インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

引き際と語学講師の待遇について

先日の東京新聞朝刊に、俳優の長塚京三氏へのインタビュー記事が載っていました。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018110202000253.htmlwww.chunichi.co.jp

JR東海のCM「そうだ京都、行こう」のナレーションに25年でひと区切りをつけることについて、「惜しむ言葉をたくさんいただくうちが理想的な引き際」とおっしゃっていて、本当にその通りだなあと思いました。

youtu.be

引き際を逃してしまう方って、様々な業界にいらっしゃるじゃないですか。それはご本人の執着でもあるかもしれませんが、むしろ周りが「引かせない」ということもあります。その方が、その業界での大御所であったりした場合は特に。

学生時代に、故・永六輔氏の講演を聞いたことがあります。その中でとても印象深かったのが、文学座の看板俳優であった故・杉村春子氏の当たり役、『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作)のブランチに関する意見です。永六輔氏いわく「いつまでも主役を張っていてはいけない」。当たり役だからといって、その人がいつまでもその役を手放さないでいたら、後進が育たない。それに高齢の大俳優になるほど、中年のブランチという人物の造形とはかけ離れていき、無理が生じるが、それを周りも指摘できないようになっていくと。

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http://www.bungakuza.com/about_us/michi/sugimura2.html

そして永六輔氏は、このようなことも言っていました。「杉村さんほどの実力ある大俳優が一歩引いて若手を引き立てる一方で、脇役やチョイ役で登場し、その短い登場時間の中でも『さすがは杉村春子』と大向こうをうならせるいぶし銀の演技を見せる方がよほどカッコいいではないか」。

「いつまでも主役を張ってるんじゃないよ」という、永六輔氏一流の、愛のある批判だと思いました。もっとも文学座には文学座で「後年高齢となった杉村自身を始め、文学座の多くの関係者が『ブランチ役を杉村から太地喜和子にバトンタッチしたい』と熱望していたというが、その矢先太地が事故死し、叶わぬ夢となった(Wikipedia)」という事情があったのだそうですが。

自分の引き際

こうした大俳優さんたちのエピソードを自らに引きつけて考えるのもおこがましいのですが、私も最近「引き際」ということをよく考えます。人生百年時代などと言われ始めている現代、まだまだ働いていかなきゃいけないし、だいたい今の自分の仕事だって全然究めていないんですけど、それでも徐々に引いて行きつつ若い方に仕事を渡していかなければと思うのです。

現在いくつかの学校で担当している通訳や翻訳の訓練だって、私は家族の事情もあってもう第一線で通訳や翻訳をバリバリやっていないし(いや、もともと第一線になどいたことないし)、そろそろ引き際だ、若い方に手渡していきたい……とここ数年ずっと思っているんですけど、若い世代で通訳や翻訳の講師をできる・やってくださる方がなかなかいないのです。

語学業界は「食えない」という印象(いや実態ですかね)からか、なんだか若い方が少ないような気がします。非常勤講師の報酬も語学系は安すぎますよね。私が以前非常勤で奉職していたいくつかの中国語学校では、講師の時給はどこも3000円程度でした。これ、知人や友人に言うと「時給3000円? 高給じゃないの!」と言われるのですが、いやいや、授業というのはその授業のコマだけで完結するものではなく、教材の作成や教案の準備など様々な作業時間が付帯するものですからね。

翻訳科目などでは、授業時間外に職場や自宅で大量に添削してもその分の時間は報酬が出ませんし、通訳科目だって「ありもの」の教材はそのまま使うには無理があるので結局オリジナルの教材を作ることになります。その教材作成は当然ながら時給が支払われている授業時間外で行うわけですが、教材作成費をくださる学校は少ないです*1

また授業自体も、音声や映像の機材などの準備があるので、きっちりそのコマの時間だけ行くというわけにはいかず、結局無償労働が発生してしまうんですよね。かといって常勤講師は常勤講師で、授業以外に生徒さんのケアや様々な事務作業に忙殺されています。例えばいま私が勤めている専門学校であれば、進路相談や留学生のアルバイトや生活上の相談、入管への報告のための出席管理などで常勤講師も「いっぱいいっぱい」の状態。常勤講師の中にも仕事を自宅へ持ち帰っている方がいます。

もちろんこれらの状況は、いま何かと巷間かまびすしい「生産性の向上」が求められる件ではあるかもしれません。とはいっても語学系のお仕事の、それも非常勤講師のこの待遇の悪さときたら。若い方が担ってくださらない・育たないのも宜なるかな、という感じがします。

この件に関してTwitterでつぶやいていたら、こんなリプライをいただきました。

これは驚きの給与水準です。比較するのも失礼かもしれませんが、これではコンビニやファストフードのアルバイトとほとんど同じではないですか。これはやはりこの国の、言語を扱う仕事に対する認識の浅さが背景にあると思います。何度も申し上げていることではありますが、その言語が話せれば教えられる、話せれば訳せる(口先でちょろちょろっと話すだけだから簡単でしょ)……という。

*1:現在奉職している都内の通訳訓練校では、先輩の通訳者さん数名と共同で「団交」を行い、教材作成費をいただけるようになっています。ありがたいことです。