インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

東京今昼冷清清

  中国人講師の代講で、会話の授業を担当しました。
  学生はほとんどが日本人で、私ももちろん日本人。なのに授業では最初から最後まで全部中国語です。
  こういう授業って、盛り上げるのが大変なんですよね。
  もちろん、まずは自分の授業の進め方を反省すべきなのですが、それにしてもあの冷え冷えとした雰囲気は尋常ではありません。日本人の学生は発言が少なくて、おとなしいのです。少数の例外を除いて、指されなければしゃべらないし、指されても蚊の鳴くような小さな声でぼそぼそと二言三言。なぜあんなに元気がないんでしょうね。毎日猛暑日だから?
  義務教育ではないので、積極的に授業に参加する気がないならやめちゃいなさいと言いたいところですが、まあそうもいかず、何とか盛り上げようとします。が、雨にぬれた薪のように火がつきません。
  同僚とこの原因についていろいろ意見を交わしたのですが、ひとつ思い当たる節がありました。
  「日本人同士が中国語で話すことにリアリティを感じていないのではないか」
  なるほど。お互い日本語でコミュニケーションが可能であることを十分に承知していながら、なぜわざわざ中国語で話さにゃならんのと。それってウソっぽいじゃんと*1
  コミュニケーションは、それが是が非でも必要とされる時には何が何でも成立させようと必死になりますが、日本人同士が中国語で話すとなると、その必要性が全く感じられないわけですね。それでしらけてしまうわけです。
  いや、いかにも現実的で功利主義的な考え方です。私自身は、語学は演じること抜きにはマスターできないと考えているし*2、なにより日本人同士が中国語で話すことにある種の「かっこよさ」を感じる人間なので、ちょいと与しかねる考え方ですが。
  学生が思わず身を乗り出して会話に参加したくなるようなネタをふることができるよう、努力すべきなのでしょうね。

*1:ついでに私の中国語もかなりウソっぽく聞こえるのでしょう。なにせネイティブスピーカーじゃありませんから。

*2:ただしこの「演じる」こと、言い換えれば人前で「恥」を捨てることは誰にでもできるわけではないでしょう。だいたい、誰もかれもが恥を捨て去って外語をマスターする必要はないし、誰もかれもが恥を捨て去って芝居っ気たっぷりに振る舞い、我先にと発言することをよしとするような社会に暮らすのは、私だってごめん被りたいです。