インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ドストエフスキーと愛に生きる

八十四歳の翻訳家、スヴェトラーナ・ガイヤーさんの半生を追ったドキュメンタリー映画です。翻訳者が主人公の映画というのもめずらしい。というわけで昨日、渋谷のアップリンクで観てまいりました。

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http://www.uplink.co.jp/movie/2013/20712
http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/

ウクライナキエフに生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチスドイツ占領下でドイツ軍の通訳者として働き、二十世紀も終わりにさしかかった頃からドストエフスキーの長編五作品(彼女はそれを「五頭のゾウ」と呼んでいます)『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『未成年』『白痴』の新訳に取り組んだ女性です。

決して派手ではないドキュメンタリー映画ですから、観客を選ぶかもしれません。それでも私は「言葉をほどき、紡ぎなおす」ことに生涯をかけるスヴェトラーナ・ガイヤーさんの姿に感銘を受けました。訳出のスタイルは口述筆記(それも旧式のタイプライターで!)させた上で、ドイツ語母語話者との細かな討論を経ながら推敲を重ねるというもの。翻訳や通訳と言っても私などからすれば何か別世界のようです。

それでも彼女は一個のれっきとした生活者であり、日常の細々とした営みが映画の端々に描かれています。翻訳の作業は、その日常の中にまるで息をするかのように自然に控えめにさりげなく織り込まれているのです。う〜ん、締め切りを気にしながら、ときにパジャマのままパソコンに向かい、仕事も食事も同じ仕事机の上などというどこかの誰かとは……やっぱり違いますね。

余談ですがこの映画、受付で販売されているパンフレット(上の写真)がなかなかの力作です。映画の内容はもちろんですが、映画に出てくる料理のレシピや生活雑貨の紹介、ドストエフスキーに関する文芸関係者のコメントなどが載せられています。

それから九名の文芸翻訳者へのインタビューも。飯塚容、きむふな、鴻巣友季子柴田元幸沼野充義野崎歓野谷文昭松永美穂、和田忠彦の各氏で、読みごたえがあります。何人かの方が,母語の大切さに触れていたのも大いに共感しました。

通訳も翻訳も、こうしてみると語るべきことがあれこれとあり、映画の題材としても申し分ないですね。通訳者が主人公の映画はニコール・キッドマン主演の『ザ・インタープリター』くらいしか知りませんが、現在NHK朝の連続テレビ小説は『赤毛のアン』や『フランダースの犬』を日本に紹介した翻訳者、村岡花子氏の物語です。これもまた僥倖

これからもっと通訳者や翻訳者が主人公の作品が登場するといいですね。刑事物なんかで通訳捜査官の物語とか、どこの国とは限定しないまでも国境警備兵の物語とか。いささか“敏感”すぎて、スポンサーがつかないかな。★★★☆☆。

副作用で消えたアトピー

ベル麻痺の発症から二週間、仕事は再開できたものの、予後の経過は……あまりよく分かりません。一日の間にも麻痺が進んだり緩んだりするような感じで、鈍い痛みを感じることもあれば,ほとんど麻痺のことを忘れるくらい爽快なこともあります。

話すことには基本的に大きな障害はありません。それでも唇の半分が動かないわけで、少なからず発音に影響が出ています。特に唇を使って口を突き出す形の発音、バ行やパ行などが出しにくいです。中国語も母音のuやウムラウトが辛いところ。気をつけて話せばほとんど分からないレベルだとは思いますが……それでも少々ヘコみますねえ。

お医者さんから「東洋医学」の鍼治療もいいよと勧められたので、試してみることにしました。でも、色々と調べた範囲では、ベル麻痺というのは放っておいてもそこそこは治る、というか、ダメになってしまった神経が少しずつ再生して元に戻るまでには長い時間が必要で、それまでは何をやってもさしたる劇的な効果は望めないようですね。焦らず(これが大事みたい。畢竟、ウイルスの再活性化という引き金を引いたのは他ならぬストレスだったようですから)気長に待つしかないみたいです。

それから、お能の兄弟子氏に教えていただいた、気功の治療院にも行ってきました。中国人の師傅から中国語であれこれ解説していただいて、ずいぶんリラックスしました。最後に「枕の下に置きなさい」と護符まで書いてもらいました。わ〜これ、なんだか台湾を思い出します。とても懐かしい気持ちになりました。

一方、「西洋医学」のお医者さんからは神経の炎症を抑える「副腎皮質ホルモン剤」である「プレドニン」を処方されています。ベル麻痺の初期の治療では定番の薬剤だそうですが、これっていわゆる「ステロイド」なんですね。ステロイドと言えば、アトピー性皮膚炎の外用薬としても有名ですが、このプレドニンは内服薬です。しかもかなり強い副作用があるらしい。

副作用、確かにありました。しかも劇的に。なにせ30年来悩まされてきた全身のアトピー性皮膚炎が、すべて消えてしまったのですから。私は10代の頃から首や背中や腕などにアトピー性皮膚炎があって、当時の診断では「穀物アレルギー」とのことでした。穀物ですから米や小麦に始まって、豆類のほとんどがアレルゲンだと言われました。主食のご飯やパンはもちろん、醤油も味噌も、豆腐もコーヒーもモヤシも……かなりの範囲の食材が食べられないことになります。

幸いなことに私のアトピーは比較的軽症で、ときおり皮膚が紅くなることはありますが、基本的に痒みがあるだけで顔などの目立つ部分はほとんど分からないくらいのレベルです。だもんで、一時は厳格な食事療法をしていてほとんど人生投げ出したくなっていた私に、お医者さんが「このまま一生食事療法を続けますか。それとも多少の痒みは我慢しながら好きなものを食べて生きていきますか」とアドバイスしてくれました。もちろん私は後者を選びました。

爾来30数年、年がら年中そこはかとない痒みと上手く折り合いをつけながら生活してきたのです。痒みがひどくなると無意識に掻いてしまうため、皮膚が掻き壊されて肌が荒れる結果になります。それでもまあ「ちょっと見」にはあまり目立たない程度、ときおり紅くなった皮膚を見て「なぜ冬なのに日焼けしてるの」などと勘違いされるくらい。まあ体質だから,死ぬまでこの痒みと荒れた皮膚とは縁が切れないだろうなと諦観していたのです。

それがも〜つるっつる。つるっつる。ハッキリ言ってニキビ面のティーンエイジャーよりよほどきれいな肌。頬の部分なんか、外光を反射して輝いてますから。間もなく「天命を知る」ような年齢とはとても思えません。正直、気持ちが悪いと言ってもいいほどのレベルです。私は外用薬・内服薬含めてステロイド剤を使ったことはほとんどありませんから、よけい劇的に効いたのかもしれませんが……恐るべき薬効です。

リバウンドが怖いです。この「ヤク」が切れたあとの禁断症状が怖い。プレドニンは短期集中的にどんと使って、徐々に服用量を減らしていくように処方されるそうです。今その最終段階に入っていますが、服用しなくなって一気にアトピーが復活したらいやだなあ。願わくばこれで身体が勘違いしてアトピーを卒業してくれたらいいんだけどな。

ま、ポジティブな考えを繰り返し脳にささやきかければ自己暗示的に脳が自分を変えていくそうですから、リバウンドが怖い、ではなくて、アトピーが消えてうれしい、そしてこれは絶対に今後も続くのだと思うことにします。

麻痺のその後

突発性の顔面神経麻痺、発症から一週間が経ちました。

経過はほぼ横ばいです。昨日再受診してきましたが、その際の「40点法」による評価は12点。先週が18点でしたから悪化しているようですが、この症状は最初の一週間から十日ほど、治療や投薬にかかわらず悪化して、それから漸次回復していくのが一般的だそうです。

一応脳の損傷などの可能性も疑ってMRIを撮ってもらいましたが、結果はシロ。「脳の萎縮も損傷も病変等も全く見られません」とのことでした。いや、あったらブログなんて書いてる場合じゃなくなっちゃいますが。水疱等も見られないので、典型的な「ベル麻痺」だそうです。ベル麻痺より重篤な「ハント症候群」の可能性もゼロではないけれども、現時点ではたぶん違うでしょうとのこと。

麻痺は無くならないものの、この状態で食べたり飲んだり喋ったりすることにかなり慣れたので、生活にあまり不自由は感じなくなりました。顔はちょっと見にはあまり分かりませんが、眼の大きさが左右で違って見えます。というか、麻痺して動かないので、左半分の顔が「素」の状態。右半分の顔を隠すと表情が消えちゃいます。

