいと思った。これ以上誰のことも騙してほしくない。

講師の人たちも、一線で活躍しているプロの方ばかりですって言われているけど、ほんとは、みんな学校の卒業生なんだよね。高いお金出して、コースの一番上まで上りつめて、結局今度はそこで教える側にまわるしかないってなんかむなしいよね。

この二つは、現在専門学校や通訳学校で通訳や翻訳を教えている私にとってはかなり手厳しい描写です。実際、同時通訳まで訓練する高いレベルの通訳学校であっても、履修後にフリーランスのプロ通訳者になる方は何十人に一人、ひょっとしたら百人に一人いるかどうかという数字だと思います。求められる語学的なレベルの高さもさることながら、もっと大きな理由はフリーランスのお仕事のみで食べていくのが極めて難しいからです。

実際には私のようにいくつかの固定の仕事を掛け持ち(その分フリーランスで仕事を承けにくくなるというジレンマに陥りながら)にするか、インハウス(社内)通訳者として稼働する方がほとんどで、そのインハウスにしても通訳翻訳専業という方は珍しく、たいていは通常業務に通訳翻訳的な作業が含まれているというパターンではないでしょうか。しかも私は、ここでもまんま「コースの一番上まで上りつめて、結局今度はそこで教える側にまわ」っている人間なんです。いやはや。

グローバル化と英語教育への狂奔について

グローバルって本当にあるんですかね? もし本当にグローバル化する社会なんだったら、どうして英語を使う仕事が日本にはこんなに少ないんですか? なんでわたしみたいに、どうにもならない状況の人がふきだまりみたいにいっぱいいるんですか? 英語学校も留学を斡旋する旅行会社もいい部分だけ見せて、後は責任取りませんって感じで、勝手すぎますよ。グローバルなんて都市伝説と一緒。信じた方がバカみたいっていうか。

端的に言って、単一の言語で高等教育まで行える日本という国は、世界の中でもかなり珍しい、ある意味幸福な国だと思います。そして、世界がどんどん相互に影響し合い、国境を越えて流動しつつあるとはいえ、だからといって来年、あるいは数年のうちに一気に世界のグローバル化が完了するわけでもありません。何十年というスパンで物事を見るべきだし、その間にも私たちは働いて食べて生きていかなければならないのです。

この国には英語など使えなくても構わないから豊かな日本語を使って行われるべき仕事、そして若い人に引き継いでいくべきたくさんの仕事があります。英語やその他の外語を使って世界を飛び回る人もある程度は必要ですし、海外からの移民もこれからは増えていくかもしれません。でも一方でそうした人々の数とは比べものにならないほど多くの人が日本語で仕事をしています。今もそうですし、これからも当面のあいだはそうでしょう。医療も、介護も、食糧生産も、公共サービスも、建築も、インフラ整備・保守・管理も、治安も……。

「英子の森」の筆致はとても辛辣ですが、ここに描かれている一種のアイロニカルな喜悲劇は、幼児期から英語に狂奔する多くの日本人に「まあまて、落ち着いてよく考えるんだ。目を覚ませ」と発された警句だと思いました。そして、その「狂奔」にいくばくかの手を貸していると言われてもしかたがない現在の私は、この作品を前に「これからどうすればいいか」と身悶えているのです。

*1:かつて初めて読んだ松田氏の作品は『スタッキング可能』でした。村上春樹作品の英訳者として知られるジェイ・ルービン氏の講演を聞きにいった際、氏が「最近気になる日本の作家と作品」として挙げており、読んでみたのです。一読、その奇妙な物語世界に引き込まれました。

*2:たぶんスラヴ文学者の沼野充義氏ではなかったかと思うのですが、裏を取れませんでした。