インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

詩の引用がカッコいい

しつこく能『融』と中国の詩についてです。この能には、もうひとつ中国の詩が引かれています。それは賈島の『題李凝幽居』に出てくる“鳥宿池中樹/僧敲月下門(鳥は宿す地中の樹/僧は敲く月下の門)”です。 

賈島「題李凝幽居」 相原健右・訳   

閑居少鄰竝  静かでわびしい住まいに隣り合う家はなく
草径入荒園  草の小道は荒れ放題の庭へと続く
鳥宿池中樹  鳥は池辺の木にとまっている
僧敲月下門  僧侶は月明かりの下、門をたたく
過橋分野色  橋を過ぎても野原の気配を続かせ
移石動雲根  雲のわく石を山中から移し据えている
暫去還来此  しばらく離れていたが、私はまたここにやってきた
幽期不負言  あなたとの約束、決して言に違うことはない
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_koten/archive/koten19_13.pdf

作者の賈島が、洛陽の都大路をロバに乗りながらこの詩を作っていて、「僧は敲く」にしようか「僧は推す」にしようか迷っていたところ、韓愈という高官の行列にも気づかず、通常なら無礼に当たるものの、詩人としても名高い韓愈が事の次第を聞いて「敲く」が良いとアドバイスした……「推敲」という言葉の元になった故事とともに有名な詩です。

能『融』では、かつて融の大臣(おとど)と言われた源融が宴をたびたび開いたという籬が島(まがきがしま)を、地元で汐汲みをしているという老人(実は融の亡霊)が旅の僧に紹介するシーンでこの詩が出てきます。僧が島の樹の枝にとまってさえずる鳥や月影の映る門などを思い浮かべつつ古人の心に思いを馳せると、老人は「それはひょっとして賈島の詩のことでは?」とそのココロを察し、この詩の一節を引いて「鳥は宿す池中の樹」と水を向けるや、僧が即座に「僧は敲く月下の門」と返す……って、ちょっとちょっと、ふたりとも教養ありすぎ、かつカッコよすぎます。

そしてまた、当時の観客もこのシーンを見ながら「ああ、賈島のあの詩ね」とか「推したり敲いたりという『推敲』の比喩がなんとも秋の暮の心もとない雰囲気に重なって味わい深いよね」などと深く得心していたのかしらと考えると……こちらもまたクールでカッコいい。

現代の私たちに例えて言えば、別れのシーンで「I’ll be back!」と言えば「おお、ターミネーターね」とニンヤリするとか、片方が“Life is like a box of chocolates.(人生はチョコレート箱のようなもの)”と言えばもう片方が“You never know what you're gonna get.(開けてみるまで何が入っているかわからない)”と返すようなものですか。……う〜ん、ぜんぜん違うか。とにかく漢籍の素養がほとんどない私のような人間にはちょっと信じられないような教養人の愉楽なのです。

この詩は仕舞『東北』をお稽古したときにも出てきました。和泉式部にゆかりのある東北院(東北地方の東北ではなくて、京の都の東北=鬼門を鎮めるための寺院)で和泉式部(の亡霊)がかつての有様を語りつつ舞う場面で「鳥は宿す池中の樹/僧は敲く月下の門」が引用されているのです。この部分の謡は「鳥は宿す地中の/樹僧は敲く月下の門」と変なところで切って謡いがちなので注意するように、と教わりました。「樹僧」ってなんだ、というハナシですよね。

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https://www.irasutoya.com/2013/02/blog-post_1501.html