インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

体育会系的な「自分」について

パーソナルトレーニングのジムに通っていて、トレーナーさんたちがご自分のことを「自分」とおっしゃる割合が高いことに気づきました。そうやって気づいてみると、男女を問わずトレーナーさんは「自分」とおっしゃる方が多いような。加えて、周囲でトレーニングをしてらっしゃる大学生やセミプロ・プロのアスリートのみなさんも、たいがいご自分のことを「自分」と言っています。

そういえば、「人は裏切るが、筋肉は(ダンベルは、バーベルは……)裏切らない」の至言で有名なTestosterone氏も、著書でご自身のことを「自分」と書かれていました。アスリートや体育会系の方は自称に「自分」を使うのが好きなのかしら。

私は子供の頃、小学六年生まで大阪で暮らしていたのですが、その当時は私も「自分」を使っていました。ただしこれは相手のことを呼ぶ場合です。「自分、何してるん?」、「自分、それどこで買うたん?」という感じ。じゃあ、大阪のアスリートはご自分のことをなんと呼ぶんでしょうね。

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https://www.irasutoya.com/2020/01/blog-post_508.html

それはさておき、ジムに通っていると、自分までこの「自分」的なノリに染まっていくのがわかります。つまり私もなんとなく体育会系の話し方になっているんですね。例えばベンチプレス後にへばっていて、トレーナーさんから「少しレスト入れましょうか?」と聞かれたら、即座に「大丈夫ッス!」と返すみたいな。あ、この「レスト」ってのも体育会系っぽい。「休憩」という意味です。

私はもともと体育会系っぽいのがちょっと苦手な人間だったんですけど、気がつけばその環境に染まっているというのは面白いし、また一面ちょっと怖くもあります。先日読んだ平野久美子氏の『牡丹社事件 マブイの行方ー日本と台湾、それぞれの和解』には、事件の当事者の子孫が母語では語りにくいであろう内容を日本語では率直に語る、という記述があって、私も同じようなことを日々感じているので、思わず膝をたたきました。

母語と違って外国語は、自分が属している文化や社会的な制約を意識しなくていいという利点がある。だから、自分の意見や胸の内をストレートに伝えることができる場合もある。(181ページ)

そうなんですよね。私は母語である日本語を話しているときはとても控えめなんですけど(知人・友人の異論は受けつけません!)、中国語で話すとなんだかとても率直で、アグレッシブになったような気がします。日本語だと言いにくいことが中国語ではスルッと言えちゃったりする。

レーニングしている時に、体育会系っぽい物言いになるのも、そういう「別の自分が憑依している感じ」がけっこう楽しく、心地よいからなのかもしれません。