あと、笑うと右の眉や口角しか上がらないので、かなりムリした感じになります。そう、往年のビートたけし氏が「うへへへへ」と笑ったときみたいな感じ。氏も確か、バイク事故による「外傷性顔面神経麻痺」を発症されてたんでしたよね。今ではほとんど回復したようにお見受けしますが。

麻痺の状態にも小さな波があるようで、特に瞼は閉じにくくて眼が乾燥することもあれば、ほとんど問題ないときもあります。閉じにくいときだけ眼帯をしています。眼帯って、何十年かぶりでつけたけど、ものすごく原始的な道具ですね。最近は片目にぺたんと貼り付ける大きな絆創膏状のものがあるそうなので、ネットで注文したところです。「目は口ほどにものを言う」といいますけど、本当にそうですね。眼帯をつけているとそうでもないけど、眼帯を外すと、とたんに「ああ、麻痺だなあ……」という雰囲気になります。

あとは、どれくらいで回復するかです。これだけはお医者さんも読めないそうで、人によって数週間から数ヶ月、長くなると年単位になるそうです。しかも完全に回復するのか、若干の後遺症的なものが残るのかも現時点では分からないとか。

顔面の神経が復活したときに筋肉が衰えていると困るので、リハビリをしています。目を閉じたり、眉を寄せたり、頬を膨らませたり、「イーッ」と口を引いてみたり。要するに「40点法」で試される一つ一つの動作ですね。その他に、二日に一度、近所の診療所へリハビリのためのマッサージをしてもらいに行っています。

友人・知人から様々な体験談や励ましをいただき、評判のよい病院や治療院を紹介してもらいました。本当にありがたいです。何だか今回のことで、いろんなものが吹っ切れちゃった気がするので、もうこうなったら、片っ端から試してみたいと思っています。

義父と暮らせば15:「頭でっかち」はや〜めた

これまで、お義父さんとの食事がストレスでした。

きのう何食べた?』のシロさんよろしく「あまからすっぱいのバランス」を取りつつ色々と作っても、食事中はほとんど無言ですし、何もかも一緒くたにして食べちゃうし、味が足らないのか何にでも醤油やポン酢をどばどばかけちゃうし、口に合わない料理の時は、食べ慣れたタクアンやスルメなんかを引っ張り出してきてご飯をかきこんで……「ごっそさん」と自分の部屋に引き上げちゃう。

正直、お義父さんが食事をしている間は落ち着きません。見ているだけでハラハラしますし、細君が大皿に盛った料理をぐちゃっと崩されるのを嫌って、小皿にとりわけてあげようとするも、「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……となったりして。

それで、最近はまずお義父さんに一人で食べてもらって、お義父さんが自室に引き上げた後に後かたづけをやり、それから細君と私でゆっくり食事というパターンが多くなりました。それでも鍋なんかするときはそうも行かないですけど。

ただ、お義父さんが先に一人で食べると言ったって、やはりなんだかんだ気になります。もう食べ終わったかなと思いながら仕事をするのはほとんどムリ。というわけで結局夕飯の買い物から我々が食べ終わるまで何時間もほとんどダイニング(といっても台所の脇ですが)に貼りつくことになります。これがけっこうしんどい。そういう感じで、私たち夫婦が一方的にストレスをためているという認識だったんですけど、実は最近、お義父さんもお義父さんでストレスをためているんだということが分かりました。

自分のしたいようにしたい

数日前、たまたま私は急ぎの在宅仕事があって二階にこもっていて、夕飯を作った後にお義父さんと細君だけ先に食べてもらっていたんですが、そこでも件の「もっと盛れよ」「たくさんあるんだから、それを食べ終わったらまたよそってあげるよ」「うるせえなあっ!」……が再演され、それがエスカレートして、とうとうお義父さん、キレちゃったそうです。

お前たちがいるから自分のしたいようにできない! もうこの家から出て行け!

細君は「ここまで世話してるのに、なんてことを言うんだ!」と激怒したそうですが、いや、これ、お義父さんの本音だったのだと思います。

私たちは生活が不自由になってきたお義父さんと同居して、あれこれサポートしているつもりになっていて、それで時々息が詰まって「たまにはデイサービスとかお泊まりとかで家を空けてくれたら落ち着くのになあ。いわゆるレスパイトケアも必要だよ」などと上から目線の会話をしていたのです。でもお義父さんにしてみれば、それなりに我々に気を使い、なおかつ食事も口に合わないものばかり食べさせられる、自分で大皿から好きなだけ取ることも許されない……というふうに感じていたのかもしれません。

考えてみればお義父さん、我々が同居するまではひとりで自由気ままに暮らしていたのです。昼間から飲んだくれて肝機能を損ない、超高血圧で医師から「あんた、このままじゃ死ぬよ」と言われたくらいでしたが、ストレスはそれほどなかったはず。食事のバリエーションは昔から比較的単調だったそうで、気に入ると同じものを何日も続けて食べるのが好きです。毎日色々な料理が手を変え品を変え出てくる、特に食べつけない西洋風なものも出てくるのは、お義父さんにしてみればストレスであったのかもしれません。

我々が同居に踏み切ったのは、実家に戻るたびにかなり行動が怪しくなってきたように見受けられたお義父さんが、細君に「死ぬ前にもう一度お前と暮らしたい」と漏らしたからです。でもそれだってひとり暮らししていれば誰しも時々襲われる孤独感がたまたま水面上に顔を出しただけで、基本的にそれほど暮らしに不自由していたわけではないでしょう。年金はキッチリいただけてるし、認知症が始まっているとはいえ、まだまだ自分の身の回りのことは自分で何とかできる「要支援」の段階ですし。細君は私と結婚するまではお義父さんと二人暮らしでしたが、当時から細君は仕事で帰宅が遅く、夕飯はいつもお義父さんひとりで晩酌しながら適当に食べていたそうです。

家族のありようはそれぞれ

こんなこと言っちゃナニですけど、家庭のありようはその家庭によってずいぶん違うんだなと。自分には想像もできないような「家風」もある。私はそんな「当たり前」に思いが到ってなかったですね。細君は幾度となく私に「うちのお父さんは食べ物にこだわらない人だから、そんなに手をかけて色々作らなくていいよ。刺身とおひたしと冷や奴くらいが毎日出ても喜んで食べるから」と言っていて、でも私は「いや、それはいくらなんでも……」とまともに取り合わなかったんです。

私の両親は家族一緒の食事を大切にする人たちなので、私も同居したからにはぜひともお義父さんと一緒に食卓を囲んで、これまであまり食べたことのないようなものも試してもらって少しでも脳に刺激を……みたいな固定観念で「頭でっかち」に頑張っていたんですけど、あ、なんか、これ、違うんだなと思い至りました。私は高校生の時に家を出て、それから両親と同居したことはほとんどありませんし、お年寄りとの同居はもちろん初めて。というわけで、子供の時の自分の家のありようを、勝手に細君の実家にも投影していたわけです。

我々の暮らしにお義父さんは干渉しないでほしいと思ってきた我々ですが、逆に我々もお義父さんの暮らしに干渉していたのです。一つ屋根の下に暮らしていてもつかず離れず、必要なとき以外は「我関せず」で構わなかった。でもって、お義父さんがデイサービスやお泊まりに出かけてくれないなら、我々がどんどん出かけてっちゃえばいい。家を空けている間は心配ではあるけれど、それもこれもひっくるめて何かあったらその時はその時と腹をくくるしかない。そう考えて気が楽になりました。

お年寄りとの同居には家庭ごとに様々なパターンがあるはずですから一概に言えませんが、少なくともうちのお義父さんの場合は、現時点(まだそれほど介護に手間がかからない状態)ではお互い自力更生で、必要なところだけ頼る利己主義で「ぜんぜんOK」だったんです。もっと肩の力を抜いていい。自分の人生中心でいい。お義父さんの好みは半年でだいたい分かりましたから、その中のバリエーションを繰り回して、ちゃっちゃとご飯作ればいい。もちろん時には張り込んで、一緒に食卓を囲んでももちろんいい。

先に頭でこさえた理想を実践に移しても、ロクなことにならない場合が多い……とまた一つ思い知らされた気がします。いやこれ、最近の出来事に顔面の麻痺が重なって自省を繰り返すうちに頭でこさえた、とりあえずの結論ですけど。

実はいま、口の半分が麻痺しているので、ものがうまく食べられません。それでも何とか慣れて、こぼさないようには食べられるけど、見た目あまり「お行儀がよくない」感じに。ぐちゃっと食べちゃうお年寄りの気持ちがほんの少し分かるような気がしました。

麻痺がやってきた

いやあ、まいった。
突発性の顔面神経麻痺(ベル麻痺)を発症してしまいました。

ベル麻痺 - Wikipedia

数日前から、瞼と舌先に違和感を覚えていたのですが、それが昨日の夕刻あたりから一気に広がり、顔の左半分が麻痺して動かせなくなりました。かなり顔がゆがんでいます。涙腺がコントロールできないからか涙が止まらないし、食べたり飲んだりするのにも少々苦労します。なにより、言葉が喋りづらくなりました。ほとんど話すことが商売だというのに!

