インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

語学も自分との対話

通勤時間を使って英語とフィンランド語を学んでいるDuolingo、一週間ごとに30アカウントからなる「リーグ戦」が行われていて、上位5名に入るとひとつ上のリーグにあがることができ、逆に下位5名に入るとひとつ下のリーグにさがってしまいます。

いちばん上のリーグは「ダイヤモンドリーグ」で、ここは上位25名までがリーグに残留できて、下位5名はひとつ下の「黒曜石リーグ」にさがります。私はここのところしばらくダイヤモンドリーグに残留し続けてきたのですが、先々週、ちょっと気を抜いた隙に26位になってしまい、リーグ落ちしてしまいました。

どのリーグも上位5名ほどはみなさん数千XP(experience points = 経験値)単位で学ばれていて、いったんダイヤモンドリーグから落ちると、もう一回這い上がるのはけっこう大変です。なにせ基本1レッスンで10XPしかつかないのですから。

しかも私はDuolingo Proに入って年会費は払っていますが、それ以上の課金はしないことをマイルールにしているので、先週黒曜石リーグからダイヤモンドリーグへ復帰するときはかなりやりこみました。通勤時間だけでは足りず、そのほかの時間も使って。

それでまあ首尾よく返り咲きはできたのですが、ふと「こういうやり方はよくないな」と思いました。もちろんそれだけ語学を勉強できるのはよいことですし、そうやって語学を習慣づけるのがDuolingoを使う目的でもあります。多少のプレッシャーを自分に与えるのも習慣化には欠かせないtipsでもあります。ただ、誰かと競って得点やリーグ残留ばかりを追い求めるその気持ちがよくないなと。

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パーソナルトレーニングのトレーナーさんが言っていた名言に「トレーニングは自分との対話」というのがあります。健康のために体幹を鍛えるにせよ、筋トレに勤しむにせよ、いずれも他人と競ってどちらが上か下かを競うものではありません。個々人の体格も健康状態もトレーニングの目的も異なるのですから、競うこと自体意味がない。ただただ自分と対話して、ここまで自分はできるようになった、ここがまだ自分にはできない……それらを確認しつつ自分で課題を設定してこなして行った先に結果がついてくると。

私は語学も身体トレーニングの一種だと思います。それは母語で使っていたそれまでの自分の唇や舌や口腔や声帯や呼吸、そして脳のシナプスの繋がり方を改変し、増強して、新たな言語を身体で操ることができるようになるプロセスだからです。

だから語学もまた自分との対話であり、人と比べることに意味はないと最近は思っています。最近は、というのは、昔は常に人と比べ、人よりも上手く外語を操ることができるという点に無上の価値を見出していたからです。今となっては自分の考えの甘さに「ドン引き」ですが、若い頃は中国語なら中国語のネイティブスピーカーになる(後天的にネイティブスピーカーに「なる」というのからして語の矛盾ですが)ことを目指していたのです。

Duolingoがそのその仕組みに取り入れているように、他の人と競うことはある程度までは学習にプラスに働くこともあるでしょう。でも過度に競争に傾斜して、自分が本当は何をしたいのか、自分はその語学を通してどういう人間になりたいのかを忘れては本末転倒なのです。これからはリーグの名前やXPの数に拘泥するのはやめようと思いました。