インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

繊細でこまやかで美しい中国にひかれた

以前、日本で中国語を教えながら事業もなさっている中国の方とお話しする機会がありました。北京出身のその方は「北京があまりにも急速に変わるので、正直に言って悲しい。私の北京はどこに行ったの? という感じ」とおっしゃっていました。

ちょうど吉川幸次郎氏の『遊華記録——わが留学記』を再読していたところでした。そして氏が中国の「手近で、ことごとしくないヒューマニズム」にひかれ、かつ「中国の持つ、日本よりももっと繊細でこまやかな美しいもの」が特に好きと言われていることについて、改めていろいろと考えさせられました。かつて自分が中国に、そして中国語に「ハマった」のはなぜだったかな、と。

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吉川氏は荻生徂徠をひいて「まず中国のこまかなやさしいところがわからぬと、そのいかめしいところもわからぬ」と言います。そして、いかめしい部分も中国の非常に重要な性質ではあるが、自分はあまり好きではない、とも。一帯一路でアジアや中東はおろかアフリカまで睨みをきかせ、一方で米国との貿易戦争を繰り広げ、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの中国を目の前にした現在にこんなことを言われても「?」かもしれませんが、私にはこれ、とても納得のいく言葉でした。

私が中国語を学び始めたのは1990年代ですから、そんなに昔じゃありません。それでも初めて行った中国では、特に江南地方の田舎を選んで行ったということもあるのですが、まだ使われていた「外貨兌換券」をお店で出すと「それは何だ」と聞かれ、懐からカメラを取り出すと人が寄ってくるというような時代でした。表に出れば人と自転車の滔々とした流れが果てしなく続き、効率とか能率などという言葉はあまり幅をきかせていないように見えた人々の営み。そういう中国の牧歌的なところに強く惹かれていました。

まあ「牧歌的」などという形容からしていささか「上から目線」のニュアンスがこもりますし、こんなのははっきり言って外国人旅行者の勝手なノスタルジーです。それに、当時私が触れたものが吉川氏のおっしゃるものと同じかどうかもわかりません(たぶん違うでしょう。時代からして違いますし)が、それでも自分が久しく忘れていた「手近で、ことごとしくないヒューマニズム」に似た何かを、初めて行った中国で感じたのでした。

当時のNHK中国語講座のテーマソングは「北風吹」だったのですが、その音楽と映像にも「繊細でこまやかな美しいもの」を強く感じていました。その曲が実は1940年代の抗日戦争に材を取った革命バレエ『白毛女』の一節であることを知ったのはもう少し後のことです。YouTubeに音楽だけがありました(2:05あたりから)。イントロを聴くだけで「うわ〜っ」とこみ上げてくるものがあります。

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それから、当時評判になっていたサントリー烏龍茶の一連のCMからも、同じような感覚を受け取っていました。今となってはずいぶん偏った、中国のごくごく一部のイメージに過ぎなかったと思いますけど、とにもかくにもこの辺りが私の中国への入口だったわけです。三国志やカンフーやパンダなどではなく、ましてや政治でも経済でもなく。

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もちろん吉川氏は、そうした「繊細でこまやかな美しいもの」を主に体現している都市の読書人の営み、それも豪奢と言えるほどの営みを農村の何倍何十倍もの農民が支えていたことにも触れ、その格差は日本などの比ではないともはっきり書かれています。それでも、氏の中国に対する捉え方に、ああ、自分も最初の「中国体験」はまさにこれに近いところにあったのではないかと思いました。

職業上「これを言っちゃあおしまい」かもしれませんが、私は現代の中国にはあまり惹かれません。すごく変化が速くてエキサイティングで、目が離せないという意味ではこれほど面白い国もないと思うけれど、「繊細でこまやかな美しいもの」をたたえた、かつて夢にまで見たほどの憧れの“國度(国柄)”は影をひそめてしまったような感じがして。その意味では北京出身のあの先生の感慨が分かるような気がします。いまこの瞬間にもかの国と「がっぷり四つ」で組み合っている方々には「まさに老害」認定されるかもしれませんけど。

それでもまあ、個人的なおつき合いはいろいろとあるし、これからもそのおつき合いは続いていくでしょう。なまじ中国という巨大な相手に勝手なノスタルジーを仮託していた部分が脱色されて、より醒めたフラットな目で見られるようになったと考えれば、この方がよいのかもしれないと思っています。

かつてTwitterにこんな勇ましいツイートをしたことがあります。


ううむ、「義務」だとか「最低限のつとめ」だとか、これこそ何だか「ことごとしくて」恥ずかしい。ここに前言を撤回して、中国とのつきあいを仕切り直ししたいと思います。