インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

“核心価値”をつかむ通訳訓練

現在複数の学校で通訳のクラスを担当しているのですが、そのうちのひとつは華人留学生が学んでいる専門学校です。この学校の留学生は、ほとんどが日本語学校で日本語を一年から二年ほど学んで入学してくるのですが、通訳訓練を始めてしばらくは、なかなか訳すという作業そのもの、とりわけ口頭で訳すことに慣れないという方が多いです。

翻訳はまだ馴染みがあるのです。これまでにも英語や中国語を学んで、英文中訳や日文中訳などをやってきており、充分に時間をかければなんとか翻訳らしきものを書き上げることはできます(それでも添削する先生から赤ペンがぎっしり入っていますが)。ところが口頭での通訳になると、なかなか慣れない、訳せないという方が多いのです。

いくつか理由は考えられます。

まず、通訳は時間の制限があるので、訳語や訳文をじっくりと吟味している暇がなく、自信が持てずに声が極端に小さくなって、結果的に訳出の体をなさないこと。

そして、メモを取るとはいえ次々に流れては消えていく音声を追いかけるのに必死で、結局メモが取れないとか、一部分しか覚えていないなどで発言全体を再現できないこと。

さらに、これが一番大きいような気がしていますが、これまでは日本語学校でひたすら日本語だけを話すように言われ、母語である中国語をなるべく使わないように言われてきたのに、通訳は双方向なのでむしろ積極的に使わなければならず、その二つの言語をスイッチする感覚自体に戸惑っていること。

というわけで私はまず単語レベルのクイックレスポンスから始めて、二つの言語を行き来する(スイッチする)こと自体に慣れてもらったのち、徐々に短文から長文へ、簡単な内容から複雑な内容へと教材を調整していくようにしています。

それでも、なかなか翻訳や中文日訳での習慣が抜けずに、発話の頭から単語を一つ一つ変換しては組み替えていく……といったやり方しかできない方がかなり多く見られます。クライアントの中にも「通訳者さんって、そんなに素早く単語を変換して組み替えることができるなんてすごいですね」などとおっしゃる方が時々いますが、実は通訳という作業はそういうものではないんですよね。そんな、片っ端から単語を変換して他の言語の語順に組み替えるなんてこと、プロでもできないし、してもいないと思います。

Wikipediaで「通訳」という項目を引いてみると、こんな「定義」が書かれています。

通訳(つうやく、英: interpretation)とは、書記言語ではない二つ以上の異なる言語を使うことが出来る人が、ある言語から異なる言語へと変換することである。
通訳 - Wikipedia

確かに、市販の通訳の教科書などを見てみても、たいがい左側に原文(英語や中国語など)が、右側に訳文(日本語)が載っており、それらを「変換」することが通訳だというコンセプトを見て取ることができます。そうした「変換」をたくさん覚えていけば通訳ができるのではないかと。だから「素早く単語を変換して組み替えることができるなんてすごい」という誤解が生まれるのでしょう。

もちろん固有名詞や数字などであれば一対一の「変換」がなされると考えてよいと思いますが、もっと複雑な発話の内容では単語や文章を言語Aから言語Bにただ「変換」しているわけではなく、もっと大胆なことが行われています。この辺りのことを、数年前に放映された『情熱大陸』というテレビ番組で、英語通訳者の橋本美穂氏が分かりやすく解説されていました。

実際には通訳者にとっては、すごくいろんな動作を瞬時に行わなくてはいけなくて、「リスニング」した音を「理解」しないと意味がないですよね。で、ここ(頭の中)に、今度はイメージをして記憶するんですよ。「イメージ」をするんです。


日本語と英語は語順が逆で、それがゆえにやっぱり、聞こえてきた順番そのまんま文字を変換すれば訳せるのかというと、そうではなくて、この英語というところと日本語という世界の間に非言語地帯がある。「反対派が多い」って言われると、こう「プンプン」ってイメージが強いんだなとか、そういうふうに覚えておきます。

こちらはその番組で用いられていた図解ですが、つまり“I decided to ask my girlfriend to marry me.”という「音」から非言語である「イメージ」を思い描き、その「イメージ」を描写する日本語で語る……それが通訳という作業の営みなのだと。

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この「イメージ」、ないしは言語Aと言語Bの間にある「非言語地帯」という捉え方は、個人的にはとてもしっくりきます。私もそうやって訳しているからですし、またかつて通訳学校で学んだ際にも、恩師の多くが似たようなことをおっしゃっていました。「目の前にイメージを立ち上げ、それを説明するように話す=訳す」だと。

この営みのポイントは「俯瞰」ないしは「鳥瞰」だと私は思っています。例えば下の左側の写真、地上にいれば単なる列柱にしか見えず、その先は行ってみなければどうなっているのか分からない——これは発話の内容を、翻訳と同じように頭から次々に変換して組み替えようとするのと同じです。これを右側の写真のように上空の鳥の目から俯瞰してみると、全体の形が分かります。話の理路、ないしは意図全体が見通せるのです。通訳学校では先生によく「意味ではなく意図を訳すように」と指示されましたが、きっと同じことなのだろうと考えています。

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初心者は俯瞰ができず、いきおい聞こえてきた単語を片っ端から変換してつなぎ合わせようとする。だからたいがいそんなアクロバットが続かなくなって、発話の後半がごっそり抜け落ちるなんてことがよく起こります。ポイントは、慌てず騒がず発話全体を「俯瞰」して、その「意図」するところを別の言語で語る……ということなのですね。

とはいえ、“說起來容易做起來難(言うは易く行うは難し)”。そうした俯瞰の技術をどのように身につければよいのでしょうか。ひとつは「サマライズ」と呼ばれる要約訓練(例えば五分ほどのまとまった内容の音声をメモを取りながら聞き、それを一分に圧縮して話すなど)が有効だと思いますが、私が初学段階の華人留学生と一緒にやっているのは「その発話の“核心価値”を表す単語やフレーズをひとつだけ選ぼう!」というタスクです。

通訳における発話は次々に耳に届くので、アレも訳さねばコレも訳さねばとパニックになったあげくフリーズ……という方が多いので、まずは一言だけ、今聞こえてきた発話の中で一番言いたいことは何か、その単語かフレーズだけを訳すという練習です。例えば……

关于贵方提出的访问N公司的要求,由于该公司方面有关负责人正在国外出差,所以这次代表团逗留期间很难安排前去参观。

……という発話*1があったとして、この中で一番言いたいこと(発話者の最大の意図)は何でしょう。

いろいろな捉え方が考えられますが、私だったら“很难安排”を選びます。「手配できない」と言いたいのです。そこから「何が手配できないの?→N社への訪問が」、「なぜ?→担当者が出張中だから」と情報が膨らんでいきます。実際のところ、上記の発話を「担当者が出張中なのでN社への訪問は手配できません」と訳せば、完璧にはほど遠いものの最低限の情報伝達はできており、100点満点で60点くらいは獲得できると思います。もちろんもっと細かい情報を織り込むことができればプロの訳出に近づいていくわけですが。

こうやって、通訳を学び始めたばかりの華人留学生のみなさんには「まずは頭から全部訳そうと思わず、“核心価値”をつかんで、それだけを訳してください」と伝えています。そうやって「俯瞰」の感覚を養ってもらった上でさらに精確な訳出へと少しずつステップアップして行くのです。今のところ、最初はこうやってハードルを思い切り下げることで(とはいえ“核心価値”を的確につかむのは高い言語能力が必要ですが)過度に緊張することなく訓練に取り組めているような気がします。