インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

カルト宗教信じてました。

たもさん氏のマンガ『カルト宗教信じてました。』を読みました。「エホバの証人」に翻弄された日々と、カルト宗教から決別するまでのいきさつ、その後の気持ちを描いた「体験系マンガ」。ネットで見つけてすぐにKindleで読みましたが、私も小学生の頃から母親の影響でとある新興宗教に引きずり込まれ、大学生の時に自力で洗脳を解いたので、全編涙なくしては読めませんでした。


カルト宗教信じてました。

冒頭に、宗教にハマった母親と、それに反対する父親が口論する場面が出てきます。私も子供の頃に全く同じような(夜、ふすまのすきまからこわごわ眺めていたというシチュエーションまで全く同じ)体験をしました。母親が、妹(つまり私の叔母。すでに他界しています)から誘われて「入信」したのは、神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)という新興宗教でした。

神慈秀明会世界救世教の分派で、外見的には日本の「神道」を踏襲したスタイルの宗教です。礼拝に用いられる「天津祝詞(あまつのりと)」は神社での様々な儀式で一般的に用いられている祝詞(私は今でも暗誦できちゃいます)で、拍手をするのも同じです(ただし三拍手)。世界救世教の教祖である岡田茂吉(おかだもきち)氏を「明主様(めいしゅさま)」として礼拝の対象に据え、浄霊(じょうれい)という手かざしのお清め儀式が日常的に行われます。

また「真善美」の全き「地上天国」を建設するというのが教義のひとつで、美術品収集や芸術鑑賞、さらには自然農法などを重視しています。尾形光琳作の国宝「紅白梅図屏風」を所蔵していることで有名な熱海の「MOA美術館」は世界救世教が運営していて、MOAは「Mokichi Okada(岡田茂吉) Assosiation」の略称なんですよ。また滋賀県にあるI.M.ペイ設計で有名な「MIHO MUSEUM」は神慈秀明会の運営です*1

神慈秀明会 - Wikipedia

youtu.be

私は小学校三年生頃から、母親に連れられて集会所(教会)に行くようになり、中学校、高校とこの宗教の価値観の中で育ちました。幸か不幸か、母親は身体が弱かったこともあって(それも信仰のひとつの理由)あまり熱心で過激な宗教活動はできず、また、たもさん氏のご家庭同様、父親が全くの無信仰で反対していたこともあって、私もカルト宗教でよく取り沙汰されるような「出家」や「滅私奉公」みたいなところまでは行きませんでした。それでも多感な時期をすべてこの宗教の価値観に引きずられて暮らしたことについて、一時は母親を恨んだこともありました。

たもさん氏は、あとからご自身の母上を振り返ってこう書きます。

もし母がもう少し自立した女性で、もう少し自分に優しくひとりでも心許せる友人がいたら、母が神に抱かれることはなかったのかもしれません。

そうなんですよね。私の母親もその意味では自立できていなかったのかも知れません。父親は典型的な転勤族で、九州から北海道へ、その後大阪へ、東京へ……という感じで転々と移動していました。それについて母親もあちこちに移動していたわけで、馴染めない土地の連続はとても寂しかったのではないかと想像します。

そして、たもさん氏のマンガでは、その後結婚してともにカルト宗教の呪縛から抜け出すきっかけになる夫・カンちゃんがこう語っています。

自分の人生の半分を奪っていったエホバを許せなかったよ
最後に集会に乗り込んで全部暴露してやろうかとも思ったよ
でもそれやって何になる?
エホバの証人の信者なんてこの宗教内でしか生きられない人ばっかりだよ
目が覚めない人は何やったって覚めないし
やるだけ時間の無駄だと思ってやめた

……うんうん、よくわかります。その気持ち。

突然洗脳が解けた理由

神慈秀明会は、規模が拡大するにつれて布教活動や献金活動が過激化していきます。上記のWikipediaにも載っていますが、それが1990年代の半ばから後半にかけてで、ちょうど私が高校から大学に進む時期でした。確かにかなり過激でファナティックな雰囲気だったという記憶があります。こう書くとちょっと語弊がありそうですが、もともと神道系の教義で純粋思考というか潔癖というか、極端に走りやすい体質だったのではないでしょうか。「滅私奉公」という言葉も実際に投げかけられたことが何度もありました。

