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街場の中国論

街場の中国論
  内田樹氏の『下流志向』と『先生はえらい』を読んだので、新刊のこの中国論も読んでみた。うまく乗せられてしまったような気もするけれど、相変わらずおもしろい語り口でぐいぐい読ませる。

  文革から台湾問題、環境にいたるまでいろいろと話題豊富なのだが、特に「中華思想には国境線という概念が存在しない」というのが興味深かった。文化的に最も高い中華が中心にそびえていて、夷狄の住む周縁との間に無段階のグラデーションがあるというイメージ。内外を厳しくたて分けして、「内側の同質性」と「外側との異質性」を強調するナショナリズムとは本質的に違うのだという。
  だから、周縁を積極的に中華に取り込むような政策は採らない。なぜなら全部が中華になってしまったら、求心力を失うから。「中華の中華たるゆえんは、周縁に夷狄がいることによって担保されている」というのだ。なるほど。
  この線に沿って考えると、中国は今後も傍目には無理がありすぎる中央集権を死守するだろうなあ、台湾が明確な独立宣言をしない限りは何となく今のままで推移するのだろうなあ、という予想が導き出されてくる。
  はるか昔、中国の友人に「中国は連邦制を採ればいいのにね」と言ったら、「それは“反動”です」と言われた。私としては、巨大な中央集権にこだわるから台湾やチベットウイグルや腐敗や格差やなにやかやが桎梏に陥るんじゃないのかな、というくらいのつもりだったのだけれど、内田氏の解説に照らしてみれば、やはり的外れだったのだなあと思う。
  連邦制ということでは、中央集権的な清朝と離散・分権的な幕藩体制の日本を比較して、近代化の波というリスクにより効率的に対応できたのは離散・分権的な(つまり連邦のような)日本だったという指摘もおもしろかった。離散・分権的な組織は、平時の統治には非効率的だけれど、リスクヘッジという点では優れているという。当たり前のような気もするけれど、今の日本もそれをやるべきだ、道州制どころか「廃県置藩」だ、というのが内田氏のおもしろいところ。だってアメリカはそれで大成功してるじゃないかと。

ほかのことはなんでもアメリカの真似をする日本人が、どうしてアメリカの政治システムのいちばん効率的な部分についてだけは学ぼうとしないのでしょう。

  連邦制を目指すべきは日本だったか。