ネットで「顔面 麻痺」などのキーワードで検索すると怖い記述がそこここに見つかるのですが、こちらのブログがとても参考になりました。感謝申し上げます。

顔面神経麻痺「ベル麻痺」完治。治療回復経験・教訓まとめ8つ | How to read maps

というわけで、車で20分ほどの総合病院に向かいました。左目がおかしいので、運転も危なっかしいです。神経内科に申し込むも、耳鼻科ですと変更を勧められ、受診。聴力検査のあと、40点法による評価と診察。評価結果は18点で、中程度の症状、現段階では悪化するか比較的短期間で治るかは不明とのことでした。で、たぶんウイルスの再活性化による顔面神経麻痺——ベル麻痺でしょうというお医者さんの見立てです。

顔面の神経が腫れていて、それを起こしているのはヘルペスのウイルスなんだそうですが、これって水疱瘡とか帯状疱疹と同じウイルスなのだそうで。幼少時に水疱瘡を罹患した際、潜伏したウイルスに完全に免疫ができていなかったのではとか何とか(メモを取ってなかったのでうろ覚え)。なぜ今になって再活性化したのか原因は不明ながら、たぶんストレスとのこと。

ストレス……ですか。これまでどんな逆境にもめげない自信だけはあったんですけどね。気づかないうちに今の生活や仕事のやり方が大きなストレスになっていたのかもしれません。もしくは、そういうストレスに持ちこたえられるほど若くはなくなったということですか、あああ。

本来なら一週間ほどの入院治療が必要とのことでしたが、結局服薬しながらの自宅療養ということになりました。できるだけ安静にして、ストレスをかけないようにすべしと言われました。聴力検査の結果は異常なし。顔面の筋肉や神経は舌のそれとは別なので、口の麻痺が治まれば基本的には話すことに障害は及ばないそうです。まあなんというか……少しだけ安心しました。

びっくりするくらいたくさんの薬を処方されました。普段、風邪気味の時に葛根湯を飲む程度の私としては、ほとんど人生初の出来事です。でもって、一応脳神経系の異常も確認するため、明日MRIを受けてくることになりました。一週間後に再受診して、経過と予後を判断してもらうことになっています。

今週から学校の授業が始まり、来週には通訳案件も控えており、さらには能の稽古会もあったんですが、すべて調整をお願いしたりキャンセルしたりで、様々な方面の様々な方々にご迷惑をおかけすることになってしまいました。突発性の病気で不可抗力とはいえ、なんとも無念です。でも初期の治療が肝要だということなので、じたばたせず安静にして治療に専念したいと思います。

追記

セカンドオピニオン」ということで、もう一つの病院にも行ってきました。こちらでも診断の結果は同じで、処方された薬もこの服用を続けるということでよいでしょうということでしたが、加えてリハビリと眼の保護の大切さを強調されました。

リハビリのやり方次第で、予後の善し悪しも決まるとのことで、専門の医師が首筋や頬や顔面のマッサージをしてくれました。これは今後一日おきにでも通院して続けるとよいということ。また経過を見ながら鍼治療を加えてみてもよいとのことでした。

自宅でも行うマッサージとして、とりあえず「頬を左右交互に膨らませる」「眉間にしわを寄せ、戻す」「目を閉じ、開く」の三つを行うこと、ただし決して「頑張りすぎないこと」と言われました。また蒸しタオルなどで頬から耳の下まであたりを暖めるのもぜひやってくださいとのこと。

その他、麻痺している側の眼がしっかりと閉じないため、眼球がいつも外気に晒されて角膜を痛める恐れがあるので、目薬を一日に四〜五回ほど差し、眼帯をつけるように指示されました。う〜ん、これはますます仕事をしていられるような状態ではなくなってきました。とりあえず一週間ほどはおとなしくしています。

台湾の“反服貿”について覚えた違和感

ここのところ連日、台湾の“反服貿”運動の動向を注視しています。“服貿”は“服務(サービス)貿易”の略。中国語で“海峽兩岸服貿協議”、日本語では「両岸(中国と台湾)サービス貿易協定」と訳されている、2010年に締結された「経済協力枠組み協定(ECFA)」に基づいて進められている具体化協議の一つです。

与党・国民党が審議を十分に尽くさず強行採決に踏み切ったことから、学生が立法院(国会)を占拠して反対運動を展開し、一部が行政院(内閣)への突入という形で飛び火。当局が強制排除に動いて負傷者を出し、立法院の占拠は現在も続いています。3月30日には主催者発表で50万人が参加した大規模なデモも行われました。

ことの顛末と現況は各種報道にあたっていただくとして、私がこの間報道やネット上での様々な情報に接する中で覚えた違和感を記してみたいと思います。

日本人としてのスタンス

まず基本的に、私は日本人ですから、台湾と中国の政府間協議に意見する立場にはありません。両国なり両地域なりの人々が考えて決めればよいことです。個人的に「こうなればいいな」という思いは多分に、しかもあれこれとありますが、それは単なる個人的願望であって、当事者に働きかけるような類いのものではないと思っています。

ネット上には、そうではない、これは回り回って日本の未来にも関わってくる話なのだと、中国脅威論をベースに日本人の積極的関与を促す意見も散見されますが、それはまあ「ためにする議論」というものでしょう。少なくとも現時点において、他国間のECFAとそれに付随する協議について、主体的に考えるべきはその当該国の人々です。日本が締結を進めようとしているTPPに対して、その当否を主体的に考えるべきは我々日本人であるのと同じ意味で。

またネット上には、特にTwitterや掲示板などですが、あからさまに「中国憎し・台湾ラブ」的無責任な発言や誹謗中傷、あるいは理性的な判断を放棄したような一方的シンパシーを表明する発言が大量に溢れています。少なくとも我々日本人は「第三者」なのですから、もう少し理性的にことの成り行きを注視し、是々非々で議論すればいいのになと思っています。

どこか高揚した比喩

どこかの掲示板では「造反有理」などという支持のコメントを見かけましたが、この言葉の出自と背景を考えればやや煽情的に過ぎるのではないかと思いました。また内田樹氏のブログではこの件に関して東京大学名誉教授・佐藤学氏の現地速報が何度か転載されました。内田樹氏の著書はほとんど読んでいるほど氏に私淑している私ですが、これにはちょっと危ういものを感じました。

しかし、本格的闘いはこれからです。立法院(国会)は国民党が多数を占めているので、立法院を占拠している学生たちが排除されれば、自由経済協定は簡単に可決されてしまいます。そうなると中国の巨大な資本が台湾を買い上げてしまうでしょう。
(中略)
学生たちの冷静沈着で賢明な闘いは、大学生たちのほぼ全員の支持と大多数の参加、大多数の市民の支持を獲得しています。
(中略)
ほとんどの国民が「学生たちを尊敬する」「学生たちの勇気に感謝する」と語っています。私は台北教育大学大学院で講演と集中講義を行っているのですが、ほぼすべての教授が学生運動を支援し、「素晴らしい学生たちだ」「学生たちを尊敬する」「学生たちに感謝する」と語っています。
佐藤学先生の台湾情報第三報 (内田樹の研究室)

立法院の学生が排除されれば“服貿”が簡単に可決されてしまうほど国民党が強いのに、「ほとんどの国民」「ほぼすべての教授」が学生を支持というのは本当なのでしょうか。限界はありますが、様々な現地の意見に接してみれば、決してそんなに単純なものではないことが分かりますし、その一方で国民党が与党とはいえ、知人の台湾人も多くは「現状維持」を望んでいます。

このエントリについては、リツイートについているコメントのほとんどが「学生全面支持+一方で日本はダメダメ……」という論調のものばかりでしたが、私は失礼ながらこの、やや高揚した文体のレポート全てを鵜呑みにはできません。

