インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

名刺は単なるツール?

先日Twitterで見かけて、思わず笑ってしまったこちらのツイート。

笑ってしまったものの、私など若い頃にこうした「作法」を仕込まれたくちなので、今でもこれに近い形で名刺交換しています。そういえばほぼ無意識のうちに「頂戴いたします」なんてフレーズも口にしています。確かにこれは芸事の「型」に近いかもしれません。

とはいえ、茶道だってその他の芸事だって、そこで行われている「型」にはそれなりの歴史と意味があるような気もします。でもこの名刺交換に代表される日本企業ならではの「作法」は、まああまり意味ないものが多いかも知れないなと(海外で働いたり、異文化の人たちと一緒に働いたりしてきた)今では思います。

以前、いくつかの日本企業で新人研修の通訳をする機会がありました。中国や台湾などで採用した新入社員を日本の本社に呼び、一週間ほど泊まりがけでその企業の「作法」や仕事のやり方を覚えるという研修です。

そこでは名刺交換はもちろん、出社してから退勤するまでの様々な立ち居振る舞いについて日本式の「作法」が教授されていました。挨拶の仕方、お辞儀の仕方、電話の受け答え、メモの残し方、ファックス(!)の送受信などに始まり、席を立つときは椅子を机の下に入れるとか、作業中の書類を机の上に置きっぱなしにしないとか……そうした細々とした事柄が、しかしすべての具体的な「そうしなければならない理由付け」とともに指導されていたのです。

私は(もちろん通訳業務ですからできるだけ忠実に訳そうとしながらも)内心「こんなに事細かに『作法』を指導して、中国や台湾の意気盛んな若い人たちが幻滅しないかしら」とひやひやしていました。まあ、日本企業で働く以上は「郷に入っては郷に従え」で、日本式のやり方を知ることは無用なトラブルを呼ばないためにも大切だとは思うのですが、その生産性の低さがつとに指摘されている日本企業の側にも変えていくべき事柄はあるんじゃないかと。

少なくとも上掲のような名刺交換の「作法」は、特に相手を立てるために名刺入れを持った手を相手より下げるとか(お互いがやり合ってたら地面に付いちゃいそう)相手の名刺の文字が指で隠れないようにするなどを異文化の人たちにまで「指導」するのはもうやめればいいのになと思います。

最近、田中信彦氏の『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』という本を読んだのですが、この本にはこうした名刺交換に見られるような日本ならではの「作法」にも通底すると思われる、日本人と中国人のものの見方考え方の違いがとてもビビッドに描かれています。


スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

名刺は、相手の名前や肩書きや連絡先などを知るためのツールであり、それ以上でも以下でもないと中国人なら考えるでしょうけど、日本人はたぶん名刺そのものに何か魂が宿っているような、であるからしてその交換にも一定の「作法」なり「儀礼」なりが必要だと――それが「スジ」だと――考えるのだろうなと思いました。

追記

名刺交換の「作法」なんてやめちゃえばいいのにと威勢のいいことを言っている私ですが、じゃあ自分の個人の名刺(勤め先やエージェントさんなどが用意してくれるものではなく、フリーランスとして仕事をするときの名刺)は情報を知るためだけのツールと割り切っているかというと……実はそうではないんですね、これが。

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こんな感じで、厚手の紙に活版印刷ふうの凹凸が出る印刷で作っています。これは東京都あきる野市活版印刷を手がけておられる「Bird Design Letterpress(バードデザインレタープレス)」さんにデザインと印刷をお願いしたものです。活版ならではの独特の雰囲気とシンプルなデザインが大好きで、引っ越しをするたびにこちらで新しく作っていただいています。

birddesignletterpress.com

日本人の仕事の仕方も刷新が必要だなどと息巻きつつ、こういうところに私もけっこう「スジ」を重んじる日本人的要素が残っているんだなと思います。