インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能舞台と東西南北

先日の温習会も終わり、今度は秋の会に向けてまた新しい曲をお稽古することになりました。今度は仕舞の「野守」です。鬼神が手にする鏡(仕舞ではこれを扇で表します)に、東西南北の神仏、さらには天上界や地獄界が映し出されるさまを表現していて、とても力強い舞です。

というわけで、詞章にはよく「方角」が登場します。「野守」にはこんな詞章があります。

東方降三世明王も此の鏡に映り
又は南西北方を写せば
八面玲瓏*1と明らかに
天を写せば
非想非々想天まで隈無く
さて又大地をかがみ見れば
まづ地獄道
まづは地獄の有様を現す
一面八丈の浄玻璃の鏡となって……

この「東方降三世」の部分、謡本の「型付け(舞の型を指示する言葉)」には「橋掛ノ方向シカケヒラキ」と書かれており、「南西北方」の部分では「笛座ノ方へ一足出……正面向サマ右へ引付」と書かれています。

私は以前に別の方が舞われた仕舞「野守」で地謡に入ったことがありますが、その時は詞章を覚えて謡うだけで精一杯で、舞の型や動きと詞章がリンクしていませんでした。でもこうやって自分が舞う段になって始めてお師匠に教わって分かったのですが、実は能舞台にはきちんと方角が定められており、詞章の言葉に出てくる方角と舞の型もおおむね一致しているということなんですね。

能舞台における方角は流儀(能楽の流派)によって異なるそうですが、私がお稽古をしている喜多流では演者が登場する「揚幕(あげまく)」のある方向を「太陽は東から昇る(そこが始まり)」として東に定められているそうです。いつもお世話になっている「the 能楽ドットコム」さんのthe能ドットコム:入門・能の世界:能舞台図解に東西南北の方角を重ねてみると、こんな感じになります。

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ABCDは能舞台の四隅に立っている柱ですが、その柱の方角とは若干ずれるかたちで東西南北が設定されているんですね。先の「野守」で言えば、「東方降三世」の部分は「橋掛ノ方向」で東ですし、「南西」の部分では「笛座」がAの柱の脇あたりですから南や西の方向にだいたい合っています。なるほど、こういう世界観が能舞台に込められているとは、これまで迂闊にも気づいていませんでした。

そういえばこれも以前お稽古した仕舞「天鼓」でも、詞章の「人間の水は南/星は北にたんだくの」という部分で、確かに「南」の時は笛座の方に進んで、そこから身を翻して「北」の正面に戻ってくるような動きでした。う〜ん、そんなことも知らずに舞っていたとは。

上述したように能舞台における方角は流儀によって違うので、同じ舞でも全然違う方角に進んだり向いたりするものなのだそうです。なるほど、だから流儀によってかなり違う印象があるんですね。これもここに来てようやく知った次第です。

*1:「八面玲瓏(はちめんれいろう)」は中国語にもあって(というか元々中国の言葉で)、誰に対しても人当たりがよいというプラスの意味と、誰に対してもいい顔をするというマイナスの意味とがあります。日本語ではこれを「八方美人」と訳すことが多いのですが、これはマイナスの意味だけですよね。実は日本語にも「八面玲瓏」はあって、中国語同様に「どこから見ても透き通っていて、曇りのないさま。また、心中にわだかまりがなく、清らかに澄みきっているさま。また、だれとでも円満、巧妙に付き合うことができるさま(三省堂新明解四字熟語辞典)だそうですけど、現代ではほとんど使われない言葉になっています。

「もうなくなった」金融審議会の報告書を読んで

6月3日に発表され、その後「老後資金は公的年金だけでは2000万円不足する」という部分だけがセンセーショナルに取り上げられた結果、諮問したその大臣が受け取りを拒否したり、与党幹部が「もうなくなった」と宣ったりした金融審議会市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」。

この報告書は「なくなった」どころか、いまでも金融庁のウェブサイトで読めます。国が正式に諮問して、多くの専門家が何度も議論を重ねた上にまとめた報告書ですから、単純に税金の無駄遣いという観点からもそうかんたんに「なくなった」ことにされちゃたまりません。それで全文読んでみたのですが(当の諮問した大臣は冒頭しか読んでなかったそうですが)いろいろなことを考えさせられてとても興味深かったです。

金融審議会市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf

「はじめに」には、こう書かれています。

今後とも、金融サービス提供者や高齢化に対応する企業、行政機関等の幅広い主体が、今回の一連の作業を出発点として国民に本報告書の問題意識を訴え続け、国民間での議論を喚起することにより、中長期的に本テーマにかかる国民の認識がさらに深まっていくことを期待する。

ほんと、その通りですよ。国民一人一人が「我がこと」としてこの問題を一緒に考えましょう、行政をはじめとした団体はそれを提起し続けましょうと言っているわけで、要は議論を先送りすることなく、世界でも「最先端」の少子高齢化社会に突入した(それだけに前例のない)この国として主体的な思考が必要ですと訴えているわけです。極めて真っ当な意見提起だと思います。これ、報告書の1ページ目に書かれているんですけど、この部分さえ諮問した大臣は読まなかったのかしら。

そして、今回一番センセーショナルに取り上げられた部分、「2000万円不足」に関する箇所はここです。

しかし、収入も年金給付に移行するなどで減少しているため、高齢夫婦 無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。 この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。

この部分が、「100年安心」と言っていた公的年金だけでは到底足りず、後は自助努力で何とかせよと放り出すのか、と批判を浴びたわけですけど、批判した野党だってもう何年も前からその「不都合な真実」は知っていたはずです。だって、私がもう四半世紀も前に社会保険関係の出版社に勤めて公的年金のパンフレットを作成していた頃から年金は「世代間扶養」という考え方に基づいていて、単なる貯蓄とそのリターンではないということを繰り返し言っていたのですから。

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https://www.irasutoya.com/2017/01/blog-post_774.html

この報告書では他にも「健康寿命と平均寿命の差を縮めていくことが重要である」とか、「金融リテラシーの向上に向けた取組みも重要である」とか至極真っ当な指摘が並んでいます。もちろんそうした取り組みを考える余力もない層が増えているなど格差が広がっているという現状から批判をしている方もいるのは分かっていますが、それでも、いやだからこそ、ここで目を逸らすことなく、将来に向けた方策を議論していくべきではないですか。

この報告書の終わり近くにも、こう書かれています。

今後のライフプラン・マネープランを、遠い未来の話ではなく今現在において必要なこと、「自分ごと」として捉え、 考えられるかが重要であり、これは早ければ早いほど望ましい。

今朝のテレビ番組『サンデーモーニング』でも、「老後の資金不足」についての数字は平均であり、試算であるので、2000万円だけが一人歩きするのは不毛だという意見が出されていました。同感です。政府や政党が、選挙対策や党利党略で簡単に報告書をなかったことにして議論停止になるのは不毛ですが、私たち国民もここだけに「脊髄反射」で怒りを爆発させるのもこれまた不毛です。

専門家が「よってたかって」まとめ上げた報告書、ぜひ一読をお勧めします。

だからWindowsだけはよせと言ったじゃない

勤めている学校の一つで、職員一人一人に新しい業務用パソコンが支給されました。Windows10を搭載したノートパソコンです。これまで長い間Windows7のパソコンで業務を続けてきたのですが、Microsoftのサポートが終了し、さすがにセキュリティ上も問題があるということで、ようやく環境を一新させたというわけです。

早速セットアップをして、まずはインプットメソッドを設定しました。私は仕事で日本語と英語、それに中国語の「簡体字」と「繁体字」を打つ必要があります。そこでWindows10標準の、Microsoftから提供されている言語パックをダウンロードしたのですが……。

とりあえず手書き入力などは外して「基本の入力」だけ簡体字繁体字をダウンロードしたのですが、簡体字は設定できたものの、繁体字の方がいくら待っても設定が完了しません。というか、設定を継続中なのか、止まってしまったのかさえ画面からは分かりません。

