インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

夜曲

  こないだ出張から帰ったら、注文しておいた周杰倫の新譜『十一月的蕭邦』が届いていた。年に一度の「ジェイ祭り」、まずは最初の『夜曲』から聴く。な、なんですかこの歌詞は……。
  ショパンの『夜曲*1』といえばあまりにも有名で、「定番」(?)の二番・変ホ長調をはじめ、四番・ヘ長調とか、九番・ロ長調とか、十五番・ヘ短調とか、私も中学高校の頃はよく聴いた。私の中ではちょっとデカダンな(古いね)、けれど明るいイメージで、モネの「睡蓮」などを思い浮かべてしまうのだが、ジェイの『夜曲』はかなり違った心象風景のようだ。
  以下、勝手な解釈。

一群嗜血的螞蟻/被腐肉所吸引
我面無表情/看孤獨的風景
失去妳/愛恨開始分明/失去妳/還有什麼事好關心

  いきなり「血に飢えた蟻たちが/腐肉に引き寄せられていく」だって。MVにも出てくるが、墓地での風景だ。無表情で墓地の寂しい風景にたたずむ「僕」が、地面に群がる蟻の行方は埋葬された死者だと想像しているわけだ。“嗜”は「嗜好」だが、北京語の“嗜好”はもともと「アヘン中毒」を指していただけあって、どことなくネガティブなイメージがつきまとう。
  「君を失って/愛憎が形をとり始める/君を失って/この上何に心を引かれるだろう」。“愛憎分明”はよく聞く言葉だが“愛恨分明”も似たようなものか。日本語の「愛憎」は何となく「憎」のほうにウェイトが置かれているような気がするが、愛していた人の死で、初めて憎しみが頭をもたげたのかな、などと考える。

當鴿子不再象徵和平/我終於被提醒/廣場上餵食的是禿鷹
我用漂亮的押韻/形容被掠奪一空的愛情

  “鴿子”はハト。もはや平和の象徴などではなくて、気づいてみれば墓地の広場で餌をついばんでいるのがハゲタカに見えるよ〜と。なんだか凄惨な光景だ。“掠奪一空”の“一空”は「すっからかん」。彼女の死で突然根こそぎ奪われてしまった愛を、“漂亮的押韻”、つまり美しい押韻でつづるんだそうだ。いやもうピカレスク・ゴージャス・ハードロマン(意味不明)。確かにここまで“吸引” “表情” “風景” “分明” “吸引” “關心” “和平” “提醒” “禿鷹” “押韻” “愛情” と“-n”や“-ng”で脚韻ふみまくっている。これ以降もほとんど脚韻がふまれている。

啊/烏雲開始遮蔽/夜色不乾淨
公園裡/葬禮的回音/在漫天飛行
送妳的/白色玫瑰/在純黑的環境凋零
烏鴉在樹枝上詭異的很安靜

  烏(カラス)の雲と書いて「黒い雲」。黒雲が立ちこめる夜は何とも薄汚れていて、公園には葬礼の鐘の音がまだ空いっぱいにこだましている……というところかな。どうにもこう、汚れた感じが拭えない圧迫感。関係ないけど、大昔のマンガ『ブラックエンジェル』を思い出してしまった。“烏”も、まあ当たり前だけどダークなイメージを醸し出す。お別れに「君」に献げた白いバラも、このダークな雰囲気では“凋零”、しおれてしまうわけだ。で、樹の上のカラスも薄気味悪い静けさを保っているという、禍々しい雰囲気がさらに続く。

靜靜聽/我黑色的大衣/想溫暖妳/日漸冰冷的回憶
走過的/走過的生命
啊/四周瀰漫霧氣/我在空曠的墓地/老去後還愛妳

  ここの“靜靜聽”、前段の“安靜”から続いて「ジンジンジン」と特徴づけた歌い方が印象的。殺風景な墓地で彼女の思い出をたぐるように耳をすます「僕」。この黒いコートで君を暖めてあげたい。でも“日漸冰冷的回憶”、日を追うごとに冷え切っていく思い出。“日漸”は「日に日に」ということ。“走過的(行ってしまった)走過的生命”と繰り返しているあたりからは、なんだか「僕」の焦りみたいなものが感じられないか。
  “啊 四周瀰漫霧氣 我在空曠的墓地”、「ああ/あたりには霧が立ちこめ/僕はがらんとした墓地にひとり佇む*2」。“老去後還愛妳”の“老去”は「死ぬ」ということ。行ってしまった君をまだ愛している、と。