佐藤学氏は続くレポートで、学生による立法院占拠を「パリコミューン」と呼んでいるのですが、この比喩にも先ほどの「造反有理」同様やや首をかしげざるを得ません。佐藤学氏も書かれているように学生が「沈着冷静で賢明な闘い」を展開しているのは台湾の民主主義を守るためであって、政権奪取の革命を目指しているのではないからです。

議会制民主主義の否定

私自身、“服貿”には多々問題があると思うし、国民党・馬英九政権の舵取りは性急だとも思うし、台湾の人々の、これが単なる協定を越えて「中台統一」の布石になるかもしれないという恐怖は十分理解できるし、立法院の占拠が始まって以降の学生の理性的なふるまいや、それに呼応した市民の数々の「美談」についても感動を禁じ得ない部分はたくさんあります。

それでもやはり、民主的な政治のあり方を求めて議会制民主主義を蔑ろにするのは筋が通らないと思うんです。日本でも同じですが、時の与党が数を恃んで強行採決をすることがあります。そのたびに憤りを感じますが、その議員たちは正当な手続きを経て(実際には「地盤」でいろいろあるでしょうけど、少なくとも法律には反しない形で)代議士になっているわけで、結局は有権者の責任でもあると思います。

台湾の立法院議員がその選出にあたってどういう「裏」があるのかはよく知りません(かつて台湾に住んでいたときは色々聞かされましたが)。でもいくら議事運営が悪辣だからといって、議会に突入してそれを止めたら議会制民主主義の根幹が崩れるのではないでしょうか。

学生のリーダーである林飛帆氏は、日本の記者の「こうした活動が反民主主義的だという声もありますが」という質問に答えて「この活動自体が、民主主義を取り戻すためのものです」と語っていますが、民主主義を希求するならば議場占拠ではなく統一地方選や次期大統領(総統)選で馬英九氏を追い詰め撤回というような民主主義のルールを踏むべきだと思います。迂遠でまどろっこしいけれど、民主主義はもともと迂遠でまどろっこしいものなんです。

学生もぎりぎりのところで立法院の占拠という苦渋の決断をしたのだと思いますし、その後の理性的な管理のあり方を見ても、単に血気にはやって無分別な行動に出たのではないことも分かります。それでも占拠という形で議会制民主主義のあり方を否定してしまったら、そしてそれが成功してしまったら、今後様々な問題において同様の運動の出来(しゅったい)を担保しますし、それは回り回って民主主義の不全を招くのではないかと思うのです。これは単なる想像ですが、台湾社会にも一部の突出を憂いている心ある人達がいるのではないでしょうか。

少なくとも我々日本人は、もう少し引いた立場から冷静にことの成り行きを見つめたい。そんなことを考えました。あ、エイプリールフールとは関係なく、ホントにね。

働き方革命

私はいま「フリーランス」という働き方をしています。去年の三月いっぱいで、それまで勤めていた職場を辞めましたから、ちょうど一年経ったことになります。

仕事を辞めた当初は再就職の道も考えてハローワークに通ったり、数多くの転職サイトで求人に応募したりしましたが、中年以降になると採用してくれる企業はぐぐっと減りますね。いや、実際には職種や待遇を選ばなければ仕事はたくさんあるのですが、結局それらの仕事に応募することはしませんでした。もう以前のように早朝から深夜までこまねずみのように働くのはまっぴらごめんだと思ったのです。

それに、はなはだ心許ないレベルながら一応手に「中国語」という職があり、それを見込んで仕事を振ってくださる方々がおり(本当にありがたいことです)、そんな中で失業保険の給付を受け続けるのはなんだかなと思って、ハローワークで「開業」の届けを出し、フリーランスになりました。ハローワークからはいくばくかの「手当」が出ました。

途中で細君のお義父さんと同居して生活の面倒を見ることになりましたが、そのおかげで(?)家賃と光熱費が大幅に削減される結果になりました。これまで払っていた家賃と光熱費の一年分と、この一年間の収入を足してみたら、かつての職場での収入と「とんとん」。収入だけを見れば大幅減ですが、暮らし全体から見ればあまり変わらなかったことになります。

そして「兼業主夫」としての毎日と、以前なら考えられなかったほど大量の自由な時間がやってきました。

もともと「主夫のおばおじさん」志望ですから、家事をこなすのは全く苦になりません。それでも家に居て次々にやってくる家事の「タスク」をこなしていると、あらためて家事労働というのは大変な作業量だなと思います。とはいえ私たちには子供がいませんから、これでも非常に楽なほうでしょう。お子さんがいて、パートナーが家事を分担してくれなくて、なおかつ外で働いている……という方は、本当に大変だなと思います。想像することしかできませんが。

週に何度か、複数の学校へ非常勤講師として出かけています。それに加えて不定期で通訳の仕事をし、在宅で字幕の翻訳をしています。あとは時々イレギュラーな頼まれ仕事。外で仕事をする際には、帰宅が深夜になることもありますが、いつも驚くのは夜の10時、11時という時間になっても、電車やバスにかなり多くのサラリーマン(とおぼしきスーツ姿の男性)が乗っていることです。

私が住んでいるのは千葉県の常磐線沿線で、最寄り駅は都心からは小一時間ほどかかる場所にあります。家はさらにその最寄り駅からバスで20分以上もかかってようやくたどり着く場所です。とはいっても周囲は畑などではなく、びっしり住宅が建て込んでいるようないわゆるベッドタウンですが、そんな場所に夜の10時、11時に帰ってくるサラリーマンがけっこういるんです。お見かけした限りでは、みなさん、お酒を飲んでいい気分というわけでもない。

この方々は、これからお風呂に入って、食事……はもう外食で済ませてるのかな、で、日付が変わる頃に就寝して、明朝9時に出勤だとしたら遅くとも6時には起きなきゃならないでしょうね。お子さんがいても、平日は顔を合わせる時間がほとんどないんじゃないかな。大変だ……いや、大きなお世話なんですけど。

私もサラリーマンをしていたときには、残業、時には徹夜などという長時間労働がデフォルトでしたが、いまこうして自分で自由に時間を配分できるようになって、ひどい働き方をしていたなとあらためて思います。特に働いていた企業がいわゆる「ブラック」だったわけではありません。何度か転職をしていますが、それぞれにやりがいのある仕事をさせてもらった会社でした。それでも結果的にひどい働き方をしていたのは、まずは自分の意識の持ち方のせいであり、つぎにそれぞれの会社の、働き方の変革に鈍感なありかたのせいだったと今にして思います。

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)

この本は(ようやく本の紹介だ)、以上のようなことを考えてフリーランス一年目を迎えた私にとって、とても共感できる内容でした。たまたま書店で手にとって購入したんですけど、読み終わって「おお、なんというシンクロ」と驚いたくらいで。

具体的には、筆者である駒崎弘樹氏ご自身の体験(多少のフィクション性が加味されていると思われます)に基づいて、長時間労働から脱却して自分の時間を自律的に管理すること、プライベート、特に家族との関係を重視し再構築すること、自分のためだけではなく「他者に価値を与える」ことを含めた働き方を志向すること……などが、なかば小説風に描かれています。

テイストは「自己啓発書」に近く、読むだけで高揚感が湧き何かを成したかのように錯覚してしまいがちな「キャリアポルノ」的読まれ方をする危険性もありますが、そういう「ライフハック」的な部分を自覚しながら注意深く読んでみれば、私たち(とりわけ日本人)の働き方について様々な示唆が得られる本だと思います。

義父と暮らせば14:なぜ落ち着かないのか

今日はお義父さん、グランドゴルフで朝からお出かけでした。一緒に行っている弟さんの話によると、以前に比べてかなり動きが緩慢になっちゃったそうですが、それでも身体を動かしに行くのはいいことですね。

お義父さんが出かけている間、家の中は静かです。いや、いつもだって別ににぎやかなわけじゃないけれど、何だろう、この「落ち着く感」は。お年寄りが家の中に居ることを気にしないでいいというのがどれほど気の休まることか、私は同居をして初めて知りました。居れば些細な物音でも、頭のどこかに大丈夫かなという意識がよぎって、仕事や勉強に集中できないからです。

これで例えば同じ敷地内の離れに住んでいるとかだと、また違うのでしょう。家族が一息つくための「レスパイトケア」、本当に大切です。とはいえ昔は、年老いた親と同居なんてどこにでも見られた光景のはず。してみると、やはり慣れの問題なのか、誰かが理不尽に我慢させらせていた(たいていは「嫁」。うちの母親は後々まで苦労を語っていました)のか、単に私が人非人なのか。

