インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

メタ認知がなかなか発動しにくい業界

歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)」というポッドキャストの番組があります(YouTubeなどでも視聴できます)。私はこの番組が好きでよく聞いています。世界史のさまざまなエピソード(出来事だったり人物だったり制度や社会のありようだったり)を深堀りして、系統立てて(しかも面白く!)話してくださるのでとても勉強になるのです。

この番組でメインの話し手をされているおひとり、深井龍之介氏はよく「メタ認知」という言葉を使われます*1メタ認知とは簡単に言うと、自分が今現在認知していることを、さらにもう一段高いレベルから認知するということ。つまり自分がこうだと思っていることからいったん距離をおいて俯瞰してみるということですね(たぶん)。より簡単に、自分を客観視することと言ってもいいかもしれません(もちろんこれが簡単じゃなくて、とても難しいのですが)。

深井氏はじめコテンラジオのみなさんは、歴史を可能な限りフラットな視線を保ちつつ虚心坦懐に勉強すること、つまり歴史をメタ認知することが、ひいては今の自分のありようやこれからの生き方をもメタ認知することにつながるとおっしゃっているのでしょう。私自身にとってはこれは、とても心に響くメッセージです。

というのも私はいま、歴史の認知(認識)という点においてはなぜか伝統的にメタ認知がなかなか発動しにくいのではないかと思われる業界、中国語業界に身を置いているからです。語学に限りませんが、こと「かの国」に関する限り(韓国や北朝鮮やロシアなんかもそうかもしれません)、フラットな視線を保ちつつ話すことができる方が少ないという印象があります。

私は40歳に近くなってからこの業界に入ったので、それほど長い間業界の変遷を観察してきたわけではありません。しかし、そんな私が見聞きすることができた範囲に限っても、中国語にはなかなかにめんどくさいファクターが山盛りです。それは北京語ーー中国語のなかでも「標準語」的にあまねく使われており、それがゆえにビジネスの現場で使われる比重が際立って高く、従って私たちのような非母語話者が学ぶ際にはほとんど一択といっていいーーのありようをめぐる諸相です。

もちろんそれは、中国語(北京語)を使う地域における実質的にふたつに分かれた政体のありように根ざしています。つまり中華人民共和国中華民国(台湾)ですね。

いま私は中国語とか北京語とか中華人民共和国とか中華民国などと「さらっ」と書いていますけど、これだって業界の一部にはすぐに眉毛をつり上げにかかる人たちがいます。これがけっこうめんどくさい。中華民国に括弧書きで台湾と書くのだって、ときに地雷になりかねないという、業界の外から見れば少々理解しがたいめんどくささです。

これはまあ、両政体が繰り広げてきた(そしていまも継続している)歴史に由来しているわけですが、それと同時に日本の中国語教育が伝統的にほぼ北京(つまり中華人民共和国)一辺倒で行われてきたということとも関係しています。

私は最初にそういう環境で学び、中華人民共和国に留学もした後で台湾でも働いたことで、その両方を「全部取り」しようと意識してきました(日本人という第三者なんですから、ある意味当たり前です)が、この業界ではときに、そんな姿勢に眉を顰める方がいらっしゃるのです。「顰める」つながりで「コテンラジオ」の顰みに倣えばメタ認知できない方が多いということですかね。

パソコンで自由自在にフォントが選べる現代にあっても、まだ簡体字繁体字にこだわっている人はいますし*2、字だけでなく発音や語彙や表現のレベルでもお互いに「そんな中国語はない」、「それは正しくない」と言いたがる方は時々います。私はそれもこれも全部中国語なんだから(だいたい話者の多さからして一色に染め上げられるものでもありません)、もっと視野を広く取って全部取り、つまりメタ認知してみたらいいのに。

私がかつて勤めていた職場は中華人民共和国一辺倒でしたので、私のような者はかなり異端の存在でした。上司が「私は台湾に行くことができない」と言ったときには、その意味が理解できませんでした。その上司は日本人であるにもかかわらず「行けない」とは……? それはつまり、中華人民共和国へのシンパシーゆえに「敵国」には行けないという意味だったんですね。

お互いに“共匪”、“蔣匪”などと罵り合っていた時代から何十年もたち、当のご本人たちがとっくに次の、そのまた次のステージへと移行しているというのに、この国にはなぜか時が止まったかのように同じスタンスを墨守する人々がいるということを知った瞬間でした。さすがに今でもいらっしゃるとはちょっと思えませんが、その職場では私は「出禁」になっているので分かりません。

また別の上司からは私がクラスの書棚に置いていた『台湾論』というマンガ(小林よしのり著)を撤去するよう命令されました。この書棚は学生にも自由に読んでもらうためにさまざまな中国語に関する本を置いていたのですが、この本だけは看過できないと言うのです。

私自身、小林よしのり氏の主張に賛同できない部分も多々ありますが、いろいろな意見に接するのは学生にとってもよいことだと思って置いていたのです。ちなみにその上司に『台湾論』を読んだことがありますかと聞いたら「ない」と言っていました。時が止まっているどころか思考が止まっている、結局は何も考えていないのではないかと思ったものです。今だったら「メタ認知が発動していないですね」などと言うかしら。

それから職を転々としてたどり着いた今の職場は、少なくとも教職員の間ではずいぶんと風通しがよいですが、学生の中には2022年の現代においてもメタ認知を発動させていないとおぼしき「眉を顰めたがり系」や「凝り固まり系」の人がときどきいます。

もちろん当事者なんですから私のような外野がとやかく言える立場ではありません。でもせっかくご自分の国を離れて日本という第三者的な場所に来て学んでいるのですから、少しでもご自分を取り巻く状況をメタ認知してもらえたらいいなと思って教材を作り、授業をしています。

*1:深井龍之介氏の著書『歴史思考』では、特定の価値観や考え方から自由になるのが「メタ認知」だと説明されています。

*2:この「繁体字」も眉を顰めたがる方からすれば看過できないらしいです。「繁」とはなんだ、こっちの方が正統なんだから「正体字」と言えと。それはともかく簡体字繁体字、初学者は混乱するのでまずはどちらかに寄せた方がいいと思いますけど、仕事をする段階になってまでこだわることに意味はありません。