インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

テレビを見続けると××になる?

居間、台所、寝室。小さな家の中に、テレビが三台も。晩年のお義父さんは、日がな一日テレビを見ていました。

テレビって、BGMがわりにつけているとついダラダラと見続けてしまいがちです。それでお義父さんは、みるみる認知症が進んでいったような印象がありました。そこで最近うちでは、テレビは見たい番組だけ見てすぐに消し、つけっぱなしをしないようにしています。

……と、教材作成中に偶然見つけたこちらの古いNHKクローズアップ現代』に、テレビを見続けることと認知症の関係を裏づけるような話が紹介されていました。


クローズアップ現代:2人に1人が“読書ゼロ” 日本人に何が? 2014 12 10 19 30

テレビを見ている時の脳は、テレビの映像と音声をそれぞれ視覚と言語を司る部分で捉え、場面の意味を理解します。ところが次々と場面が変わっていくため、入ってくる情報の意味を理解することに追われてしまい、深く考えることをしにくくなるとのこと。

一方、これが読書では、例えば「トンネルを抜けると雪国であった」という一節を読む際、まず言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとします。この時に脳は「どんな景色?」「主人公はどんな人?」などとイメージを補うために再び視覚を司る部分が動き出し、思考の循環が生まれるというのです。

ここで脳は、過去に見た風景などの記憶を元に想像を膨らませ、場面のイメージを作り上げていきます。番組では、読書にはこうしたサイクルを促す作用があり、想像力・創造力の涵養につながる、というような解説でした。

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なるほど、テレビを見続けると刹那的な受身の理解で手一杯になり、能動的で継続的な思考が起動しにくいんですね。それでなくてもテレビは映像があり、音声があり、さらに昨今はその音声のテロップが過剰なまでに文字で提供されます。これでは思考する必要がほどんどありません。認知症が昂進するのも宜なるかな、と思います。

番組では、読書をする習慣のある大学生と習慣のない大学生では、自らの見解の構築方法に大きな差があることも紹介されていました。サンプル数が少ないので確定的なことは言えませんが、読書の習慣がない大学生のレポートは、他人の見解の引用と自らの見解との差が曖昧で、思考が深まっていかないことが如実に示されていました。

GoogleのAIが、猫とは何かを教えられることなくひたすら猫の情報を集め続けてついには自力で猫を認識したというニュースがありましたが、自分の中に、自分なりの思考を宿すためには、自ら情報を集め、取捨選択し、自分なりの見解を「創造」していくことが不可欠なのかもしれません。

googleblog.blogspot.jp

猫を認識したGoogleのAIはゼロから世界を分節化するという「迂遠」な方法を採りましたが、私たちにはもう少し「効率的」な読書という手段があります。

すでにできあがっている情報を受身的・刹那的に消費するだけのテレビ視聴は、楽だけれども麻薬的な危なさがあるのだと改めて理解しました。うちではいま「テレビを見るとバカになるよ!」が家族の合い言葉のようになっています。