インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

武漢の新型肺炎とネット翻訳

中国の武漢で拡大が続いているとされている新型ウイルス肺炎、日本での報道が加熱してきました。報道に接する私たちは「正しく知り、正しく怖がる」ことが大切だと思うのですが、こうなってくると物事を冷静に判断できない人が増えてくるのは世の常。かつてのSARSの際にも、まるで中国全土が汚染されているかのような報道や周囲の人々の会話に憤ったことを思い出しました。

私が勤めている職場でも、中国人講師が風邪気味でマスクをしていて、申し訳なさそうに、かつ少々冗談めかして「私は大丈夫ですよ、今のところ具合の悪い人とは接触していませんし」と言っていました。みんなで「そんなふうに気を遣われなくていいんですよ」と申し上げましたが、この時期、中国人というだけで色眼鏡で見てくる輩が増える、そういう気配を感じてらっしゃるんだろうなと、ちょっと気の毒に思いました。

一部にいる、事を針小棒大に語り過ぎる人々の発想には心底がっかりします。SARSの頃に比べてネットがさらに進化し、様々な情報を取捨選択しながら物事の本質を見極めるすべが増えているというのに、当の人間のほうはあまり進化していないんだなと。

私自身、ここ数日周囲の方から「武漢のこともありますから、おからだお気をつけになって」と声をかけられます。でもよくよく考えてみれば、私が中国語関係の仕事をしているからといって、いますぐにどうこうという局面にいたるはずはないですよね。

もちろん善意でおっしゃってくださってるのは分かりますし、中国に関係したお仕事だから、来日されている中国人と会うかもしれない、中国に出張するかもしれない、だから「お気をつけて」ということも分かります。なので、人にそう言われても特に気にもしないし、もちろん問題だともまったく思いません。でもふと、ああ、こういうところに色眼鏡の小さな小さな芽はあるのかもしれない、と考えたのでした。

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https://www.irasutoya.com/2019/02/blog-post_11.html

折しも昨日、こんな報道に接しました。箱根のある駄菓子店が店頭に「中国人入店禁止」なる張り紙を出し、差別的だと問題になっているという報道です。

asahichinese-j.com

報道によれば、店主は「感染を避けるため」に翻訳アプリで中国語の張り紙を作成したそうです。張り紙の中国語を読んでみると、多少の違和感はあるもののいちおう文意は伝わります。まあ文章全体は今回の新型ウイルス肺炎にかこつけて中国人への差別意識を露わにしているだけの幼稚で腹立たしい内容ですが、逆に私は、昨今の翻訳アプリがこうした差別的言辞の拡散にも一役買える(?)時代になったのかという感慨も残りました。以前だったら到底実用に堪えないレベルだった機械翻訳が、こうして実用(悪用ですか)に資するレベルになったのだなと。

かつて都内の中国語学校に勤めていたころ、年に数回「黒い街宣車」の襲来にあいました。中国の要人が来日するなどのイベントがあると決まって出没する彼らは、中国語学校に対してもシュプレヒコール(というかヘイトスピーチ)を浴びせていたのです。いわく「中国人は出ていけー」。私たちは「ガン無視」でしたが、学校に在籍している中国人留学生を守ることだけには神経を使っていました。ところがあるときからこのシュプレヒコールに変化があらわれました。「中国人出ていけ―」を中国語で発するようになったのです。

私は憤慨しながらもひそかに感動(?)していました。彼らは考えたのです。「中国人出ていけー」を当の中国人に伝えるためには、中国語で言ったほうが効果があるんじゃないかと。偉い偉い。気づくのがちょっと遅すぎますが。もっとも彼らの中国語は「ちょんこれん、ふいちー(中國人,回去)」みたいな稚拙すぎる発音だったので、果たして伝わったかどうかは怪しく、私は「ウチの学校で発音をやり直しませんか」と、危うくパンフ持って出ていくところでした。

閑話休題

ともあれ、その当時から比べても、精度が上がりつつある現代の機械翻訳は、こうしたヘイトスピーチさえ効率化・有効化する手段になるのだなと思ったのです。精度の上がったヘイト訳文を、読み上げアプリみたいなもので音声化し、拡声器から出力すれば、くだんの「ちょんこれん、ふいちー」より数段まともなシュプレヒコールも可能になるでしょう。

実際、上述の張り紙はネットでまたたく間に拡散され、けさ私が授業で中国人留学生に「こんなの、知ってますか?」と聞いたら、全員が知っていました。それほどの浸透性・拡散性を持つ訳文を機械翻訳で作ることができる時代になった。そしてこの動きはますます進化・深化していくのだろう。私たちはより冷静に物事の判断ができるチャンネルを増やしておかなければ……。箱根の駄菓子店のヘイト張り紙から、そんなことを考えました。

追記

ところで上掲の「朝日新聞」中国語版の記事、見出しが「箱根粗点心店以新型肺炎为由张贴“中国人禁止入店” 遭批判」となっていて、この“粗点心店”という翻訳に台湾の友人が疑問符をつけていました。確かに“粗点心店”というのは私も初耳です。「駄菓子店・駄菓子屋」を訳したみたいですが、朝日新聞はどこから引っ張ってきたのかな。普通は“小零食店”とでもするでしょうか。台湾の方なら、最近ヒットしたドラマ“用九柑仔店”の“柑仔店”と訳すかもしれません。“柑仔店”は、まさしく私が子供の頃入り浸ったあの懐かしい駄菓子屋さん(+日用雑貨店)そのものの風情です。

shows.cts.com.tw

“粗点心店”というのをゲームで知ったという香港人留学生がいたので調べてみたら、確かに「シェンムー3(shenmue3)」というゲームの中で使われているようです。なるほど、朝日新聞はここから引っ張ってきたのかな。“粗点心店”があるなら、どこかに“細点心店”もあるのかしら……冗談です。

h1g.jp