かくいう私は学生時代や、その後就職してからも、今で言う「シェアハウス」のようなところに住んでいたことがあって、共同生活に離れているというか自信があったはずなのですが、なぜお義父さんとの同居は落ち着かないのでしょう。実の娘である細君も日々、「じいさんが家に居ると思うだけで落ち着かない」と言っています。なぜか。

いろいろと考えたのですが、これはたぶん我々夫婦が、お義父さんから信頼と尊敬を得ていないからだと思いいたりました。私は娘婿で、もともと他人ですから仕方がありませんが、実の娘である細君に対しても、根底の部分で信頼と尊敬がないからではないかと。

最近のお義父さん

高血圧のお義父さん、降圧剤の副作用かもしれませんが、味が分かりにくくなってきているようです。というわけでいきおい濃い味が好みに。私と細君がどちらも仕事で夜遅くなるときに配食サービスを利用してみたのですが、お年寄り向けだから薄味に作られているらしく、どのお店のをとっても「まずい」「二度と食べない」などと言います。

一方で、医者から言われていることもあって私が薄味にした料理にはあまり箸をつけないか、醤油やポン酢をどばっとかけて食べます。食べつけない料理だった場合にもあまり箸をつけず、でも物足りないんでしょうね、食べ慣れた乾き物やたくあんをおかずにご飯を食べるという感じ。細君は「作ってくれた人に失礼だろう」と激怒していますが。

デイサービスにはやはり行きたがりません。ケアマネさんがいくら勧めてもだめです。細君が「お父さんのためでもあるけど、私たちのためでもあるんだよ」と「レスパイト」の必要性を訴えますが、聞く耳を持ちません。やはり、高齢のお年寄りにとって、自分の生活パターンを変えることは容易ではないのだなと思います。

我々が外に出かけるときは、何時頃帰宅するかを言わなくてはなりません。帰宅が遅れると機嫌が悪くなります。以前細君が家を出て私と暮らしていたときは朝晩電話をしていたのですが、一度でも電話が途切れると職場にまで確認の電話をかけてきたそうです。夜の戸締まりは自分でやらないと気が済みません。休日の朝にゆっくりしていると「早く起きろ」と階下から声がかかります。これらは我々のことを心配してくれているようでもありますが、細君によると「自分が気持ちよく安心したいだけなのね。人の都合は考えていないの。昔からそう」。

それから、私の前ではめったに見せませんが、細君にはときどき「きーっ!」と「キレる」ことがあります。介護の仕事をしている私の妹によると、自分の思い通りに行かなくて「キレる」お年寄りは、圧倒的に男性に多いとのこと。どうしてでしょうね、自分の中で生き方が完結していて、周囲への対応を臨機応変に調整したり、相手の立場を想像してみたりということができないのかもしれません。

自立と子離れ

以上は、総じて他者に対する信頼と尊敬があればそれぞれ違うありようになるんじゃないかなと思うんです。やはりお義父さんは「自分のことしか考えてない」のでしょうか。我々との同居にしても、持ちつ持たれつという気持ちはないのでしょうか。実際には衣食住のほとんどを我々が回しているとしても、お義父さんにとってそれは、家に住まわせてやり光熱費も出してやっているのだから当然、ということになるのでしょうか。

だとすれば、ある意味、お義父さんは自立(自律)あるいは子離れができていないとも言えます。家族は自分の従属物ではなく、同居はしていてもそれぞれにさまざまな人生があり、それをひとりひとりが律して生きているのだという点に想像が働いていないのだとしたら。そして認知症も始まった現在、お義父さんがそこから脱して新たなありように進むことは……難しいのだろうと想像せざるを得ません。

でも、ここまで書いて「信頼と尊敬がない」のは実は我々も同じではないかと思いました。我々はお義父さんに対して、「もう理性的に何かを判断できるような状態ではなくなっているから」と半ばあきらめ、半ば突き放したような気持ちで接することがありますが、それを実はお義父さんも感じているからこその今の態度・スタンスなのかもしれない、そんなことを考えたのです。

追記

……と、朝日新聞のウェブサイトで高橋源一郎氏のこんな時評を見つけました。

たとえば、いま「認知症ケア」は、無能者を施設で管理する、という考えから、「認知症の人の行動には人間らしい理由が必ず潜んでいる。人格や人間性が失われる病気ではない」という考えへ移りつつある。家族だけではなく、医者が、介護士が、あるいは近隣の人たちが、見つめ、触れ、語りかけることで、「同じ人間の仲間である」と感じさせることで、「認知症」の進行を遅らせることも可能なのだ。それは、「高齢化」の中で、社会が見つけた、新しい形の「つながり」なのかもしれない。
(論壇時評)ひとりで生きる 新しい幸福の形はあるか 作家・高橋源一郎:朝日新聞デジタル

う〜ん。「認知症の人の行動には人間らしい理由が必ず潜んでいる。人格や人間性が失われる病気ではない」。まさに、そういう尊敬と信頼を持てるかどうかが課題なのですね。私はまだ自信が持てませんが……。

男性がご飯を作ることについて

先日、Gunosyさんが紹介してくれたこちらの記事。

女性がご飯を作らないこと、あるいは男性が作っていることに対して「嫌悪」を示す男性(主に男性、時に女性も)についてのエントリです。

「男は家事をしないもの、女は家事をするべき」という観念に1ミリの疑問や自省すら抱いていない人達に対して、こう書かれています。

ちなみに私とパートナーはお互いがこんなステレオタイプに嵌まれない感じなので「私がこうだから女はこう」とか「俺がこうだから男はこう」みたいな「主語を大きく」したり「偏狭な一般化」はできないタイプです。そしてそういうジェンダー的な視点に常に「それは女(男)がそうなんじゃなくておまえがそうなんだよ!」とツッこみを入れています。
女性がゴハンを作らない話をすると嫌がる男性 - ハート♥剛毛系

ほんと、そうだよ。諸手を挙げて大賛成。LGBTや外国人に対するステロタイプ化も同断なんですけど、なぜ世界が自分を中心に回っていると考えるのかな。「それは女(男)がそうなんじゃなくておまえがそうなんだよ!」というツッコミ、これから私も使わせていただきます。

今日は今日で、こんなエントリを読みました。

日本の男性、仕事しすぎで家事しなさすぎ!/ニートのフランス滞在記⑩ - コウモリの世界の図解

ここに紹介されているOECDの発表データからしても、日本の男性はあまり家事をしないみたいですね。

うちも共稼ぎなので家事は分担していて、細君が掃除と洗濯して干すまで、在宅の割合が多い私が買い物と炊事と後かたづけと洗濯物の取り込みをやっています。特に炊事は、細君があまり好きではない一方で私は大好きなので、自然にこういう形に。

それでもよく「オクさんゴハン作らないの? ええ〜、それは……」みたいな反応に接します。世の中には一定程度の割合で、女性が炊事をしないことに対する違和感があるみたいです。でも私は、ハッキリ言ってこんな楽しいことを細君に渡したくないです。

前にも書いたけど、よしながふみ氏のマンガ『きのう何食べた?』で、主人公の弁護士・筧史朗がこんなことを言うんですね。

うーーん
仕事で案件をひとつキレイに落着させたくらいの充実感を一日に一回も味わえるなんて
夕飯作りって偉大だよ

これもほんと、その通りです。

ところで、男性がご飯を作ることに対して、女性の側にもまだまだステロタイプな見方をしている人が多いなというのは時々感じます。私はよく女性に「料理するの? 何料理が得意? やっぱり中華とか?」と聞かれます。あるいは「へええ、すごいね。いろいろと凝った料理を作るんだろうね」。この無邪気な質問、そのベースには「男性がご飯を作るというのは、やはり『男の料理』的ホビーでやってるに違いない」という思い込みがあるような気がするんですけどね。

義父と暮らせば13:「かわいいおじいちゃん」になりたい。

先日、小田嶋隆先生のライティング講座を聴講してきました。この日のお題は「手紙」。メールが普及した昨今、わざわざ手紙をしたためる機会も減りましたが、あらためて書いてみると思わぬ発見がありました。

小田嶋先生曰く……

明晰な文章を書こうと思って文章を書いても明晰にならないことがある。思想・感情・見解だけで文章を書いていると、人生の細かいモノ・小さいモノが拾えなくなり、結果文章がつまらなくなる。

