インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

臨死体験(上下)

立花隆/文春文庫/ISBN:4167330091 ISBN:4167330105)を読む。事故や病気などで生死の淵をさまよった人が生還したあと、異口同音に語る光やトンネル、花畑や「三途の川」や体外離脱、果ては宇宙との合一感やUFO体験……。「臨死体験」と呼ばれるこれらは、果たして脳の生み出した幻想なのか、それとも「あの世」が実在する証拠なのか。
立花隆氏は「臨死体験」について様々な研究事例や実際の体験談などを豊富に紹介しながら、この「脳内現象説」と「現実体験説」のはざまで思考を繰り返す。現在の科学では割り切れないとさじを投げることもせず、オカルトに走ることもしないその探求姿勢に引き込まれる。上下二巻の大著だが、あっという間に読み終えてしまった。
私自身は神の存在を全く信じていない。いや、それどころかあらゆる宗教は脳が生み出した観念の世界だと考えている*1し、死後の世界はおろか霊魂も超常現象も、さらには墓だの葬式だの各地に伝わる風習だのお祭りだのといったものにさえも意義を見いだしていない*2。初詣にさえもう長いこと行っていないというゴリゴリゴーマンな唯物論者だ。
そんな私でもこの本を読むと、確かにそれだけでは割り切れないものがこの世の中にはあるのだなあと認めざるを得ない。立花氏も言う通り、科学は未だプリミティブな発展段階にあって、こと人間の意識や心理といった問題についてはまだほとんど明らかになっていない、というのが実際のところなのだろう。
人は死ぬときかなりの確率で、いやもしかするとすべての人が、完全なやすらぎの中でこれまでに体験したことのない充足感と悟りにも似た納得感を得るという。それならばなんだか死ぬのも楽しみに思えてくるではないか。立花氏は最後にこう結ぶ――「生きている間は生きていることについて思い悩むべきである」。同感だ。

*1:私の母はとある宗教の熱心な信者で、私は幼い頃からその宗教の価値観で育てられた。母親にしてみればわが子を思うあまりの行動だったのだろうが、いやもう、まったくもってひどいことをされたものだ。ほとんど災厄と言ってもいい。青春を返せ、と言いたい(笑)。長じてのち、自分の意志でその宗教の呪縛から逃れるまで非常に長い時間がかかった。自分一人でその宗教のおかしさを見極め、訣別できたことを私は今でも誇りに思っている。

*2:だからといって、それらをやめろなどとはもちろん言わない。他人がそういうことに意義を見いだすのは当然ながら自由だ。