仕方がないので他のアプリケーションなどをインストールし、メールチェックなど別の仕事をこなしながら待っていましたが、まったく変化なしです。あまりにおかしいので一度再起動してみようと思ってやってみたら……延々延々「Windowsの準備をしています コンピューターの電源を切らないでください」の表示。結局その日は三時間待ってもこの状態が変わりませんでした。

次の日に出勤してみるとログイン画面に戻っていましたが、インプットメソッドは変化なしで依然中国語が十全に使えません。ネットで解決策を検索してみると、あちこちにWindows10の外語環境における不具合が報告されており、さまざまな対応策が紹介されていました。

それらもいろいろと試してみましたが、結局らちがあかず、たまたま他のアプリケーションをインストールした際にうっかり再起動をかけてしまったがために、また数時間「Windowsの準備をしています コンピューターの電源を切らないでください」状態が続きました。普段は極めて温厚な私(うそです)もこれにはキレました。だからWindowsはダメなんですよ。

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https://www.irasutoya.com/2014/01/blog-post_14.html

私がプライベートで使っているMacBookは、これまでに何台も買い換えてきましたがセットアップの時にこんな意味不明なドタバタは一度もありません。思い返せば四半世紀ほど前、DTPの黎明期にMacで中国語の組版を始めた頃はわけの分からないエラーが多発したものでした。一枚プリントするのに数時間などという、今では笑い話のようなエピソードも毎日のように起こっていました。それでもMacはその後どんどん進化し、いまでは自分の体の一部とも言えるくらいの快適性を実現してくれています。

それに引き換えWindowsの、それも最新OSのこの体たらくはどうでしょう。私はつねづね「Windowsが世界のパソコンの標準になってしまったのは人類の一大不幸だ」と言っているのですが、今回もさらにその思いを強くしました。これだけ「ぐろーばる」の声かまびすしい時代になったというのに、マルチリンガル環境、それも日本語と中国語だけの環境でさえまともに構築できていないというのは、どういうことなんでしょう。結局中国の「搜狗」というインプットメソッドを入れました。これで一応使えますけど、Microsoft純正のプログラムがきちんと動かないというのはホントに度しがたいです。

今回の新しいパソコン導入に際しては、私は教学で音声も映像も多用するしそれらの編集も日常茶飯で行うのでMacにしてくれと学校当局に申し入れました。でも、規模の大きい学校なので、たぶん調達部門とパソコン会社の間の「大人の事情」もあるのか、結局その意見は通りませんでした。それでも今回は最新のWindows OSだから少々期待もしていたのです。なのに……天を仰いで溜息をつくしかありません。

フィンランド語 40 …動詞の「棚卸し」

動詞をめぐって過去完了形まで学んだので、ここいらで「棚卸し」をしようということになりました。まず時制としてはこれまでに「現在形」「過去形」「現在完了形」「過去完了形」を学びました。

① Minä menen Kuopioon.
 私はクオピオへ行きます(現在形)。
② Minä menin Kuopioon viime vuonna.
 私は去年クオピオへ行きました(過去形)。
③ Minä olen mennyt Kuopioon.
 私はクオピオへ行ったことがあります(現在完了形)。
④ Minä olin mennyt Kuopioon.
 私はクオピオへ行ったことがありました(過去完了形)。

日本語母語話者的には②の過去形「行きました」と③の現在完了形「行ったことがあります(経験)」の違いが難しいですね。日本語的にはどちらも過去じゃないの? と考えてしまいそうで。

よく分からなくなったので『フィンランド語文法ハンドブック』をひもといてみました。

いわく、日本語母語話者的には、現在完了形に三つの意味があると。それは「完了」「経験」「継続」です。

■完了(もう〜してしまった/〜してしまっている)
(Minä) olen syönyt jo tarpeeksi.
私はもう十分に食べました。
Oletteko te jo nousseet ?
あなたたちはもう起きていますか?
(Minä) en ole juonut vielä tarpeeksi.
私はまだ十分に飲んでいません。
He eivät ole vielä saapuneet.
彼らはまだ到着していません。


■経験(〜したことがある)
(Minä) olen ennen Käynyt Suomessa.
私は以前フィンランドに行ったことがあります。※ kaydä は内格を取ります。
Oletko (sinä) ennen matkustanut Kiinaan ?
あなたは以前中国に旅行したことがありますか?
(Minä) en ole koskaan käynyt Kiinassa.
私は一度も中国へ行ったことがありません。
(Me) emme ole ennen tavanneet häntä.
私たちは以前彼女に会ったことはありません。


■継続(ずっと〜している)
(Minä) olen lukenut kirjaa aamusta asti.
私は朝からずっと本を読んでいます。
Kuinka kauan (sinä) olet opiskellut suomea ?
あなたはどのくらいフィンランド語を勉強していますか?

さらに過去完了形は、これら現在完了形の「完了・経験・継続」が過去の話題になるということです。つまり「もう〜してしまっていた」「〜したことがあった」「ずっと〜していた」という感じですかね。何となく分かるような気がします。

■完了(もう〜してしまっていた)
Kun minä soitin kotiin, isä oli jo lähtenyt.
私が家に電話したとき、父はもう出かけてしまっていました。


■経験(〜したことがあった)
Sitä ennen (me) olimme käyneet Suomessa monta kertaa.
それ以前に、私たちはフィンランドへ何度も行ったことがありました。


■継続(ずっと〜していた)
Hän oli ollut Japanissa viikon, kun (me) tapasimme.
私たちが出会ったとき、彼女は日本に1週間滞在していました。

さて、一つの動詞をめぐって、現在形・過去形・現在完了形・過去完了形にそれぞれ一人称・二人称・三人称の単数・複数そして肯定・否定があります。つまり一つの動詞が時制と人称と単数複数と肯定否定によって48のパターンに分かれるということですね。「lukea(読む・学ぶ)」を例に取れば……

現在形

単数肯定 複数肯定 単数否定 複数否定
一人称 luen luemme en lue emme lue
二人称 luet luette et lue ette lue
三人称 lukee lukevat ei lue eivät lue

過去形

単数肯定 複数肯定 単数否定 複数否定
一人称 luin luimme en lukenut emme lukeneet
二人称 luit luitte et lukenut ette lukeneet
三人称 luki lukivat ei lukenut eivät lukeneet

現在完了形

単数肯定 複数肯定 単数否定 複数否定
一人称 olen lukenut olemme lukeneet en ole lukenut emme ole lukeneet
二人称 olet lukenut olette lukeneet et ole lukenut ette ole lukeneet
三人称 on lukenut ovat lukeneet ei ole lukenut eivät ole lukeneet

過去完了形

単数肯定 複数肯定 単数否定 複数否定
一人称 olin lukenut olimme lukeneet en ollut lukenut emme olleet lukeneet
二人称 olit lukenut olitte lukeneet et ollut lukenut ette olleet lukeneet
三人称 oli lukenut olivat lukeneet ei ollut lukenut eivät olleet lukeneet

動詞をめぐっては、さらに命令形・第三不定詞・動名詞も学んだのでした。

命令形

肯定 否定
単数 Lue ! Älä lue !
複数 Lukekaa ! Älkää lukeko !

第三不定

内格 〜している途中で lukemassa
出格 〜してから lukemasta
入格 〜しに lukemaan
接格 〜することによって lukemalla
欠格 〜せずに lukematta

動名詞

〜すること lukeminen

動名詞はたったひとつ「-minen」がつくだけですが、これは名詞なので都合30通りの格変化をします。

Lukeminen on hauskaa.
読むことは楽しいです。
(Minä) vihaan lukemista.
私は読むことが嫌いです。
(Minä) pidän lukemisesta.
私は読むことが好きです。
(Minä) käytän rahaa lukemiseen.
私は読むことにお金を使います。
……

う〜ん、棚卸しをしてまた目眩がしてきました。先生からは「動詞の原形を知らないと変化も活用もできないので、とにかくはやく覚えてしまってください」と言われました。基本的な動詞をまとめたプリントが配られているので、引き続き覚えることにします。あと個人的には、動詞の過去形が一番「ヤバい」(とくに語尾が si になるやつ)と思いました。

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Matkustaminen on hauskaa, syöminen on myös hauskaa.

