インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない

学校の文化祭で留学生が演じる日本語劇、昨日の初日はなんとか滞りなく上演できました。途中で一、二度台詞が飛んだ場面があって、舞台袖に「プロンプター」として陣取っていた私が失念した台詞を入れたのですが、あとから留学生に「センセ、余計に緊張するから台詞を入れないでください」と逆に「ダメだし」されちゃいました。わはは、ごめんなさい。舞台は役者のもの、今日はみなさんを信じてすべて任せます。

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ところで、曲がりなりにもこれだけの「達成感」をみんなで味わっていると、留学生の中には内心忸怩たる思いに駆られる人たちが何人か出てきます。それは授業にきちんと出席してこず、お芝居の練習もサボってばかりだったので、主任の先生が業を煮やして、ついにキャストやスタッフの役割を干されてしまった人たちです。

もともとこの文化祭の日本語劇は、通訳訓練の一環としての「日本語の音声訓練」の延長として位置づけており、春の開講時、いえ、入学前の面接時から「これこれこういう意味合いで、こういう取り組みをしますよ」と繰り返し説明してあります。何のためにこの訓練をするのかが明確でなければ積極性も生まれないし訓練の効果も望めないからですが、やはり何十人もいる留学生の中にはついつい自堕落に流れて真面目に取り組まない人が出てきてしまうんですね。まあ異国での慣れない生活に加えて、たくさんの宿題や課題、さらにはアルバイトなどで疲れて、つい易きに流れてしまうのは分からなくもありませんが。

ただ、私たちの課程は「義務教育」ではありません。もちろん学ぼうとする人に学びの機会を最大限与えたいという思いは強く持っているつもりですが、だからといって「運動会の徒競走でみんな手をつないでゴール」みたいな方針は採らないことにしています。留学生のみなさんの自主性は最大限尊重しつつも、ある程度の規律や統率、さらには指揮・命令を通じたある種の「圧力」も注意深く使います。また、一般のお客様にも見てもらう以上、ある程度のクオリティも追求します。

そういった状況の中で、結果的に「干されてしまった」人たちが今年も何人か出てしまいました。それでももちろん文化祭当日に学校へ来た場合にはその場でできる役割、例えばお客さんの呼び込みや誘導などを担当してもらいます。でも、真面目に訓練に参加してキャストやスタッフとして力を発揮し、外部のお客さんたちから拍手喝采やお褒めの言葉をいただいて、充実感や達成感に浸っている同級生たちを見ていると、ああ羨ましいな、自分も真面目にやっていればよかったな、と思うのでしょうか、「センセ、私も何かやりたいんですけど……」と申し出てきます。

そうした充実や達成をみたのは、きちんと訓練に参加してきた同級生たちの努力によるものです。ですから、普段はサボっておいて、他の人が努力して積み上げた達成にポンと乗っかっちゃうのは虫がよすぎるのですが、そこはそれ、私たちは別に意地悪をしたいわけではないので、生徒がそれなりの反省を示して「誠意」を見せれば、何かの役割を振ります*1。ほんとうはこういうアメとムチみたいなこと、やりたくないんですけどね。そういうのは家庭のしつけでやってほしいというのが正直なところ。

例えば、いつも朝遅刻して来たあげくに「干されてしまった」留学生には、「文化祭の時くらいきちんと定時に、いや、いつもより30分早く来てみませんか。私たちもそれより前に来て待ってますから」と告げます。今年の場合は、全員きちんと登校してきました。やればできるじゃないですか。やはり、自分の中から「これをやりたい!」という思いがわかなければ、いくらこちらが言っても行動にはつながらないということですね。「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」という言葉を思い出しました。

*1:今年初めて発見したことなのですが、華人留学生の場合、中国語で「道理」を説くとかなり深く反省するみたいです。ふだん日本語で注意しているときは上の空で聞いている人でも、中国語で注意するとかなり表情が変わるんですよね。あるいはふだんあまり日本語がよく聞き取れていないのかもしれません。