インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ひとさまの翻訳

中島敦に『山月記』という作品がある。
日本人なら中学か高校で必ずといっていいほど読まされる短編小説で、その独特の作風からとりこになる人も多いそうだ。ミクシィにも中島敦をテーマにしたコミュニティがふたつもあって、メンバーはほとんどが『山月記』に強烈な印象があって……という方々のよう。
この作品が独特なのは、その文体が「漢文調」なことだろう。いや、実はよく読むと、とりわけ漢文臭が強いというほどでもないのだが、なぜかどことなく漢文を読み下したような、ひょっとしてこれは「中国語」で書かれた小説を明治の人が日本語に訳したのかしらん*1と思わせるような文体で、インパクトがある。
とはいえ、まあこれは一種「異形」な作品であって、こんなものに心酔するのはそれこそ「からごころ」のなせる技である……と高島俊男センセイあたりにどやされそうだが*2、全部覚えて暗唱したくなるくらいおもしろい。江守徹が吹きこんだCD*3は、これまでに何度繰り返し聞いたかしれない。
で、最近この『山月記』に北京語訳のあることを知って小躍りした。なぜって、もともとあちらから訳されたものかもしれんと思わせる文体だもの、それを逆に北京語に訳したらどうなるか、非常に興味がそそられるではないか。
例えば冒頭の部分。

隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性狷介、自ら恃む所頗る厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。

ここを姚巧梅という翻訳者はこう訳している*4

隴西的李徵博學多才,天寶末年,年紀輕輕就金榜提名,隨後,做到江南尉。性格狷介,自視甚高,不滿足做個卑微的官,不久,辭退官位,回老家虢略隱居,不與人交往,沉耽於吟詩作詞,心想,與其做個下等官在庸俗的大官前卑顏屈膝,還不如做個詩人死後可以留名。

次に、こちらは鄭秀美という翻訳者*5

隴西的李徵博學多才,在天寶末年,以一介風采翩翩美少年登虎榜,被派為江南尉。但是他生性狷介、自命不凡,不願低聲下氣充任小吏,不久後就辭官,回到故園虢略歸隱,和親戚朋友斷絕往來,專心一致的閉門作詩,完全沈迷於詩篇裡。他認為,與其長久充當小吏而在俗惡的大官之前屈膝卑恭,不如留下幾首好詩,流傳後世,百年之後尚可留名。

おもしろい。しかし北京語が母語でもない人間が言うのもおこがましいが、私は「感嘆しながらも漠然と次のやうに感じてゐた。成程、作者の素質が第一流に屬するものであることは疑ひない。しかし、この侭では、第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺ける所があるのではないか、と*6」。
原文のリズムのようなものをより体現しているのは前者、姚巧梅さんの訳だろうか。特に「下吏となつて」以下の部分、鄭秀美さんの訳はどことなく「もっさり」している感がある。ただし翻訳というのは「日文中訳」とは違い、言葉を単に一対一対応で置き換えていくことではないから、「この言葉が入っていない」的にあら探しをするのはあまり適当ではないと思う。
いま、個人的にある翻訳プロジェクトのトライアルを受けている。取れればけっこう大きな仕事だが、夜中に原文と格闘していると、翻訳というのは原文と訳文の間を振り子のように揺れながらどこを着地点にしようか悩み続けるような、しかもその着地点がどんどん分解していってなかなか見定められないような作業だなあとしみじみ感じる。ある時は原文にひれ伏す方向に振れすぎたかと思えば、ある時は傲慢なほど意訳に傾きたい衝動が起こる。ひとさまの翻訳を見て、あらためてそのことを思った。

*1:実際、唐の時代に李景亮という人が採録した『人虎伝』という伝奇小説がネタ本なのだそうだ。

*2:もしかすると、私をはじめ多くの日本人が中島作品にコロッと引っかかってしまうのは、大陸から漢字を輸入しつつ日本語独自の途をも捨てなかった我々日本人の「業」(?)が深く関わっているのかもしれない……なんちて。興味のあるかたは『漢字と日本人』(高島俊男/文春新書/ISBN:4166601989)、『からごころ』(長谷川三千子/中公叢書/ISBN:4120014894)などをごらんください。

*3:ISBN:4108310039

*4:http://www.lionking.biz/cgi-bin/jh/topic.cgi?forum=35&topic=27

*5:星光出版社/ISBN:9576773628

*6:これも『山月記』の一部。