誰にでも起こりうることとして

池上正樹氏の『大人のひきこもり』を読みました。川崎市登戸駅近くで起きた大量殺傷事件と、その直後に練馬区の元農水事務次官が息子を刺殺した事件。いずれも中高年の「ひきこもり」がクローズアップされましたが、自分もこれまでの来し方行く末を考えると他人事ではないなと思い、手に取ったのです。

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大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち (講談社現代新書)

この本は五年ほど前に出版されたものですが、格差と貧困が広がり、非正規雇用(特に中高年の)の増加と固定化が問題となり、今また金融庁の審議会が「老後の30年間で2000万円が不足する」という「不都合な真実」を明らかにした報告書を発表したのち「なかったことにする」ドタバタなどに接していると、現在でもこの本で鳴らされている警鐘は有効だし、むしろさらに悲惨な形で露見しつつあるのではないかという思いが募ってきます。

この本では「ひきこもり」という状態が、例えば「働いたら負け」という言葉に代表される、働けるのに働こうとしない「ニート」などとはことなり、また「やる気の問題」や「甘え」や「自己責任」などで単純に括ってしまえるものでもない一種の深刻な病態、あるいは地域社会における個人や家族の内外に起因する複雑な問題であることを説明しています(ニートニートで現代の就労環境がもたらしている側面もあるので、じゃあ「甘え」や「自己責任」と括ってよいかといえば、決してそんなことはありませんが)。

詳しくは本書にあたっていただくとして、私がこの本を読んで強く感じたのは「自分だってこれに近い状態はあったし、これからもこういう状態に陥らない保証は全くない」という点でした。私はこれまでに何度も転職をしています。企業に勤めたこともありますし、NPO法人のような団体にもいたことがあります。派遣で仕事をしていたこともありますし、フリーランスになったことも、そして何度か無職の状態になったこともあります。

それでも若い頃は特に不安も感じず、仕事もそれなりに入り、仮に貯蓄がまったくなくても、生きて行くことそのものに困難を覚えることはさほどありませんでした。ところが四十代も終わり近くになって失職したときにはさすがに辛いものがありました。それまでにも何度か転職をしてきたので、今度もまたすぐに仕事は見つかるとなぜか楽観的に思い込んでいたものの、現実には既に極めて再就職が困難な年齢に差しかかっていたからです。今から思えばなぜあんなに楽観的、というか脳天気でいられたのか不思議で仕方がありませんが、要するに日本社会における中高年のありようについて、私はほとんど理解していなかったのです。

五十歳を前に失職して、ハローワークに通い始め、同時に支出を抑えるために細君の実家で認知症の気配が見え始めていた義父と同居を始めたのですが、今になって思えばあの時期は、昨今世間で言われるところの「中高年のひきこもり」と選ぶところがなかったように思います。そう、労働環境や企業のあり方がかつてないほどの大きな変化をしてしまっている(でも多くの人はそれを認めたがらない)現在にあって、何からの理由で働けなくなって一時的に実家に身を寄せ再起を図る、あるいはモラトリアム状態に身を置くなどということは、誰にでも起こりうるのではないでしょうか。

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https://www.irasutoya.com/2015/07/blog-post_274.html

現在問題になっている「中高年のひきこもり」は若い頃からの長期間にわたるものも多いようですが、そういったパターンだけではなく、今は普通に外へ出て働いているような人でも、何かのきっかけで、それも自分自身の理由だけではなく外部からの理由でも傍目には「ひきこもり」と同じような環境になってしまうことはあり得るのです。

うちの細君も、突然くも膜下出血に襲われ、幸いにも通常の暮らしに戻ってくることはできましたが、安定した正式な仕事にはいまだに就くことができずにいます。上記の本に記されるような「ひきこもり」ではないけれども、社会と繋がりたいと思いつつも身体的、年齢的、社会における位置的にそれが十全に果たされない状態。こうした大病とその予後という観点からも、誰にでも起こりうることですし、「ひきこもり」は決して特殊な家庭や個人の問題ではないと思うのです。

この本の、裏表紙側のカバー袖には、第一章のこんな言葉が引かれています。

「ひきこもり」という状態に陥る多様な背景の本質をあえて一つ言い表すとすれば、「沈黙の言語」ということが言えるかもしれない。つまり、ひきこもる人が自らの真情を心に留めて言語化しないことによって、当事者の存在そのものが地域の中に埋もれていくのである。

この「沈黙の言語」という形容には深く頷けるものがあります。「中高年のひきこもり」と大差ないような状態に陥っていた私にとって救いだったのは、ブログやSNSなどにおける発信や非常勤講師として間欠泉的に出て行った学校などでの、自らの思考の言語化だったと思うからです。

その意味では、五年前よりはるかに豊富になっているネットでの発信という選択肢は、この問題に関する処方箋の一つになり得るかもしれないと思いますが、その一方でSNSの空間も最近はかなり荒れてきているようにも思えます(すでに私はTwitterなどから距離を置きつつあります)。また練馬の事件では、父親の手で殺害されてしまった息子がSNSでかなり頻繁に発信をしていたという報道にも接しました。

この本では「ひきこもり」に対するさまざまな支援の試みも多数紹介されています。私自身、この問題に対してどんなアプローチができるのか、それも自分が今身を置いている教育現場に関連して何ができるのかを考えている最中ですが、少なくともこれは特殊な人たちの特殊な問題ではなく、誰の身にも降りかかる問題なのだという視点だけは忘れないようにしたいと思ったのでした。そしてまた、今後さらに歳を取って働けなくなった、あるいは働きにくくなったときに自ら直面せざるを得ない問題ともリンクしているのではないか、そう思っているのです。

カネ目当てに留学生を集めているんだろうと言われて

今朝の東京新聞に、千人以上の留学生が所在不明で問題になっている東京福祉大学の記事が乗っていました。

www.tokyo-np.co.jp

元教員は「研究生を無制限に集めた上、教室や教員を整備しなかった。大学は学費目当てで、金もうけしか考えていなかった」と証言し、就労目的で在留資格を得ようとする外国人と、少子化で経営難に陥りつつある学校法人の思惑が一致した結果のようです。この学校は「残った学生に対し、名古屋にある系列の専門学校への進学を勧める」そうで、その理由をこの元教員は「また二年間、学費を吸い取れるから……」としています。しかもこの系列の専門学校は東京新聞の取材に対して定員超過が常態化していたことを認め「各地の日本語学校からの受け入れ要請を断り切れなかった」と釈明しているとのこと。

私は現在、多数の外国人留学生が学ぶ専門学校や日本語学校に奉職しています。もちろん私が勤めている学校はいずれもきちんと入学試験や入学に際しての選考を行い、カリキュラムもきちんとしていますし、留学生自身もみな真面目な方ばかりです(なかには少々「ご遊学」的な方も散見されますが)。それでも、この記事を読んで少なからず胸が痛み、いろいろと考えるところがありました。

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https://www.irasutoya.com/2018/01/blog-post_52.html

先日、私の勤めている専門学校の授業の一環で長野県に行ってきました。学校の研修施設が山の中腹にあって、そこでお互いに親睦を深めるとともに、観光通訳などに関する学習を行うのです。周囲は森あり湖ありでとても風光明媚な場所ですが、ここには私、苦い思い出があります。それは二年前にここで、留学生のひとりが夜に深酒をして急性アルコール中毒に陥り、救急車で搬送されたことです。私が救急車を呼んで病院まで付き添い、徹夜で対応しましたが、お医者さんからは「引率の先生がついていて何をしていたんだ」と厳しく叱責されました。

