インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

雪が「hi-la-ha-la」と降ってくる

なにかの外語を学んで「達人」の域に達した方が、自分の母語と比較してその外語を語っている文章を読むのが好きです。どうやって外語を学ぶのかというヒントが見つかるのもさることながら、そうした方、例えばそれが日本語母語話者であれば、その視点は母語である日本語のありようにも深い眼差しが注がれているからです。そう、外語を学ぶということは、すぐれて自らの母語を見つめ直す営みでもあるんですよね。

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先日は、昭和28年に文部省から出版された吉川幸次郎氏の『国語のために』という小冊子を読んでいたら、「かなづかい論」という一章に「日本語の表記法が、発音をそのままに表記しうることを特徴とする」点を説明するための対照として、中国語のこんな例が引かれていました。

たとえば、雪のふるのを形容する中国語として、hi-la-ha-la とききとれることばがある。こどもでも、しょっちゅういうことばである。しかしそれに対する漢字はまだできていない。したがって、それが中国の記載に現れることはまれである。むりに記載しようとすれば、むりなあて字をしなければならない。こうした擬態語(オノマトペイア)で、中国の口頭語としては活発に使われながらも、表記すべき文字がないために、記載に現れないものは、無数にあると思われる。

なるほど、吉川氏がこの言葉を聞き取っておられたのは北京だそうですが、北京の土着の言葉に音だけがあって漢字がないというものはたくさんある(あった)ということですね。これは他の地方における土着の言葉もそうで、例えば台湾語にも漢字で表記できない言葉がたくさんあるそうです。漢字を当てたり、新たな漢字を作ったり、アルファベットと交ぜ書きしたりといった様々な試みが行われているそうですが、いわゆる正書法というものがまだ確立されていない言語なんですね(参照:台湾語 - Wikipedia)。

それはさておき、この「hi-la-ha-la」というオノマトペが面白いなと思いました。現代のピンインに「hi」という音はなく、ピンイン以前に広く使われたウェード式の表記にもないようです。もとより表記するすべがない言葉なんですから仕方がないですが、この北京語(北京土語)は現在でも使われているのでしょうか。現在では漢字のあて字が存在するのかもしれませんが、どのように表記するのでしょうか。ちょっとネットで検索してみたんですけど、結局分かりませんでした。今度、北京出身の方に聞いてみようと思います。

中国語のオノマトペでは、似たものに“劈里啪啦(pīlipālā)”というのがあって、これは「パチパチ」とか「パラパラ」にあたります。爆竹がはぜる音とか、そろばんを弾く音とか、そんな感じ。「hi-la-ha-la」の「hi」は、もしかしたら現在のピンインでんの「xi」かもしれません。“细啦哈啦”とか書きそう(検索してみたけど、当然見つかりませんでした)。“唏哩哗啦(xīlihuālā)”という言葉はありますけど、これはどちらかというと雨がザーザー降る感じで、雪が静かにしんしんと降る感じはないような気がします。まあこれも私個人の語感なので、ネイティブスピーカーに確かめてみましょう。

いま雪が「しんしん」と降る、と書きましたけど、日本語における降雪のオノマトペは「しんしん」以外に何がありますかね。思いつくところでは「ひらひら」「さらさら」「ちらほら」くらいですけど、いずれも軽い感じ。東京ではあんまり雪は降らないですし。でも豪雪地帯の方言にはもっと豊かな表現があるかもしれません。さっき検索してみたら「ぱやぱや」「もすもす」が見つかりました。なるほど、なんとなくどんな雪が降っているのかが分かります。これは母語だから分かるんですよね。中国語にも“沙沙(shāshā)”とか“簌簌(sùsù)”とか“窸窸窣窣(xīxīsūsū)”とか“淅淅沥沥(xīxīlìlì)”といった雪が降る音のオノマトペがありますけど、その語感の軽重を断定できる自信はありません(いずれも軽い感じはしますけど)。

吉川幸次郎氏がききとった「hi-la-ha-la」は、「ひらはら」と書けばなんとなく日本語のオノマトペみたいな感じもあります。「雪がひらはらと降ってきた」。うん、けっこう通じそうです。

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追記

上述したオノマトペのくだりに続いて、こんなことも書かれています。

ひとりそうした擬態語ばかりではない。日常に使われる動詞にも、そうしたものは、だいぶあるらしい。たとえば、ひっぱる to pull という意味のことばとして、dai の去声にききとれることばがある。また居住する to stay という意味のことばとして、やはり dai、そうしてこれは平声の dai にきこえることばがある。いずれも北京では日常のことばである。しかしそれが記載に現れることは、ほとんどまったくない。それらの概念に呼応しつつ、これらの音声の表記となるべき文字が、まだできていないからである。

これも面白いですね。後者の「居住する」をあらわす「dai」は現代中国語で“呆(dāi)”もしくは“待(dāi)”があります。吉川氏がききとった当時は当て字がなかったものの、その後これらに落ち着いたのでしょうか。前者の「ひっぱる」をあらわす「dai」は思いつきません。ネットで検索してみたら北京の方言で“扥(dèn)”というのがあって、これが「ひっぱる」の意味なんだそうですけど、ちょっと音が違いますよね。これもネイティブスピーカーに確かめてみたいと思います。