書くことの効用の一つは、その文章を書かなければ一生気づかなかったような自分の内部が出てくるところにあり、手紙を書くことは相手との一対一の関係性から出てくる、私的な、リアリティのある、細かい話をはき出す作業でもあり、ときに自分の過去や、無意識の中に封印しているモノが出てくることがある。

……のだそうです。雑駁なまとめですみません。

というわけで私は「尊敬していた中国語の先生から駐車違反の肩代わりを依頼されたことで初めて『他民族』に向き合う覚悟ができた」という実体験をもとに、すでに鬼籍に入られたその先生に宛てて手紙を書いてみました。制限字数いっぱいにゴリゴリと書いたソレは箸にも棒にもかからなかったようで、ほとんど講評はいただけませんでしたが。わはは。

と……本題はそっちじゃないんでした。

かわいいおばあちゃん

講義の中で小田嶋先生は「何度かこういう課題を出しているけれど、おばあちゃんに宛てて手紙を書く人が一定数おり、しかもとてもいい手紙が多い。その反面、おじいちゃんに宛てて手紙を書く人はほとんどいない」とおっしゃっていました。

その理由としては、専業主婦というありようが過去のものになりはじめてからこちら、幼少時に両親が共稼ぎだったためおばあちゃんに育てられた・可愛がられた経験のある人が増えてきたからではないか、おばあちゃんが亡くなるのはちょうど多感な青少年時代であることが多く(これが両親となると、自分も50代くらいになっているから感性が全然違う)、その多感な時期の喪失感が思慕の念につながり、自らの内面に込めた思いが比較的素直に表出されるのではないか……とのこと(これも雑駁なまとめだなあ)。

う〜ん、まあもちろん、一般化はできないですけどね。私の祖母は、母方は遠くに住んでいた上に私が幼い頃亡くなってしまったのでそれほど思い出が多くないし、父方はかなり気性の激しい人だったのでこちらも「思慕」に足る思い出がありませんし。

ただ、小田嶋先生の見立てで興味深かったのが「おばあちゃんは『かわいい』からではないか。かわいいおばあちゃんに宛てるから、手紙も自ずとハートウォーミングなものになるのかも」という部分。なるほど、確かにそうですね。

ところでなぜ、おばあちゃんだけが「かわいい」のか。その死後も折に触れて思い出し、手紙を書きたくなるくらいに思慕するのか。「かわいいおじいちゃん」というのはあまり聞きません。おじいちゃんはだいたい頑固で偏屈で生活力がなくて過去の栄光にとらわれすぎてますからね(ひどいこと書いてるな)。でも前にも何度か書きましたが、ケアマネさんの話などを聞いても、おばあちゃんは老いても社交的で新しい環境にも比較的溶け込みやすい一方で、おじいちゃんは社交性も社会性もなく、固陋な精神に引きこもってしまう人が多いと。たびたび引き合いに出して悪いけど、うちのお義父さんなんかは完全にこのタイプだなあ。

多くの女性に共通する生き方の何かが、「かわいいおばあちゃん」を招来するのでしょうか。そこから世の男性諸君の生き方の、考え直さなければいけない何かが見つかるのかもしれません。安易に思いつくのは、これまでの男性の仕事中心・会社中心の生き方が男性の老後を固陋なものにしているという因果論ですが、それじゃあまりにも粗雑だからもう少し考えてみたいと思います。

かわいく老いるには

ところが、先日友人夫婦と食事をした際にこの話をしたら、「昨今は『オヤジギャル』みたいな女性もいるから、今後はかわいくないおばあちゃんが急増する可能性もあるのではないか」と言われました。その一方で、これまでの「男はこう、女はこう」という旧弊にとらわれない男性も少しずつ登場しているから、そういう男性がかわいいおじいちゃんになる可能性もあるのではないかと。

なるほど。というわけで、新たな人生の目標が加わりました。かわいく老いるにはどうすればよいかということです。自他共に認める「おばおじさん」の私としてはじゅうぶん実現可能だと思っているのですが、どうかな。“想得美(考えが甘い)”かな。

追記

ちなみに、その箸にも棒にもかからなかった手紙はこれです。

続きを読む

能とバッハとロックンロール

朝、細君を駅へ送った帰りに、車の中でInterFMの“Barakan Morning”を聴いていたら、珍しくバッハがかかっていました。

番組のウェブサイトによると、"BWV 1067, MENUET ー BADINERIE" AURèLE NICOLET & KARL RICHTER & MUNICH BACH ORCHESTRA です。ネットではこちら(下の方にYouTubeがあります)に。

ラジオでかかったのは最後の部分(22:16から)ですが、この演奏をピーター・バラカン氏の評していわく「ほとんどロックンロールですね」。ああ、ホントにそうですよね、このビート感というか「ノれる」感じ、確かにロックの精神を感じます。

最近同じようなことを能の稽古中にも感じました。いま謡は『野守』のキリの部分を稽古中なんですが、これがもうビートが効いていて、何とも爽快です。しかもそのビートに乗った言葉(詞章)がまたしびれる。

時も虎伏す野守の鏡
法味に映り給へとて
重ねて数珠を
押し揉んで
大嶺の雲を凌ぎ/大嶺の雲を凌ぎ/年行の功を積む事一千余箇日/屢々身命を惜しまず採果/汲水に暇を得ず/一矜迦羅二制多伽/三に倶利伽羅七大八代金剛童子
東方  
東方降三世明王も此の鏡に映り
又は南西北方を寫せば
八面玲瓏と明らかに
天を寫せば
非想非々想天まで隈なく
さて又大地をかがみ見れば
まづ地獄道
まづは地獄の有様を現す一面八丈の浄玻璃の鏡となって/罪の軽重罪人の呵責/打つや鉄杖の数々ことごとく見えたり/さてこそ鬼神に横道を正す/明鏡の寶なれ/すはや地獄に帰るぞとて/大地をかっぱと踏み鳴らし/大地をかっぱと踏み破って/奈落の底にぞ入りにける

何だかよく分からないながらも、も〜何かどえらいことが起こっていそうな感じがしません? 日本語がお分かりならこのスペクタクルなイメージの横溢にただならぬパワーを感じ取ることができると思います。

ネット上に音源や映像は見当たりませんでしたが、喜多流の『船弁慶』の終幕部分(キリ)がこちらに。『野守』の終幕部分と共通するテイストです。テイスト……ってのも何だか軽い表現で恐縮ですが。


noh FUNABENKEI - YouTube

どうですか、このめくるめく高揚感と疾走感、そしてグルーヴ感。能といえば、難解でスタティック(静的)なもの、という先入観が吹き飛んでしまいます。

もちろん能には、静かで、わずかな動きの中にパワーが凝縮された(したがって「ちょっと見」にはほとんど動いていないように見える)ものも数多くあって、それはそれで奥深いものがありますが、それとともにこういうロックな、あるいはジャズセッションのような音と言葉の共鳴に触れ、その中で繰り広げられる舞を見ると、あああ、よくぞ現代にまでこれが伝えられてきたものだなあ……と深い感慨にふけってしまうのです。

ソチ五輪フィギュアスケートなどを見ていると、フリーなどこういうので滑ってもいいんじゃないかと思います。確かこれまでは、ボーカルの入った音楽はNGだったはずですが、先日こんな報道がありました。

フィギュアスケート ルールはどう変わるべきか? | THE PAGE(ザ・ページ)

この記事によれば、これまでアイスダンスにのみ認められていたボーカル入りの音楽が、来シーズンから男女シングルやペアでもOKになるよし。能のシテ謡や地謡もいわば「ボーカル」ですから、はい。いつの日か、能の謡とお囃子で氷上の舞を披露してくれる選手が登場することを夢想しているのです。

横断幕の裏に見えるもの

今月八日、サッカーJリーグの浦和レッズサガン鳥栖の試合が行われた埼玉スタジアムで、“JAPANESE ONLY”と書かれた横断幕が掲げられ、Jリーグはこの横断幕を差別的だと判断、速やかに対応しなかったレッズ側にも責任があるとして、「無観客試合」などを含む厳しい処分を出しました。

私は時々テレビでサッカー観戦をする程度のごくごくミニマルなファンですが(しかもJリーグよりは欧州のリーグ……ごめんね)、当日のTwitterのタイムラインを皮切りに、ことの成り行きを注目していました。後味の悪い残念な顛末になってしまいましたが、昨日のJリーグが下した処分や、浦和レッズ側の発表については、まず妥当なところではないかという感想を持ちました。