誠にその通りで、返す言葉もありません。その後私は、万が一の時のためにと消防署の救命講習を受けて、人工呼吸やAEDの使用方法などを学びましたが、これとて急性アルコール中毒に対応できるものではありません。留学生はもうみなさん一人一人が大人ですから、本来なら自分で自分を律してほしいところです。でもそこはそれ、留学生のみなさんはまだ若いですし、学校としても全て自己責任で済ますわけにもいきません。

qianchong.hatenablog.com

二年前に救急搬送された際、お医者さんから上述の叱責の他にもうひとつ言われたことがあります。

あんたらどうせ、留学生をだまして大勢集めてカネを吸い上げてるだけなんだろ。留学生の命なんて何とも思っていないんだろ。

あまりの暴言ですが、私は「そんな学校ではありません」と返すのが精一杯でした。ひとつにはこんな夜中(午前二時ごろでした)に、本来は地元の人のためにスタンバイしている救急車と救急隊に出動して頂いたことや、当直とはいえ夜中にたたき起こされたお医者さんに対して本当に申し訳なかったから。そして昨今、上述のような悪質な日本語学校や大学などが、留学生を集めるだけ集めてろくな授業をしていなかったなどの事例がマスコミで報道されており、たぶんこのお医者さんもそうした報道に接していらしての言だろうと想像したからです。

というわけで私は、それ以降の合宿に際してはちょっとしつこいかなと思うくらい留学生のみなさんに対して注意喚起をしてきました。かつて私が中国で留学していた大学では、私たちの何年か後に留学してきた日本人が厳冬期にキャンパス内の池に張った氷の上で遊んでいて氷が割れ、そのまま亡くなるという痛ましい事故がありました(私はテレビニュースで知りました)。あえてその例も引いて「日本で客死するなんてことがあれば、みなさんのご家族の悲しみも計り知れません」と毎回「重い話」をしてきたのです。その甲斐あってか、ここ二年間はみなさん深酒もせず、とても「健康的」に合宿を過ごして下さっています。

もちろんうちの学校は、不法残留などの問題についても非常に厳しく対処していて、出席率などの管理も厳格です。ですから上述の東京福祉大学の問題と同列に語るつもりは全くないのですが、それでも日々留学生と接している一教員として、学校経営と教学内容のバランスについてはなお一層自覚と内省が必要だなと思ったのでした。

フィンランド語 39 …過去完了形

現在完了形に引き続いて、「過去完了形」を学びました。現在完了形は「olla動詞+過去分詞」でしたが、過去完了形は「olla動詞の過去形+過去分詞」です。

■過去完了形の肯定

Minä olin
Sinä olit   +過去分詞(単数)
Hän oli

Me olimme
Te olitte   +過去分詞(複数)
He olivat

■過去完了形の否定

Minä en ollut
Sinä et ollut   +過去分詞(単数)
Hän ei ollut

Me emme olleet
Te ette olleet   +過去分詞(複数)
He eivät olleet

肯定は現在完了形のolla動詞が過去形になっただけで分かりやすいですが、否定は「否定辞+olla動詞の過去分詞」なんですね。

Minä olin opiskellut kaksi vuotta suomea.
私は二年フィンランド語を勉強したことがあった。

なるほど、過去完了形で言うと、過去の一時期に二年間勉強したことがある(今はしていない)というニュアンスになるのかな。これが現在完了形だと二年間勉強したところだ(これからもする)というニュアンスになると。

中国語ではこのあたりをこう言い分けます。

我學過兩年芬蘭語。/我學芬蘭語學了兩年。
私はフィンランド語を二年学びました(今も学んでいるかどうかは不明。“曾經(かつて)”などを入れるとほぼ過去完了になる)。
我學芬蘭語學了兩年了。
私はフィンランド語を二年学びました(おそらくこれからも学び続ける)。

過去完了か現在完了かは、たったひとつの助詞“了”の有無によって決まっています。中国語の母語話者でもこの辺りを正確に解説できる方は少ないみたいです。いずれにしても、フィンランド語も中国語も、というかあらゆる外語を学ぶときには、いったん母語(私の場合は日本語)の言い回しや考え方から離れてその言語の世界観に身を委ねる必要がありますね。それがまたアイデンティティを揺さぶられるような感覚でとても面白いのですが。

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Minä olin käynyt Suomessa.

井上陽水英訳詞集

ロバート・キャンベル氏の『井上陽水英訳詞集』を読みました。書店でたまたま手に取ったのですが、歌詞の原文とその対訳が収められているだけの訳詞集ではなく、翻訳を行う際にキャンベル氏が日本語と英語の間を何度も行き来しながらその言葉の森に分け入って行ったプロセスがつぶさに語られていて、一種の翻訳論になっています。一読、翻訳とはかくも繊細で奥深いものであるのかと改めて驚嘆せざるを得ません。翻訳に興味のある方にもお勧めの一冊です。

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井上陽水英訳詞集

文学の翻訳、とりわけ詩歌の翻訳はもっとも難しい、いや、ほとんど不可能だとされています。それはその言語でしか表現できず、その言語の母語話者でしか受け取ることのできない世界の切り取り方がもっとも繊細な形で表れており、さらに韻が踏まれ、掛詞が使われ、暗喩や隠喩が用いられ、音楽に乗せるための省略が行われるなど、そもそも他の言語に極めて翻訳しにくい要素もたくさん盛り込まれているからです。

井上陽水氏の歌詞に限らず、日本語では主語や主体が曖昧にされることが多く、その一方で英語は、主語はもちろん、単数や複数、性別までも明らかにしなければ文章が成立しにくい言語です。でもキャンベル氏は、だからこそ英語のフィルターを通して、原文の日本語に潜む深い意味を検証し直すことができるかもしれないと、この一見無謀にも思える試みを続け、合計50曲の歌詞を英訳するのです。

英訳のプロセスを細かく説明するその時々に、当の井上陽水氏と行われた対談が差し挟まれているのも面白いです(FMラジオでの対談だったそう)。キャンベル氏の質問に井上氏が改めて自身の歌詞の意味を再検討したり、時には明確に「そういう意味ではない」と解釈を訂正したり……近世・近代日本文学というご自身の専門知識を総動員しながら歌詞と格闘するキャンベル氏もさることながら、ここまで繊細に歌詞を紡ぎ、それを音楽に乗せて少なからぬ名作やヒット曲をいくつも世に送り出している井上氏のすごさにも驚きました。

個人的には、文中の英語の横にカタカナでルビを振ってあるのが面白いと思いました。ふだん、縦書きの日本語に英語の文章が挿入されると、その頭を右側に90度傾けた英文が読みにくくて読書のリズムが狂うのですが、この本では例えば「You too my love —— a rain check.」という英文の横に「ユー トゥ マイ ラブ —— ア レイン チェック」などと縦書きでカタカナのルビが添えられているのです。

必ずしも原音を忠実に表せるわけではないカタカナをあえて添えたのは、少しでも日本の(日本語母語話者の)読者に英語の味わいを分かってもらいたいというキャンベル氏の願いからでしょうか。確かに、使われている英単語は比較的シンプルなものばかりですから、カタカナの音として脳内に響けば(人は黙読している時でも脳内に音を響かせているものです)それだけ訳詞の世界に入り込みやすいような気がします。

この本は、キャンベル氏が大病を得て入院されていた折に、死のリスクと隣り合わせの病床で続けた翻訳をもとに出版されたそうです。そして出版に先立つ昨年、氏はご自身のブログで、自民党衆院議員が性的指向性自認のことを「趣味みたいなもの」と発言したことを受けて「20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た」と公表されたのでした。

robertcampbell.jp

この訳詞集には、キャンベル氏が若き日に日本文学を志し、日本での様々な局面の折々に井上陽水氏の楽曲が共にあったことも綴られています。これは単なる想像ですが、病床でご自身の来し方行く末を考え、かけがえのないパートナーの存在を見つめ直したからこそ、あの公表があったのかもしれません。この本の「はじめに」に添えられた献辞にも、パートナーのお名前が入っています。それ自体とても素敵なことですし、そうした思索や葛藤のプロセスをも追体験させてくれる本書は、井上陽水氏の歌詞同様、優れた文学の名にふさわしいと思います。

一般向け医療本に登場する扇情的なイメージについて

私は十代の頃から「アトピー」に悩まされてきました。幸い症状はそれほど重くなく、現在では外見的にはほとんどアトピー性皮膚炎を発症しているようには見えませんが、それでもときどき痒みや皮膚の炎症がひどくなることがあって、この状態が雲散霧消したらどんなに爽快だろうなあ、と夢想することがあります。