為妳彈奏蕭邦的夜曲/紀念我死去的愛情
跟夜風一樣的聲音/心碎的很好聽
手在鍵盤敲很輕/我給的思念很小心
你埋葬的地方叫幽冥

  ここからサビ。「君のために弾くショパンのノクターン/それは行き所をなくした愛情の証/夜風にも似たその音色は/悲しいほど美しく響く」。鍵盤を弾くタッチは軽やかだけれども、心を込めて丁寧に弾いているんだそうだ。でもって“你埋葬的地方叫幽冥”、「君が葬られている場所の名は“幽冥(冥土・あの世)”」……って、うへぇ、とことんダーク&ヘビーで押してくるなあ。

為妳彈奏蕭邦的夜曲/紀念我死去的愛情
而我為妳隱姓埋名/在月光下彈琴
對妳心跳的感應/還是如此溫熱親近
懷念妳那鮮紅的唇印

  “隱姓埋名”は世をはばかって名を偽ることだが、これもまあネガティブなイメージ倍増だ。でもって月明かりのもとノクターンを弾くってんだから、少々できすぎでナルシシズム入っている。弾いていると“對妳心跳的感應 還是如此溫熱親近”、「君の鼓動がまだこんなにも間近に感じられ」、“懷念妳那鮮紅的唇印”、「君のあの鮮やかな唇を思い出す」と。かなり妄想が入ってエロティックな要素もしっかり。

那些斷翅的蜻蜓/散落在這森林
而我的眼睛/沒有絲毫同情
失去妳/淚水混濁不清/失去妳/我連笑容都有陰影

  “蜻蜓”はトンボ。羽の折れたトンボがあたりの森じゅうに散らばっているんだと。次々に絶妙のメタファーをくり出してきますな、方文山。しかもそれに対して“而我的眼睛 沒有絲毫同情”、僕のまなざしには少しも哀れみの色が浮かばない、というのだ。
  “失去妳 淚水混濁不清”、「君を失って/涙も濁ってしまった」って……まあ混乱した心を象徴しているようではあるな。“失去妳 我連笑容都有陰影”、「君を失って/笑顔にさえ陰りがさしてしまうよ」……これはよくわかる。どんなことにも心から笑えなくなってしまったのだ。

風在長滿青苔的屋頂/嘲笑我的傷心/像一口沒有水的枯井
我用淒美的字型/描繪後悔莫及的那愛情

  “風在長滿青苔的屋頂”、「苔むした屋根に吹く風」。こういう表現は方文山の真骨頂。墓地に納骨堂かなんかがあって、そのじめじめした屋根を想像してみたりするが、いやいや、そんな余計な説明がなくてもこの曲全体のイメージにすとんとはまる。しかもその風が“嘲笑我的傷心”、「僕の心の傷をあざ笑う」かのようで、“像一口沒有水的枯井”、「かれた井戸のように」って、ここまでくると前後の脈略とか、もーどうでもいい。いかに曲想を盛り上げる絶妙の言葉を紡いで織り込むか、に神経が集中している。最後の“淒美的字型”ってのもすごい。“淒美”、つまりもの寂しく悲しくかつ美しい言葉でもって、“後悔莫及”、悔やんでも悔やみきれないあの愛を綴るのだ……。
  全体に方文山の言葉が冴えわたっている。暗くて禍々しくて幸薄い感じなんだけど、MVに出てきた冬枯れの風景や雪景色のようにどこか凛と澄みきった雰囲気がある。ジェイの音楽はほとんどピアノとギターとドラムだけでシンプル。軽い仕上がりの曲だが、詞を読むとえらいヘビーだ。ヘビーだけど結局「彼女が死んで悲しいよ〜!」ってことしか言っていない(^^;)。重厚で単純。こういうのが“屌!”なんだろうな、たぶん。
  今回のアルバムはこれまでに比べてなんとなくおとなしいイメージがあるのだが*3、これはより成熟したと言うべきなのだろう。六枚目のアルバムも愛聴盤になりそうだ。

*1:日本ではふつう『夜想曲ノクターン)』と言っている。

*2:MVではお墓参りするシーンがあるが、ジェイは「ひとさまのお墓を撮影に使うのは失礼だから」とレプリカを用意したそうだ。

*3:「ほとんど新たな進歩が見られない」という酷評もあるようだ。