インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「歩留まり」の悪い教育

中国文学者の高島俊男氏が、ご著書で「教育とは歩留まりの悪いもの」とおっしゃっていました。どのご著書だったのか、手持ちの蔵書にあたってみるも、結局見つけられなかったのですが。「歩留まり」だなんて、まるで学生さんたちを生産ラインに並ぶ機械の部品みたいに……と思われるでしょうか。でも私にはこれ、とても腑に落ちる言葉だったのです。

教育にもいろいろあって、こどもに対する義務教育のような段階と、私が現在関わっているような成人してからの職業訓練とでは、その意味合いも内容も大きく違います。ですからとりあえずは成人教育に限りますが(というか、それしか書けません)、確かに高島氏のおっしゃるとおり「歩留まりが悪い」なあと思います。

例えば通訳や翻訳の訓練にしたって、そのクラスを履修した生徒さんのうち、どれくらいの方が実際に通訳者や翻訳者として稼働し始めたか……。統計を取っているわけではありませんが、私が把握している限り100人に1人もいないと思います。驚くべき「歩留まりの悪さ」ではありませんか。

誤解のないように申し添えておくと、生徒さんの全員がフリーランスの通訳者や翻訳者になろう・なりたいと思っているわけではなく、多くは企業などに就職して、その業務の中でときに通訳や翻訳も行う、そのスキルをもっと高めたいと思っている方が大半です。もしくは母語と外語の二つが使えるとなれば、必然的に通訳や翻訳を行う機会も増えるだろうから、その技術を磨いておきたいとか。

ですから、通訳や翻訳で「食っている」方が100人に1人もいないからといって、それは特段嘆くようなことではないのかもしれません。それでも、あれだけ膨大で厳しい訓練を課したのに、それが活かされるチャンスが極端に少ないというのは、何かが歪んでいるような気がしてならないのです。

ニーズに合わない

この件に関して、先日、職場の同僚から教えてもらったこちらの資料がとても興味深く思えました。毎年開かれているという、留学生に教育を行っている教職員のための「外国人留学生就職支援研修会」のレポートです。

http://blog.asialink.jp/campus/20171127/

レポートの内容は多岐にわたるので、ぜひ上のリンク先からご覧いただきたいのですが、私がいちばん興味を持ったのはこちらのスライドでした。

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日本の企業は、通訳・翻訳業務のためだけに留学生を「正社員採用」することはまずないと。通訳や翻訳の業務が一部に含まれることはあっても、むしろ留学生には母語を使って顧客開拓や市場調査などをしてほしいんですね。

でもその一方でこちらの資料。これは法務省の入国管理局が発表している、「留学」から「就労」への在留資格変更に関する資料で、職務内容別許可人数のトップは「翻訳・通訳」となっています。これを見て留学生は「通訳翻訳業務」での就労を志し、そのために私たちのような学校に入学してくる方もいるのですが、現実的には上記のように「まずない」。このギャップは大きいように思われます。

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なんだかますます、通訳や翻訳の教育に一枚も二枚もかんでいる私はいたたまれない気持ちになってきました。単に幻想を振りまいているだけではないのかと。もちろん通訳翻訳訓練そのものは別にそれを主たる業務としなくたって、語学や様々な業務に有益だとは思いますが、とにもかくにも「出口」がこんなに狭くては、ね。

そしてまた身悶える

以前に読んで「身悶え」た、松田青子氏の小説『英子の森』を思い出してしまいました。

ネットの求人サイトを開いた。「職種」をクリックし、出てきた選択肢から「専門職/その他すべて」をクリックし、「美容師」「エステ・ネイル」「技術者」などの様々な専門職の中から、「通訳、翻訳」をクリックした。「専門職/その他すべて」3326件の中で、「通訳、翻訳」はたった8件だった。(中略)これ以外で、英語を使える仕事となると、今度は「教育」をクリックするしかない。

電車の中には、専門学校や検定、資格取得の案内など、いろんなジャンルのいろんな広告が貼ってあった。その広告も「新しい扉が開く!」「新しい自分に出会えます」と、いろんな理由で疲れた顔たちに魔法の呪文をかけようとしていた。語学学校や海外留学の広告もいくつかあったが、そのほとんどが英語関連だった。いろんな魔法がある中で、自分がかかったのは英語の魔法だった。理由はよくわからないけど、そうだった。英子は、一枚一枚広告を剝がしてまわりたいと思った。これ以上誰のことも騙してほしくない。

教育の成果というものは、一朝一夕に、あるいは卒業時に合わせて出るとは限らず、長い人生の中で後から振り返った時に「ああ、あそこで学んだことがいまこうやって活きているんだな」と思えることもあります。だから短期的なスパンでものを見てはいけないとは思うのですが、かといって「就職できない」「食えない」問題についてそんな悠長なことを言っているヒマはありません。

自分自身、ずいぶんいろいろな回り道をしていまの仕事にたどり着いているので、若い方々に長期的なスパンでものを見ることもお伝えしたいのですが、いかんせん時代も世界の状況も違います。そして、なにより生徒さん自身が、こう言ってはなんですがずいぶん「消費マインド」というか「投資マインド」というか、とにかく最小限のリソースで最大限のリターンを……と願う方が多い。

消費マインドや投資マインドに照らせば、歩留まりの悪さはいちばんのマイナスポイントでしょう。その齟齬を目の前にして、また私は「身悶え」ているのです(端から見ると、気持ち悪いですね)。この件についてはまた稿を改めて考えてみたいと思います。

qianchong.hatenablog.com