アトピー、もっと広くアレルギーの原因は、基本的には食べ物の中に含まれる「アレルゲン」だとされているので、若い頃から食事にはとても気を使ってきました。基本的に外食をあまりせず、三食を自分で作って食べていますし、間食はほとんどしません。ジャンクフードの類いも食べませんし、マクドナルドに代表されるファストフード店も、記憶にある限りここ十数年は利用したことがありません。

それでも症状は軽いとはいえ「完治」にはほど遠いので、食事に気を使う一方で様々な生活習慣の見直しも実行してきました。最近では長年どうしても諦めきれなかった「節酒」ができるようになりました。以前は毎日晩酌をしないと一日が終わらなかったのですが、今では数週間まったくお酒を飲まないこともあります。

もっとも、間食をしないのは歳を取って食事の量的にもできなくなったからですし、ジャンクフードを食べないのは歳を取ってその味や油の濃さを身体が受けつけなくなったから、お酒を飲まないというのも歳を取って飲めなくなったからというのが正直なところです。なんだ、結局加齢によって暴飲暴食ができなくなり、その結果アレルゲンの総量が減ってアトピーも多少はなりを潜めたということなんですかね。なんだか悲哀を感じますが。

アトピーにまつわる食事や生活習慣の見直しについては、これまでに無数の書籍も読んできました。試しにAmazonで「アトピー」というキーワードで検索すると、こんなにもたくさんの本が並びます。

www.amazon.co.jp

しかしこうした「アトピー関連本」は、それぞれの著者がそれぞれの論を展開しており、それらが相互にまったく逆のことを主張していたり、日常生活では実行不可能に近いほど細かな指示がなされていたりします。その一方で、これが決定版で究極かつ最良の方法だ! と謳われていて、本の中から光が差すような、読んでいて妙な高揚感をもたらすようなものも多いです。「グレートリセット」にも似た一種の爽快感があるんですね。

これは「めいろま」こと谷本真由美氏がおっしゃるところの「キャリアポルノ」、つまり読んでいるだけで何か世界の真理をつかんだかのような「明日からの俺ってスゴい」感を煽ってもらえる(でも実際の行動にはなかなか繋がらない)自己啓発本の読書感と似ています。それでも、頑固な症状に身も心も疲れ果てて、そこに光明を見いだす気持ちは私も痛いほど分かります。これはひとりアトピーに留まらず、全ての疾患に関する医療本・健康関連本に共通するのかもしれません。

しかし私はこうした書籍に数限りなく接してきたおかげで(?)、以前よりはもう少し冷静に、自分の高揚感を抑えつつ読むことができるようになりました。要するに「いいところだけ頂戴」し、眉につばをつけて読むのを忘れないということです。イヤな読者ですね。今回も、上記のAmazonで「アマゾンのお勧め商品」トップになっているこの本を買って読んでみました。

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油を断てばアトピーはここまで治る―どんなに重い症状でも家庭で簡単に治せる!

この本は長年の臨床研究の成果から、アトピーの主原因が「植物油」や高カロリー食品の摂りすぎであるとして、それらを抑えつつ家庭で治療を行う方法が記されています。全年代を対象にしていますが、特に小さな「アトピっ子」をお持ちの親御さん向けに書かれているという印象です。全体的には高カロリーで脂質の多い洋風の食事から伝統的な和食へのシフトを促すもので、その点では常識的で首肯できる部分も多く、個人的にもこれまでの経験から植物油やバターなどを多く摂取するとアトピーが悪化するという実感があったので、興味を持って読みました。

しかし例えば「キッチンの換気扇のような『油汚れ』が体の中にも」と題された章には、こんな記述があります。

あなたのキッチンの換気扇には、油汚れがべっとりついていませんか?
油を使った料理を多くする家庭の換気扇ほど油汚れがしみついています。このような油汚れが体の中の細い血管や内臓に沈着していく様子を想像してみてください。つまり換気扇が油べっとりならば、体の中にも同じように油がべっとりと溜まるのです。それだけでも、体に悪いということは容易に分かると思います。
(24ページ、太字は原著のまま)

これはどうでしょう。例えば脂肪の多い食事から脂質異常を起こし、血管壁の中にコレステロールがたまるような状態を比喩していると受け取ってもよいのですが、換気扇の油汚れと体内に取り込まれた脂質を一緒くたにするのは、消化や吸収のメカニズムからいってもかなり非科学的ではないかと思います。この本には他にも「『1週間に2個以上の卵』は、消化しきれずにヘドロになる」というようなやや突飛な表現が散見され、一般向けの医療本だからわかりやすい比喩を用いたのかもしれませんが、一歩引いて受け取らざるを得ません。

私は、こうした俗耳に入りやすい扇情的な表現にはどうしても一定の留保をつけてしまいます。尾籠なお話で恐縮ですが、以前「宿便」という言葉がもてはやされたことがありました(今でも一部で使われているかな?)。「排出されないで大腸や直腸内に長い間たまっている大便」で、とりわけ腸壁にこびりついて長年滞留し、それが各種疾患の原因になっており、断食療法などでそれを排出することができるとされていました。実際に断食療法をすると、数日で明らかに異様な便が排出される、これが宿便だ……というような。

私も一時期はこのイメージに「ハマって」、断食道場に通おうかしらなどと考えたこともあります。でもこれ、一般的に「便秘」と呼ばれている状態はさておき、腸壁にこびりつくといったイメージの便は存在しないらしいんですね。腸壁は不断に活動し、粘液の分泌や消化吸収を行っているからで、医学的にはほぼ否定されているようです。

www.google.co.jp

私は一度大腸の内視鏡検査を行ったことがあるのですが、その時に見た映像は衝撃的でした。なぜって、私の大腸の内壁は、まるで赤ちゃんの肌のようにツヤツヤでツルツルだったからです。腸と、例えば下水管などのパイプを一緒くたに考えることはできないのです。それは分かりやすくはあるけれど、非科学的です。扇情的なイメージで空想することの愚かさを知りました。

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https://www.irasutoya.com/2016/02/blog-post_89.html

もともとこうした一般向け医療本のマーケット自体が扇情的なのだともいえるかもしれません。だからこそ類書がこんなに多数出版され、商売として成り立っているわけです。でも私は、疾患に悩む人たちを手玉に取るような表現はするべきではないと思っています。結局はひとりひとりが、こうした情報に右往左往することなく、地道に食生活や生活習慣の改善を行っていくしかないんでしょうね。

荷重よりも正しいフォーム

昨日ジムのパーソナルトレーニングで上半身の運動を見てもらっていたら、トレーナーさんから「肩甲骨がよく動きますね。気持ち悪いくらいですね」と変なほめ方をされました。でも確かに、最近は肩甲骨をぐっと背中の中心方向に寄せることができるようになったのです。そのうち鉛筆でも挟めるようになるかもしれません。

もともと私は、長い間慢性的な肩凝りに悩まされていて、あまりに肩が痛いので夜中に痛みで目が覚めてしまうほどでした。それで一年半ほど前から肩凝りや腰痛、それに不定愁訴の改善を目指して、体幹の強化を中心にしたパーソナルトレーニングに通い出すも、最初はまったくといっていいほど肩甲骨が動きませんでした。トレーナーさんに「全然動いていませんね」と言われたのを覚えています。

それがトレーニングを継続するうちに徐々に動かせるようになり、今ではトレーナーさんが肩甲骨に手を添えてサポートしてくれなくても、自分で肩甲骨が動いているのを自覚できるようになりました。そして肩凝りとはほぼ無縁の生活になりました。いまでも長時間デスクワークなどをしていると肩が凝ってきますが、数分ほど肩甲骨を動かしたりストレッチをしたりすればすぐに解消します。

