留学生の通訳クラスで、SF小説『三体』の作者・劉慈欣氏のインタビュー映像を教材に使ってみました。
発言の中に、中国の作家・莫言氏について語っている部分があって、“現実主義”という言葉が出てきました。文学においては「リアリズム」とでも訳せるでしょうか。話の流れで「じゃあ“現実主義”と対置されるのは何でしょうね」と聞いてみたのですが、みなさんあまりそういう話には興味はないようで、どなたからも返答がありませんでした。
まあ普通は“浪漫主義(ロマンチシズム)”でしょうか。日本語で「ロマンチック」といえば肯定的な意味にも、やや揶揄したような否定的な意味にも取れますけど、中国語で“浪漫”はほとんどの場合「空想的に過ぎる」という意味合いで否定的な用いられ方をされるように思います。“你的想法太浪漫了(君の考えは甘いよ)”みたいに。
考えが甘いと言えば、中国語には“想得美”という言葉もあります。直訳すれば「考え方が美しい」ということですけど、実際の語感は「考えが甘い」という感じ。授業でふとその言葉を思い出したので「チャイニーズのみなさんはおおむね“現実主義”だけど、日本人はたいがい“浪漫主義”ですよね。だっていつも“想得美”だもの」と言ったら、みなさん長い日本での生活の中でそれぞれが何か思うところがあったのか、大爆笑していました。
授業でウケを取るのは嬉しいですが、私は一人の日本人としてちょっと悲しくなりました。そういう話を振ったのは自分なんですけれども。でも、実際に仕事の現場で華人(チャイニーズ)と日本人の間に立っていると、華人に対しては「ああ、なんとリアリズムの人たちなんだろう」と思う一方で、日本人に対しては「ああ、なんと“想的美”なことだろう」と思うことが非常に多いのです。当然ながら例外もありますけど、華人のほとんどは圧倒的にゴリゴリのリアリズムで生きてらっしゃるような気がします。その一方で日本人は、特に異文化や異民族に対して脇が甘いというか「うぶ」というか、どこか「誠意があれば伝わる」みたいなものを信奉しているフシがあります。
華人がなぜリアリストなのかを推測するのは私の手に負いかねますが、古来からいくつもの王朝が入れ替わり、民族同士のせめぎ合いがあり、近現代においても激動の歴史に身をさらし続けてきたがゆえの結果なのかもしれません。日本だってそれなりに山あり谷ありだったわけですが、幸か不幸か華人のそれに比べれば規模やインパクトが一回り小さいんじゃないでしょうか。まあ人の数だって一回りも二回りも少ないんですけど、こちらは。
いまもまた新型コロナウイルス感染症への対策にせよ、オリンピック・パラリンピックにせよ、あまりにも“想得美”な事態が現在進行形で続いています。華人留学生のみなさんが「日本人は“想得美”」と言ったとたんに大爆笑したのは、日々この国に暮らしていて、そういう日本の不可思議な光景を「日本人って呑気だなあ」と、日頃から奇異の目で見つめていたからなのかもしれません。