インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

二つの対照的な対談

土曜日の午後、二つの対談イベントを「はしご」してきました。期せずしてとても対照的な対談でした。

一つは、ピーター・バラカン氏と佐々木俊尚氏の対談です。池袋の東京芸術劇場で開催されている『Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙』というジャンル横断的芸術イベントの一つとして行われたトーク・セッションで、お題は「メディアの行方」。

展示スペースの一部を使ったこぢんまりとした会場で、しかもたった一時間でグローバル化するメディアを論じるのは難しいと思うんですけど、結果としてとても刺激的な対談でした。ピーター・バラカン氏との対談ということで、佐々木俊尚氏が冒頭で様々なメディアの中でも特に「音楽」、とりわけ音楽の聴かれ方について話したい、とテーマを明示したのがとてもよかったと思います。

私も通訳学校などで公開講座やセミナーの講師を仰せつかることがありますが、最初に、今日は何について語り、みなさんに何を持って帰っていただきたいかということを明示するようにしています。これによって聞き手も主体的にイベントに参加できるようになると思うんです。もちろん中身が充実していなければ意味がないので、準備には時間をかけないといけませんが。

バラカン氏と佐々木氏なら準備なしで「放談」しても内容に遜色はないと思いますけど、それでもお二人はたぶん対談前に簡単な打ち合わせというか、すりあわせをされていたのではないかと思います。お二人が対談の方向性を共有しつつ自分のコンテンツを提供しようという姿勢がとてもよく伝わってきました。

どちらかというと佐々木氏が聞いてバラカン氏が答えるというスタイルでしたが、お二人とも同じくらいの時間話されていましたし、話がうまくかみ合ってお互いをフォローしつつ発展性がありましたし、短いながらもとても満足度の高い対談でした。

いろいろな話がありました。なかでも、グローバル化が世界を一色に染めようとする一方で、ローカルなものが全く別の地域の人たちとと繋がる可能性が生まれているという「グローカル」の話題と、音楽の聴かれ方の今後の可能性、特にYouTubeやパンドラのようなクラウドから聴くことが主流になりつつあることなどが特に興味深かったです。

ところで、最後に質疑応答の時間があったのですが、質問に立ったうちのお二人ほどがいずれも「時間に遅れてきて途中から聞いたのですが」と言っていて、ちょっと驚きました。たった一時間の対談に遅れてきて、しかも全部聞いてないけど質問するというの、対談者に対しても聴衆に対しても失礼なんじゃないかな。しかも質問内容が「○○について、今日の対談で話されましたか?」だったりして。もっともお二人はそんな質問にも嫌な顔をせず、さらに興味深いお話を聞かせてくださいましたが。

通訳学校でセミナーなどを開催するときにも、遅れてくる方が必ずいらっしゃるんですけど、あれはとてもやりにくいです。冒頭で提示するテーマや今日の方向性を共有していただいてないと、こちらも話しにくいんですよね。それで話の途中でもう一度簡単にテーマに触れたりして。最初から参加されている方には迷惑な話だと思います。

もう一つは、アテネ・フランセで行われた字幕翻訳者の太田直子氏と映像評論家の安井豊作氏の対談です。

1930年代に撮影されたハワード・ホークス監督の映画『ヒズ・ガール・フライデー』を鑑賞したあとに、この映画の字幕を担当された太田氏と映像作家でもある安井氏が「映画にとって翻訳はいかにあるべきかを翻訳論と映画論の立場から考えてみたい」というのが対談の趣旨だったんですけど……ここまで空疎な対談は初めてでした。

いや、太田氏は中身のある話をしようとするんですけど、安井氏が全部ぶち壊しちゃう。対談の方向性を共有しようという姿勢が全く見られませんし、そもそも何を話しているのかさえ意味不明でした。何の準備もしていないのがよく分かります。あまりにひどいので途中で退席してしまいました。

あと15分くらい残して退席しましたが(私の他にもぱらぱらと退席する人がいました)、そのあと15分間に対談の中身が一気に濃くなって……ということはあったのかもしれません。でもあの安井氏の不誠実さに我慢ができませんでした。太田氏は『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』など著作を何冊か読んでとても共感していたので、対談を楽しみにしていたんですけど。もって他山の石としたいと思います。

時間に遅れてくる聴衆に憤っておきながら、自分は対談が終わる前に出てきてしまったという、なんだか情けない結果になってしまいました。