以前は肩凝りがひどくなると整体やカイロプラクティック、あるいは「クイックマッサージ」みたいなサービスを利用していたのですが、あまり効果はありませんでした。やはりこうした身体の不調は自分から能動的に動かしてこそ改善できるのかもしれません。整体やマッサージもその時は気持ちいいですが、畢竟受け身で他人任せなんですよね。もちろん自分ひとりでは調整できない部位もありますが、肩凝りや腰痛はかなりの部分を自分で、自律的に調整して直すことができる——それが分かっただけでもかなり気持ちが楽になりました。

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https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_324.html

肩甲骨が動かせることは、肩凝り予防だけでなく筋トレにも効果を発揮します。例えばベンチプレスなど大胸筋を鍛えようとする場合でも、あらかじめ肩甲骨を寄せてから行うと大胸筋により効果的に力を入れることができるようになり、結果腕の力に頼って挙げるよりもより大きい荷重に対応できるようなのです。また肩甲骨を寄せて下げることを意識すると広背筋にも荷重が効くようになって、より上半身の鍛錬に効果的なようです。つまりは「正しいフォーム」でトレーニングしないと、あまり意味がないということです。

これはプロのトレーナーさんに教わったことの中でも一番大切なものだと思います。筋トレは荷重の多寡ではなくて、正しいフォームか否かがポイントなんですね。正しいフォームができた上で荷重が増えていくならいいですけど、間違ったフォームで荷重を増やしてもトレーニングの効果が上がらないし、荷重も増えていかないと。なるほど、だからずっと以前に自己流で筋トレをしていたときには、何年やってもびっくりするほど筋肉がつかなかったんですね。

あるトレーナーさんは「ジムに行くと、やたら荷重の多さを誇るようなマインドがありますよね」とおっしゃっていました。確かにものすごい荷重でマシンを動かしている方がいますが、よく見るとフォーム不在で、単に身体の反動を利用して動かしているだけ、というような方も散見されます。そう、私ごときが非常に偉そうでおこがましいんですけど、ひとさまのフォームを見て「ああ、それでは鍛えたい筋肉に効いていないな」などと分かるようになりました。フォームを考慮せずに荷重の多さばかり追求するのは一種の虚栄心なのかもしれません。以て自戒といたします。

フィンランド語 38 …生まれ年と様格

教科書に、生まれた年や場所を聞く会話が出てきました。

Milloin sinä olet syntynyt?
いつあなたは生まれましたか?
Syksyllä, lokakuussa.
秋です。10月です。
Minä vuonna?
何年にですか?
Vuonna 1974.
1974年です。
Missä?
どこで?
Kööpenhaminassa, Tanskassa.
コペンハーゲンです。デンマークです。

最初の質問は、先回学んだ現在完了形です。日本語だと「生まれた」だから過去なんじゃないかと思いますけど、生まれた「過去の経験」が現在まで「継続」しているから現在完了形なんでしょうね。

その次で、季節の「秋(syksy)」が所格の「syksyllä」に、月の「10月(lokakuu)」が内格の「lokakuussa」になっていて、それぞれ違う格を取るんですね。日本語だとどちらも「〜に(秋に/10月に)」となるところです。

その次の「Minä」は人称代名詞の「私(minä)」かと思いきや、疑問詞「何(mikä)」の様格なんだそうです。紛らわしいなあ。様格は「〜のときに」を表す格だそうで、語尾が「-na」、または「-nä」になります。月は内格を取るのに、年は様格を取るのね……覚えるしかありません。ちなみに「年(vuosi)」も様格の「vuonna」になっています。

「1974年」は、英語だと「nineteen seventy four」みたいに「19/74」と分けて言えますけど、日本語だと「せんきゅうひゃくななじゅうよねん」としか言えませんよね。「いち・きゅう・なな・よねんに生まれました」とは普通言わないもの。フィンランド語もそれと同じで、律儀に数字を言わなければならないそうです。しかし「1974」は「tuhatyhdeksänsataaseitsemänkymmentäneljä」と長大です。自分で言うならまだしも、フィンランド人にこれを言われて一発で聴き取れるかしら。

その次の「Missä」は「どこで?」ですけど、きちんと全部言うなら「Missä sinä olet syntynyt ?」なんでしょうね。これも現在完了形です。

授業ではこの他に、誕生日を言う練習もしましたが、月は例えば「9月(syyskuu)」なら「syyskuun」と属格にして「9月の」とすればよいのに対して、日は序数なのでまず序数特有の語幹にして、さらに様格にしなければならないそうです。私は9月24日生まれなのですが、そうすると……

Milloin sinä olet syntynyt ?
いつあなたは生まれましたか(あなたの誕生日は)?
Minä olen syntynyt syyskuun kahdentenakymmenentenäneljäntenä päivänä vuonna tuhatyhdeksänsataakuusikymmentäneljä.
私は1964年9月24日に生まれました。

……となるのですね。さらに長大です。

序数は……

1 ensimmäinen
2 toinen
3 kolmas
4 neljäs
5 viides
6 kuudes
7 seitsemäs
8 kahdeksas
9 yhdeksäs
10 kymmenes
11 yhdestoista
12 kahdestoista
13 kolmastoista ……

……なのですが、このうち「-nen」で終わる序数は語尾の「nen」を「se」に、「-s」で終わる序数は語尾の「s」を「nte」にします。それで「24(kaksikymmentäneljä)」が「kahdentenakymmenentenäneljäntenä」になるわけです。これまた長大です。また11から19の「-toista」は変化させず、例えば「11日」だったら「yhdentenätoista」とするそうです。

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https://www.pakutaso.com/20110452115post-34.html

Missä sinä olet syntynyt ?
Minä olen syntynyt Yokohamassa, Japanissa.

“核心価値”をつかむ通訳訓練

現在複数の学校で通訳のクラスを担当しているのですが、そのうちのひとつは華人留学生が学んでいる専門学校です。この学校の留学生は、ほとんどが日本語学校で日本語を一年から二年ほど学んで入学してくるのですが、通訳訓練を始めてしばらくは、なかなか訳すという作業そのもの、とりわけ口頭で訳すことに慣れないという方が多いです。

翻訳はまだ馴染みがあるのです。これまでにも英語や中国語を学んで、英文中訳や日文中訳などをやってきており、充分に時間をかければなんとか翻訳らしきものを書き上げることはできます(それでも添削する先生から赤ペンがぎっしり入っていますが)。ところが口頭での通訳になると、なかなか慣れない、訳せないという方が多いのです。

いくつか理由は考えられます。

まず、通訳は時間の制限があるので、訳語や訳文をじっくりと吟味している暇がなく、自信が持てずに声が極端に小さくなって、結果的に訳出の体をなさないこと。

そして、メモを取るとはいえ次々に流れては消えていく音声を追いかけるのに必死で、結局メモが取れないとか、一部分しか覚えていないなどで発言全体を再現できないこと。

さらに、これが一番大きいような気がしていますが、これまでは日本語学校でひたすら日本語だけを話すように言われ、母語である中国語をなるべく使わないように言われてきたのに、通訳は双方向なのでむしろ積極的に使わなければならず、その二つの言語をスイッチする感覚自体に戸惑っていること。

というわけで私はまず単語レベルのクイックレスポンスから始めて、二つの言語を行き来する(スイッチする)こと自体に慣れてもらったのち、徐々に短文から長文へ、簡単な内容から複雑な内容へと教材を調整していくようにしています。

それでも、なかなか翻訳や中文日訳での習慣が抜けずに、発話の頭から単語を一つ一つ変換しては組み替えていく……といったやり方しかできない方がかなり多く見られます。クライアントの中にも「通訳者さんって、そんなに素早く単語を変換して組み替えることができるなんてすごいですね」などとおっしゃる方が時々いますが、実は通訳という作業はそういうものではないんですよね。そんな、片っ端から単語を変換して他の言語の語順に組み替えるなんてこと、プロでもできないし、してもいないと思います。

Wikipediaで「通訳」という項目を引いてみると、こんな「定義」が書かれています。

通訳(つうやく、英: interpretation)とは、書記言語ではない二つ以上の異なる言語を使うことが出来る人が、ある言語から異なる言語へと変換することである。
通訳 - Wikipedia