被害感情や義憤

この件に関して、コラムニストの小田嶋隆氏がご自身のTwitterアカウントでこの横断幕について批判したところ、相当数の「罵倒ツイート」が届いたそうです。私もタイムラインを断続的に追っていましたが、意味不明なものも含め(これ、けっこう怖いです)、その愚かしいツイートに憤りを抑えきれませんでした。

そのうえで小田嶋氏は以下のように書かれています。

 それらのツイートを見ていてひとつ気づいたことがある。
 レイシズムの横断幕を擁護している人々は、必ずしも自分たちが、他者や他民族を「攻撃」をしているというふうには考えていないということだ。
(中略)
 差別を擁護する人たちのタイムラインを見に行ってみて目につくのは、嗜虐の喜びや、残酷さや、邪悪さよりも、むしろ、被害感情であり、義憤であり、正義の感情だったりする。
 つまり、自覚としては、彼らは、「いつもいつも敵に攻撃され続けていることに堪忍袋の緒が切れただけで、本当は自分だって、こんなことは言いたくないんだ」ぐらいに思っているということだ。
3月の横断幕の向こうに:日経ビジネスオンライン

これは鋭い指摘だと思います。ネット上にはJリーグの厳しい処分に対して「でも一般のサポーターに罪はないよな」「サガン鳥栖側の迷惑も考えろ」といったような意見も散見されますが、一見バランス感覚に富むようでありながらレイシズムに対してはいささか緊張感の欠けたこういう意見の延長線上に、横断幕を擁護する人たちや、横断幕を掲示したご本人たちの思考もつながっているような気がします。

厳しい言い方で申し訳ありません。でもこれは自分に向けたものであるのです。今回の問題を通して、それから小田嶋氏のコラムを読んで、自分の中にもそういう思考の根があることに改めて気づかされました。

大好きだけど大嫌い

私は仕事で中国語圏の人々と関わるようになってまだ15年ほどですが、その間に中国大陸や台湾に住んだり、日本で中国語圏関係の仕事をしたりする中で、しだいに形作られてきた態度というかスタンスというか、要するに「他者や他民族」に対する気持ちがあります。何度もあちこちで書いていますけど、「大好きだけど大嫌い」という感情です。

中国語を学び始めて、中国語圏の人々とつきあい始めた最初の頃は「大好き」のみだったんです。ミュージシャンのファンキー末吉氏がどこかで「中国ロックを愛するあまり、国籍を中国に変えようとまでして周囲に止められた」というようなお話を書かれていましたが、その感情の高ぶり、私にもよく分かります。それほど「ハマっちゃう」。

でも中国語圏、特に中国大陸での理不尽な思い、不合理なありかた、どうにもならない旧弊、荒廃した人心に触れるにつれ、その熱は冷めていきます。その一方で、表面的にしか知らなかった文化により深く触れ、漢字を共有している中国語と日本語の繋がりと奥深さを知り、実際に知り合った尊敬すべき人の数も増えていきます。こうしてだんだん「大好きだけど大嫌い」というアンビバレントな感情に引き裂かれてきたんですね。

かろうじて保たれているバランス

私のまわりにもそういう方はいます。ある友人は日中間の交易にかなり早い段階から関わってきた人物ですが、彼女が「私個人について言えば、日本の戦後補償は完全に終わったと思ってる」と言っていたのを思い出します。まあ半分諧謔なんですけど、要するにそれだけいろんな人に騙されて、様々なものをあちらに貢いできたと。もうこれでじゅうぶんでしょうと。

私自身も、まあ自分がバカでもあるんですけど、これまでに何度も何度も何度も何度も騙されたり欺かれたりしてきました。それでもレイシズムに走らないのは、個別具体的に素晴らしい人を何人も知っているからであり、個人のあり方と国や政治や歴史のあり方を粗雑に結びつけまいという気持ちからであり、国ごと引っ越して行けない以上「是々非々」でつきあっていくしかないでしょという諦念からでもあるわけです。

でもそれは、不断に意識をしていなければならない、もしかするとかろうじて保たれているバランス感覚なのかもしれません。小田嶋氏のコラムを読んで、自分はレイシズムと遠く離れたところにいるわけではなく、けっこう危うい稜線上にいるのかもしれないと思いました。

レイシズムの底にあるのは嗜虐の邪悪さよりむしろ被害感情や義憤」。自分にも多かれ少なかれそういう感情はあって、ただそれを漏らしていない、漏らすまいという矜恃をかろうじて保っているだけなのかもしれません。たぶんそれを理性と呼ぶのでしょう。となればこの理性は、お互いに声を掛け合って注意を促し続けなければすぐに失われてしまう類いのものです。その意味でも今回のJリーグの厳しい処分は妥当だったと思います。

通訳者は「ひとりだけ門外漢」なのでぜひとも資料をいただきたいです

先々週から今週にかけて、通訳の仕事で少々忙しくしていました。といっても外に出かけるのは間欠泉的にであって、多くの時間を在宅ワークに充てているので、うちのお義父さんなんかは「あいつは全然働かねえな」と思っているかもしれません。

だいたい、通訳者の仕事って、その内実はあまりよく知られていないんですよね。サラリーマンとして定年までの何十年間を律儀に勤め上げたお義父さんからすれば、朝晩定時の出退勤を繰り返さない私をいぶかしく思っているでしょう。私の両親もそうかな。外国で仕事をしたことがある父親は多少理解してくれているようですが、母親はきっと「つうやく? そがいなもんで暮らしが成り立っていくっちゃろか」と現在でも不思議に思っているはずです。 

楽な商売か?

お年寄りだけじゃありません。むかしむかし、仕事で伺った会社の方にも言われたことがあります。「通訳さんって、いい商売だよね。口先でちょろちょろっと喋って、日当が何万円ももらえるんでしょ?」う〜ん、香具師ですか。というか、香具師にだって香具師なりの喋りの技術というものがあると思います。それに「通訳は『ちょろい』職業か」でも書きましたけど、日本語と外国語が喋れるからといって、それで通訳がつとまるとは限らないのです。さらには、その「喋れる」というのがどれくらいのレベルを指しているのかも曖昧です。

例えばお買い物のアテンドくらいなら、たぶん普通にお話ができる程度で大きな問題はないでしょう。でも、専門的な会議や商談の場合だったら、半日、あるいは一日のお仕事をするために、通訳者はその何日も、時には一週間や十日以上も前からコツコツと準備や予習をしています。その時間は報酬に含まれません。というか、その時間も含んだ報酬として比較的高い日当が設定されているんです。でもね、仮に一日で何万円もいただいたとしても、それを仕事全体に費やした時間で割れば、コンビニ深夜バイトの時給のほうがよほど手厚かったりするんですよ。

ひとりだけ門外漢

例えば先々週はとある理系の学会でした。先週はとある機械メーカーの会議でした。今週はとある飲食店チェーンの商談でした。そのどの業界についても、私は全くの門外漢です。でもそれらの会議に出席している方々は、いずれもその業界の専門家ばかりです。

業界の専門家ばかりが集まる会議で、専門家同士でさえまだ共通の知見が得られていない事柄について話す(だからわざわざ国際会議をやるのです)場面で、通訳者だけがひとり門外漢であるにもかかわらず、その門外漢が一番前に出て二つの言葉で瞬時に専門的な内容をやりとりする……という、この「無理筋感」をご想像いただけるでしょうか。

事前に資料を出していただけず、全く予習ができずに会議に出て、「標準液密度高めなら払い出しはバタ弁微開のミニフロ運転でお願いします」などと言われたら、私のような駆け出しはもちろん、どんなベテランの先生だって、まず訳せないでしょう。これは実際にとある技術会議でなされた発言ですけどね。もっともこのときはクライアントがとても通訳者に理解があって、資料を豊富に提供して下さり、前日にわざわざ時間を割いてブリーフィングまでしてくださって、じゅうぶんに予習をすることができました。

大丈夫、普通のことしか喋らないから」とおっしゃる方もいます。でも、その方やその業界の方にとっては普通のことでも、門外漢にはたったひとつのジャーゴン(業界用語、仲間内の用語)が命取りになります。だから仕事の前に最大限想像力を働かせて手広く予習をするのですが、それでも時間的・物理的に全てをカバーすることは不可能です。そりゃそうですよね、どんな業界にも長年積み上げられてきた知識の集積があるのですから。