そんな中、大学生になっていた私は徐々に教団に対して疑問を抱くようになっていました。これもたもさん氏のマンガに出てくるのですが、自分たちはこの宗教に依って善行を積み、救われる。だが信じないものたちは地獄に落ちる……というある意味単純で傲慢な価値観への違和感がいやがおうにも膨らんできたのです。

これ、やっぱり大学の一般教養科目で「法学」や「経済学」や「教育学」などを学んだことが大きかったと思います。うちの大学ははっきり言って一般教養科目はお飾り程度にしか考えていないような三流校でしたが(関係者諸氏、ごめんなさい)、それでも学ぼうとする者には学びを与えてくれるまっとうな先生方がいました。この点、本当にラッキーだったと思いますし、当時の一般教養科目の先生方に感謝しますし、リベラルアーツの大切さを改めて感じます。

たもさん氏のマンガにはこう書かれています。

洗脳されている当の本人は(かつての私も含め)自分が洗脳されているなんて夢にも思っていません。むしろ、唯一無二の真理を知ることができているという、謎の優越感を抱いています。そして真理を知らない人、知っていても神の教えを守らない人を、「いずれ亡びる気の毒な人、救いの必要な人」とみなしています。

そう、かつての私自身がこうした謎の優越感に浸っていました。「ハルマゲドン」にしたって、要はよい人が生き残って悪い人が亡びるってこと。人間の歴史も社会もすっとばして単に自業自得ってことなんですから、よく考えればこれほど傲慢な考えもないですよね。でもホント、かつての私も全く同じように思っていました。そのために友人を失ったこともあります。それでも、大学でより幅広い世界を知るにつけ、違和感がどんどん大きくなっていきました。

実は神慈秀明会は1997年に新体制となり、以降は「それまで社会問題の原因になりがちだった過激化した布教活動や献金活動などを制限、活動は全盛期に比べかなり沈静化(Wikipedia)」するのですが、私が洗脳から解けたのはその直前だったと記憶しています。

洗脳から解けて神慈秀明会と決別した日のことはとてもよく覚えています。あまりに熱心に自己犠牲と滅私奉公を強いる若い信者夫婦*2の攻撃のおかげ(?)か、あるとき不意に「こんなのいらない」と、浄霊のために常に肌身離さず首にかけていたお守り(おひかり)を下宿前の庭で焼いたのです。身体から外すときは必ずお清めをした半紙の上に置き、常に恭しく取り扱うべきと教え込まれていた「おひかり」を、です。本当に洗脳から解けたのであればゴミ箱にぽい、で済むはずですが、一応のお清め的儀式のように焼いた、というのが今考えると微笑ましいし、自分としても精一杯のところだったのかなと思います。

いや、カルト宗教の呪縛から抜け出すことができて本当によかった。私は今でも、大学生の時に自らの力で洗脳を解くことができたことを誇りに思っています。いや、自らの力だけではないですね。当時私の周りにいた友人や知人、学校の先生やアルバイト先の人々、様々な方とつながり、話をしていく中でその決断に到ったのだと思います。そしてまた学生時代に大量の本を(多少背伸びしながらも)読んだことも。人はたった一人で生きているわけではなく、人とのつながりの中で生かされるのだという事実を今さらながらに噛みしめています。

このマンガのあとがきにはこう書かれています。

日本には信教の自由がある。しかし、信じない自由もある。

どなたにとっても、このマンガに描き出された「自分の人生への肯定」はなにがしかの糧になるはずです。人とつながりながらも自律と自立を尊ぶ方にぜひお読みいただきたいと思います。

*1:この記事を投稿した当初、私の書き方が悪くてどちらの美術館も世界救世教の運営のように読めてしまっていました。正しくはMOA美術館は世界救世教の、MIHO MUSEUM神慈秀明会の運営です(2018年7月17日訂正)。

*2:私が住んでいた街のリーダーでした。小さなお子さんがいて、NECにお勤めの20代後半の方だったかな。今どうしているかな?