確かに、市販の通訳の教科書などを見てみても、たいがい左側に原文(英語や中国語など)が、右側に訳文(日本語)が載っており、それらを「変換」することが通訳だというコンセプトを見て取ることができます。そうした「変換」をたくさん覚えていけば通訳ができるのではないかと。だから「素早く単語を変換して組み替えることができるなんてすごい」という誤解が生まれるのでしょう。

もちろん固有名詞や数字などであれば一対一の「変換」がなされると考えてよいと思いますが、もっと複雑な発話の内容では単語や文章を言語Aから言語Bにただ「変換」しているわけではなく、もっと大胆なことが行われています。この辺りのことを、数年前に放映された『情熱大陸』というテレビ番組で、英語通訳者の橋本美穂氏が分かりやすく解説されていました。

実際には通訳者にとっては、すごくいろんな動作を瞬時に行わなくてはいけなくて、「リスニング」した音を「理解」しないと意味がないですよね。で、ここ(頭の中)に、今度はイメージをして記憶するんですよ。「イメージ」をするんです。


日本語と英語は語順が逆で、それがゆえにやっぱり、聞こえてきた順番そのまんま文字を変換すれば訳せるのかというと、そうではなくて、この英語というところと日本語という世界の間に非言語地帯がある。「反対派が多い」って言われると、こう「プンプン」ってイメージが強いんだなとか、そういうふうに覚えておきます。

こちらはその番組で用いられていた図解ですが、つまり“I decided to ask my girlfriend to marry me.”という「音」から非言語である「イメージ」を思い描き、その「イメージ」を描写する日本語で語る……それが通訳という作業の営みなのだと。

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この「イメージ」、ないしは言語Aと言語Bの間にある「非言語地帯」という捉え方は、個人的にはとてもしっくりきます。私もそうやって訳しているからですし、またかつて通訳学校で学んだ際にも、恩師の多くが似たようなことをおっしゃっていました。「目の前にイメージを立ち上げ、それを説明するように話す=訳す」だと。

この営みのポイントは「俯瞰」ないしは「鳥瞰」だと私は思っています。例えば下の左側の写真、地上にいれば単なる列柱にしか見えず、その先は行ってみなければどうなっているのか分からない——これは発話の内容を、翻訳と同じように頭から次々に変換して組み替えようとするのと同じです。これを右側の写真のように上空の鳥の目から俯瞰してみると、全体の形が分かります。話の理路、ないしは意図全体が見通せるのです。通訳学校では先生によく「意味ではなく意図を訳すように」と指示されましたが、きっと同じことなのだろうと考えています。

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初心者は俯瞰ができず、いきおい聞こえてきた単語を片っ端から変換してつなぎ合わせようとする。だからたいがいそんなアクロバットが続かなくなって、発話の後半がごっそり抜け落ちるなんてことがよく起こります。ポイントは、慌てず騒がず発話全体を「俯瞰」して、その「意図」するところを別の言語で語る……ということなのですね。

とはいえ、“說起來容易做起來難(言うは易く行うは難し)”。そうした俯瞰の技術をどのように身につければよいのでしょうか。ひとつは「サマライズ」と呼ばれる要約訓練(例えば五分ほどのまとまった内容の音声をメモを取りながら聞き、それを一分に圧縮して話すなど)が有効だと思いますが、私が初学段階の華人留学生と一緒にやっているのは「その発話の“核心価値”を表す単語やフレーズをひとつだけ選ぼう!」というタスクです。

通訳における発話は次々に耳に届くので、アレも訳さねばコレも訳さねばとパニックになったあげくフリーズ……という方が多いので、まずは一言だけ、今聞こえてきた発話の中で一番言いたいことは何か、その単語かフレーズだけを訳すという練習です。例えば……

关于贵方提出的访问N公司的要求,由于该公司方面有关负责人正在国外出差,所以这次代表团逗留期间很难安排前去参观。

……という発話*1があったとして、この中で一番言いたいこと(発話者の最大の意図)は何でしょう。

いろいろな捉え方が考えられますが、私だったら“很难安排”を選びます。「手配できない」と言いたいのです。そこから「何が手配できないの?→N社への訪問が」、「なぜ?→担当者が出張中だから」と情報が膨らんでいきます。実際のところ、上記の発話を「担当者が出張中なのでN社への訪問は手配できません」と訳せば、完璧にはほど遠いものの最低限の情報伝達はできており、100点満点で60点くらいは獲得できると思います。もちろんもっと細かい情報を織り込むことができればプロの訳出に近づいていくわけですが。

こうやって、通訳を学び始めたばかりの華人留学生のみなさんには「まずは頭から全部訳そうと思わず、“核心価値”をつかんで、それだけを訳してください」と伝えています。そうやって「俯瞰」の感覚を養ってもらった上でさらに精確な訳出へと少しずつステップアップして行くのです。今のところ、最初はこうやってハードルを思い切り下げることで(とはいえ“核心価値”を的確につかむのは高い言語能力が必要ですが)過度に緊張することなく訓練に取り組めているような気がします。

フィンランド語 37 …現在完了形

前回、過去形の否定で「過去分詞」を学びましたが、この過去分詞を使って「現在完了形」を表現することができます。過去形の否定は「否定辞(en〜eivät)+過去分詞」でしたが、現在完了形は「olla動詞+過去分詞」です。

■現在完了形の肯定

Minä olen
Sinä olet   +過去分詞(単数)
Hän on

Me olemme
Te olette   +過去分詞(複数)
He ovat

■現在完了形の否定

Minä en ole
Sinä et ole   +過去分詞(単数)
Hän ei ole

Me emme ole
Te ette ole   +過去分詞(複数)
He eivät ole

現在完了形は「(現在までの)継続」のほかに「(過去の)経験」も表すそうです。これは何となく過去形と混同しそうな雰囲気がありますね。

Minä olen opiskellut kaksi vuotta suomea.
私は二年フィンランド語を勉強しています(継続)。
※過去の一時期勉強したことがある場合には過去完了形を使うそうです。
Me olemme opiskelleet kaksi vuotta suomea.
私たちは二年フィンランド語を勉強しています(継続)。


Minä olen käynyt Suomessa monta kertaa.
私たちはフィンランドを何度も訪れたことがあります(経験)。
Me olemme käyneet Suomessa monta kertaa.
私たちはフィンランドを何度も訪れたことがあります(経験)。

過去分詞は「kpt」の変化がないので比較的簡単ですが、いざ作文しようとすると目的語の格をきちんと変化させるのがやはり難しいです。

Minä olen lukenut tämän kirjan kolme kertaa.
私はこの本を三回読んだことがあります。
※ lukea は k が消えるなどの面倒な変化がありませんが、目的語は「この(一冊の)本」ということで、tämä kirja を属格にしなければなりません。


Minä en ole lukenut tätä kirjaa.
私はこの本を読んだことがありません。
※否定文なので、目的語の tämä kirja を分格にしなければなりません。

また日本語で「風邪を引きました」とか「治りました」などというと、つい過去形で言いたくなってしまいますが、これらは「風邪を引いている状態の継続」や「治った状態の継続」と捉えて現在完了形で表現されるそうです。

(Minä) olen vilustunut.
風邪を引きました。


(Minä) olen parantunut.
治りました。

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Kuinka paljon sinä olet opiskellut suomea ?
Minä olen opiskellut suomea noin puolitoista vuotta.