それをよこせ

とある会議でも、結局あまり詳しい資料が出ないまま当日を迎えました。現場に到着してみると、クライアントの手には印刷された資料があって、今日はどういう戦略で行くかとか、この点とこの点だけは確認するとか、ここは譲るがここは絶対に譲らないとか、いろいろな内部情報が書かれています。それをよこせ。い・ま・す・ぐ・に・だ。

……失礼いたしました。でも、それを前もって、前日の夜でもいいので通訳者にも提供していただけたら。そうすれば単語を調べることもできるし、よりよい訳出の方法を考えることもできる。「アンチョコ」を見て楽をしたいんじゃありません。そうではなくて、御社にとってもよりよい結果をもたらすために、背景知識をできうる限り共有させていただきたいのです。語学をやったことがある方なら同意して下さると思いますが、言葉のリスニングやスピーキングには背景知識の多寡が大きな影響を及ぼしているものなんですよ。

前にも書いたように、通訳者の耳に言語Aを吹きかければ、口から言語Bが出てくるというような機械的なものではないのです。「言ったとおりに訳してくれればいいから」とおっしゃる方は多いのですが、これは通訳者を音声変換器と捉えてらっしゃる方が往々にして陥る信憑です。

とはいえ……。

通訳者も一介のサービス業、お客様が用意して下さる範囲で最善を尽くすしかありません。通訳という作業に一般の方が理解が及ばないのはある意味仕方のないことであって、となれば程度の差はあれ現場での訳出は常に付け焼き刃で立ち向かわざるを得ないのかもしれません。精神衛生上は非常によろしくないんですけどね。事前にあまり情報が知らされない仕事ほど、心配で夜も寝られなくなります。

仕事場でご一緒する英語の通訳者さんにはとても強気な方がいて、現場に着くなりクライアントを呼び出し、「こことこことここ、どういうことなのか説明して下さい。あ、お偉いさんは要らないから、現場でこの技術を担当している人、連れてきて!」などと命じちゃったりしています。私は「うわあ」と圧倒されつつも、いつもその英語の通訳者さんの、仕事に賭ける執念に心から敬意を表しています。

もっと楽しんで仕事ができるようになれたらいいな。じゅうぶんに予習ができた仕事は、現場に向かう朝もとても楽しいです。それとも通訳者に対する理解を求めつつ、もっともっと訓練を積んで技術を高めて、なおかつ森羅万象どんな話題を突然ふられても自信を持って訳せるような博覧強記の人になればいいのかな。

義父と暮らせば12:「金さ君。」

いや、びっくりしました。

これまで毎月の光熱費を三で割り、私と細君の二人分をキッチリ請求してきたお義父さんが、突然「来月から俺が負担してやるわ」と。どうしちゃったの、お義父さん。

どうやらお義父さんの弟や、亡き義母の友人らが何度も進言してくれたらしいです。身体の衰えを心配して同居してくれて、炊事洗濯掃除から身の回りの一切合切を担当してくれている娘夫婦に、年金満額もらって悠々自適のおまいがみみっちいことしてんじゃねえや……って。あ、お義父さんも弟さんも元々「いどっこ(江戸っ子)」なんですけどね。

それでも「朝、エアコンと電気ストーブ一緒につけるのはよしとくれ。電気代がかさんでしょうがねえ」だって。お義父さんも精一杯の面子を保とうとしたのでしょう。なんにせよ、ありがたいことです。月に数万円のことなんですけど、細君は心なしかお義父さんに優しく接するようになりましたし、私は私でご飯作るのが以前よりは何となく楽しくなったような。

夏目漱石の『こころ』に、こんなくだりがあります。「先生」が「私」に、世の中に典型的な悪人などいないが、いざという間際には誰でも急に悪人に変わるものだと言い、「私」がその真意をただす場面です。

 門口を出て二、三町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。
「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」
「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」
「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」
 先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」
夏目漱石 こころ

「私」はこの答えに拍子抜けするのですが、お金というものは実に侮れないものです。いくら平静を装ってはいても、お金の問題が介在するだけで心というものは影響を受けるんですね。お義父さんの申し出を聞いただけで、名状しがたい胸のつかえみたいなものがぽろりと取れちゃった自分に、いまちょっと驚いています。

二つの対照的な対談

土曜日の午後、二つの対談イベントを「はしご」してきました。期せずしてとても対照的な対談でした。

一つは、ピーター・バラカン氏と佐々木俊尚氏の対談です。池袋の東京芸術劇場で開催されている『Moving Distance:2579枚の写真と11通の手紙』というジャンル横断的芸術イベントの一つとして行われたトーク・セッションで、お題は「メディアの行方」。

展示スペースの一部を使ったこぢんまりとした会場で、しかもたった一時間でグローバル化するメディアを論じるのは難しいと思うんですけど、結果としてとても刺激的な対談でした。ピーター・バラカン氏との対談ということで、佐々木俊尚氏が冒頭で様々なメディアの中でも特に「音楽」、とりわけ音楽の聴かれ方について話したい、とテーマを明示したのがとてもよかったと思います。

私も通訳学校などで公開講座やセミナーの講師を仰せつかることがありますが、最初に、今日は何について語り、みなさんに何を持って帰っていただきたいかということを明示するようにしています。これによって聞き手も主体的にイベントに参加できるようになると思うんです。もちろん中身が充実していなければ意味がないので、準備には時間をかけないといけませんが。

バラカン氏と佐々木氏なら準備なしで「放談」しても内容に遜色はないと思いますけど、それでもお二人はたぶん対談前に簡単な打ち合わせというか、すりあわせをされていたのではないかと思います。お二人が対談の方向性を共有しつつ自分のコンテンツを提供しようという姿勢がとてもよく伝わってきました。

どちらかというと佐々木氏が聞いてバラカン氏が答えるというスタイルでしたが、お二人とも同じくらいの時間話されていましたし、話がうまくかみ合ってお互いをフォローしつつ発展性がありましたし、短いながらもとても満足度の高い対談でした。

いろいろな話がありました。なかでも、グローバル化が世界を一色に染めようとする一方で、ローカルなものが全く別の地域の人たちとと繋がる可能性が生まれているという「グローカル」の話題と、音楽の聴かれ方の今後の可能性、特にYouTubeやパンドラのようなクラウドから聴くことが主流になりつつあることなどが特に興味深かったです。

ところで、最後に質疑応答の時間があったのですが、質問に立ったうちのお二人ほどがいずれも「時間に遅れてきて途中から聞いたのですが」と言っていて、ちょっと驚きました。たった一時間の対談に遅れてきて、しかも全部聞いてないけど質問するというの、対談者に対しても聴衆に対しても失礼なんじゃないかな。しかも質問内容が「○○について、今日の対談で話されましたか?」だったりして。もっともお二人はそんな質問にも嫌な顔をせず、さらに興味深いお話を聞かせてくださいましたが。

通訳学校でセミナーなどを開催するときにも、遅れてくる方が必ずいらっしゃるんですけど、あれはとてもやりにくいです。冒頭で提示するテーマや今日の方向性を共有していただいてないと、こちらも話しにくいんですよね。それで話の途中でもう一度簡単にテーマに触れたりして。最初から参加されている方には迷惑な話だと思います。

もう一つは、アテネ・フランセで行われた字幕翻訳者の太田直子氏と映像評論家の安井豊作氏の対談です。

1930年代に撮影されたハワード・ホークス監督の映画『ヒズ・ガール・フライデー』を鑑賞したあとに、この映画の字幕を担当された太田氏と映像作家でもある安井氏が「映画にとって翻訳はいかにあるべきかを翻訳論と映画論の立場から考えてみたい」というのが対談の趣旨だったんですけど……ここまで空疎な対談は初めてでした。

いや、太田氏は中身のある話をしようとするんですけど、安井氏が全部ぶち壊しちゃう。対談の方向性を共有しようという姿勢が全く見られませんし、そもそも何を話しているのかさえ意味不明でした。何の準備もしていないのがよく分かります。あまりにひどいので途中で退席してしまいました。

あと15分くらい残して退席しましたが(私の他にもぱらぱらと退席する人がいました)、そのあと15分間に対談の中身が一気に濃くなって……ということはあったのかもしれません。でもあの安井氏の不誠実さに我慢ができませんでした。太田氏は『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』など著作を何冊か読んでとても共感していたので、対談を楽しみにしていたんですけど。もって他山の石としたいと思います。

時間に遅れてくる聴衆に憤っておきながら、自分は対談が終わる前に出てきてしまったという、なんだか情けない結果になってしまいました。