インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

見るレッスン

映画評論家でフランス文学者の蓮實重彥氏が、ご自身でこれが最初で最後だとおっしゃる新書による執筆。映画史に関する「講義」ですが、これがめっぽう面白かったです。蓮實氏の本といえばどこか重厚なイメージが私などにはありますが、この本の語り口はいたって軽快です。はっきりとは書かれていませんが、あとがきから推察するに口述筆記かインタビューを編集者がまとめる形で書かれたものではないかと思います。

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見るレッスン~映画史特別講義~ (光文社新書)

映画について言及されるその範囲がとても広くて、日本映画はもちろん、戦前の無声映画もトーキーも、ハリウッドもヌーベル・バーグも、フィルム・ノワールもドキュメンタリーも、とにかくあらゆる映画の(氏が評価するところの)名作が次々に語られます。アジアの映画については言及がほとんどありませんが、それでも韓国映画や、ウォン・カーウァイエドワード・ヤンの名前は登場します。

また作品や監督のみならず、キャメラ(氏は「カメラ」と言わず「キャメラ」と言う)、脚本、プロデューサー、配給、音楽、ナレーションなどなど、およそ映画に関するすべてに触れたい、触れざるを得ないという蓮實氏の旺盛な意気込みも伝わってきます。人は年齢で推し量ることはできませんが、それでも老境にいたってこの活力と言ったら。いきおい余って「○○を観ずして映画を語るな」などとおっしゃるのはご愛嬌としても、「〇〇を評価するなど反日的だ、非国民だ」などとまで口走るのはちょっといただけませんが。

ともあれ、私が一番共感したのは、映画というものが、やはりそれが「画」である限り、画面の力や画面の描写が何よりも問われるべきだと主張している部分です。「被写体である対象の気配を『色気』として画面に定着できる」こと、その「存在の色気」が驚きを生むのであり、映画を見るのはその驚きを得たいからだと。その画面の色気が最も欠けているものとしてディズニーの諸映画を挙げているくだりにいたって、私は快哉を叫びました。

そうなんですよねえ。ディズニー映画もそうですけど、あの世界各地にあるテーマパークも私にはのっぺりとした単調な空間に感じられます。蓮實氏は「ディズニーなどなくなったほうが、世の中にとっては健全だと本当に思います」と言っていて、まあ私はそこまでは言いませんけど、あの単一の色ですべてを塗り込めてくるような世界観からは一歩も二歩も退いていたいなと思っています。