言語構造の全く異なる中国語から漢字を輸入し、日本語にあわせて使う一方で「かな」を編み出して行く過程を、数少ない史料の解読を通してたどる本。漢字かな交じり文に行き着いた日本、ハングルを発明した朝鮮、漢字に対抗してパスパ文字を生み出すも普及させられなかったモンゴルなどなど、圧倒的な漢文化に周辺の人々がどう対応したかという違いもおもしろい。
漢字ばかりがずらりと並ぶ原文を前にして、全く別個の翻訳文を作るのではなく、「返り点」などを使って原文の漢字を目で追いつつ日本語の構造に従って読むという「漢文訓読」。なぜそんな方法が生まれたかについての推論がおもしろい。
おそらく、日本の古代に輸入された中国からの大量の書籍の内容をできるだけ短期間のうちに、いち早く吸収する必要にせまられ、いちいち翻訳している余裕がないまま、原文をみながら意味をつかみとるという技を発見するにいたったというのが、事の始まりではないだろうか。
へええ、要するにサイトラじゃないか。