安易に飛びつきやすい雑駁な切り口

先日、中国四川省成都で開催されたサッカーの国際ユース大会「パンダ・カップ2019」。優勝したU-18韓国代表選手の、地面に置かれた優勝トロフィーに片足を乗せて高笑いする写真が拡散して大炎上、という「事件」がありました。

www.asahi.com

韓国チーム側は全面的に謝罪したものの、中国の大会組織委員会は優勝トロフィーの回収を決定、さらには中国サッカー協会アジアサッカー連盟に上訴を決定したと伝えられるなど、その余波はまだ続いています。

ところで、私が最初にこのニュースに接した時、そのあまりに非礼な行為に「これはいくら何でも……」と思い、その後すぐになぜこんな行為をしてしまうのかという「理由探し」に移りました。常軌を逸した行動を目の当たりにしたとき、人はその自分の耳や目を疑うような行為に対して何か合理的な理由を探したがります。そうやって自分のモヤモヤした不安定な心を落ち着かせようとするのかもしれません。

この「トロフィー踏みつけ」が単なる若気の至りなのか、韓国の若者に社会的モラルの欠如みたいな傾向があるのか、はたまたスポーツ選手に特有の現象なのか、中国と韓国の二国間関係とそれに絡む国民感情が影響しているのか……色々と考える切り口はあると思うのですが、こういうときに一番安易に飛びつきやすい理由のひとつが「韓国人の民度」とか「韓国人の国民性」みたいな雑駁な切り口です。

案の定、事件直後のTwitterではこのニュースに続くリプライやリツイートのほとんどがそうしたヘイトスピーチで埋め尽くされていました。さらには「だから韓国とは断交だ」みたいな、接続詞「だから」を論理の極端な飛躍に用いるツイートも散見されました。世の中には個別具体的な一つ一つの事例や個人的な感慨をすぐに国家大や地球大に拡大・膨張させて語っちゃう輩が数多く存在しますが、今回も同じような人々があまた出現していました。

マスコミの報道も、事件のあらましと中国側の激怒、韓国側の謝罪、国際社会の反応などを簡潔に記したものばかりで、様々な切り口から分析しているものはほとんど見当たりませんでした。経緯だけを簡潔に記すのはニュースの初動としてはよいと思うのですが、その後に多様な分析がなされなければ結局「韓国はとんでもない」といったイメージやニュアンスだけが残り、それは既に存在するヘイトスピーチをさらに補強するだけなのではないかと危惧していたのです。

ニュースの初動で唯一違う切り口を提供していたのは、「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏がTwitterに書き込んだ「『だから韓国は』ってすぐに韓国批判にすり替えるやついるけどただの無自覚で調子に乗っちゃった子供の話。自分のイデオロギーに、その国の子供の失敗を利用しちゃダメよ」という警句だけでした。私もこうしたすり替えには注意しなければならないと思って、大いに共感しました。

headlines.yahoo.co.jp

この事件に関しては、数日後に韓国のメディアが「トロフィー踏みつけ」は侮辱というよりは大会を制覇したという気持ちの表れではないかといった趣旨の報道をしています(同僚の韓国人講師に教えていただきました)。日本のメディアでも紹介され始めています。

bit.ly
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なるほど、こうしてみるとトロフィーを足蹴にする行為はある種の「偽悪的なかっこよさ」を演出するパフォーマンスにも見えてきます。私自身は、それでもかなり下品な行為だと思いますけど、そういう下品な行為がカッコいい、悪ぶってみせるのがカッコいいという一種のノリは確かにありますよね。ネットの動画サイトで炎上した例えば「おでんつんつん」や「コンビニの冷蔵庫に寝そべるアルバイト」などに代表されるイタい行為と通底するものがあるというか。

ひょっとすると韓国ユースの選手たちは、こうした海外のサッカー選手がトロフィーに足をかけた写真を見たことがあって、そこにある種のカッコよさを見いだして真似してみたのかもしれません。それが国際大会の、衆人環視の中での表彰式においてふさわしいかどうかにまでは思いが至らなかったのはまさに若気の至りですが、多くのメディアが報じていたような政治的・歴史的な、あるいは民族感情的な背景「すらなかった」というのがホントのところではないかと思いました。

いずれにしても、我々はこの件に関しては第三者なのですから「それ見たことか」みたいな反応だけに留まるのではなく、様々な切り口を考えてみることが大切だと感じました。

私が最初にこのニュースに接した時の「これはいくら何でも……」という感慨は、正直に言って頭に血が上るような奇妙な「高揚感(?)」とともにありました。そんなときに例えばTwitterなどで扇情的な意見ばかりに接していると、そこから「韓国人の民度」とか「韓国人の国民性」への飛躍ないしは膨張、あるいは「断交だ!」みたいなバカな発言(だって実際に断交したら、経済的な混乱は計り知れず、自分の暮らしも大打撃を被ります。そんなことにすら想像が及ばないのですからバカとしか言いようがありません)まではほんの数歩の距離です。

1937年の盧溝橋事件(七七事変)に端を発する日中戦争は、その後近衛文麿首相の「支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す為今や断乎たる措置をとるの已むなきに至れり」という声明によって泥沼の状態、さらには太平洋戦争へと繋がっていきました。村本大輔氏がおっしゃるように、自分のイデオロギー、それも短絡短見の雑駁な感情論を一気に膨張させるものいいに慣れきっていると、「暴戻(乱暴で道理がないこと)を膺懲(懲らしめる)」的な煽動にもすぐに乗ってしまうのではないか。そう自分を戒めた次第です。

ステージがひとつ上がった感覚

年に一度の温習会は無事に終わりました。私はなぜか「トリ」を勤めることになっていて舞囃子の「枕慈童」を舞ったのですが、それまでお弟子さんたちはみなさん立派に舞っておられて、私が最後に大失敗でもしてぶち壊したらどうしよう……とかなり緊張しました。

それに会の一番最初に連吟で「賀茂」を謡ってから、最後に舞囃子を舞うまで、まるまる一日気が抜けないという貴重な(?)体験もしました。本当にうちのお師匠は、さりげなくハードルをあげてくるのがお上手です。

それでも本番直前は、自分でも不思議なほど緊張が抜けていくのが分かりました。これはひとえに、その前に何度もお稽古をして「大丈夫、絶対に失敗しないはず」と思えるまでになっていたからかもしれません。稽古の量に勝る安心材料はないですね、ホントに。直前に学校の合宿などがあって申し合わせ(リハーサル)にも参加できなかったのですが、合宿の行き帰りのバスで謡をこっそり練習したりして(仕事中なのに)何とか間に合わせました。

それにお師匠が私の代わりに申し合わせで舞ってくださった「枕慈童」のビデオを送ってくださったのですが、直前に何度も見たこのビデオでかなり「開眼」したところがありました。それはそれぞれの型の寸法だったり、地謡の詞章と型とのタイミングだったり、緩急の具合だったりするのですが、これまでお稽古でも何度も指摘されてきたいくつかのことが、ふっとパズルのピースが嵌まるように腑に落ちたのです。

中国語に“大開眼界(dàkāi yǎnjiè)”という言葉があって、辞書的には「視野を広げる」とか「見識を広げる」という意味なのですが、私の語感ではもう少し深くて「大いに目を見開かせられる」とか「新たな気づきを得る」という感じがします。目の前に新しい風景が広がったような一種の爽快感なんですね。

お能の世界は奥が深すぎるくらい深くて、単なる趣味で月に二回程度お稽古しているだけの私に見えている風景はほんの小さなものですが、それでもこうやって何年も続けてくると、それなりに気づくことも増えてくるのだなと思いました。ゲームのステージがひとつ上がったような感じといえば分かって頂けるでしょうか(私はゲームなんてほとんどやらないけど)。

舞囃子「枕慈童」に出てくる舞は「樂(がく)」といって、中国物のお能によく登場する中国風(というか室町時代の人々が空想した中国の雰囲気)の舞なのですが、お囃子の太鼓が規則的なリズムを刻む中で最初はごくごくゆっくりと、それが徐々に徐々ににテンポを上げていく、個人的にはまるで滔々とした大河の流れを見ているような雰囲気を持っています。その名の通り「楽」しんで舞うことができました。お師匠とお囃子や地謡を勤めてくださった玄人の先生方、それに地謡に参加してくださったお稽古仲間のみなさんに心から感謝申し上げます。

ささやかながら役目を果たして、なんだかもう「オレの夏は終わった」という感じです。これからどんどん暑くなるんですけどね。

追記

仕舞や舞囃子では、お師匠がその曲に合った扇を貸してくださいます。昨日の舞囃子「枕慈童」では、この美しい菊水の扇をお借りしました。

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「枕慈童(菊慈童)」の主人公は慈童という不思議な少年です。古代中国で皇帝の枕をまたいだために山中へ流刑となりましたが、お経を書いた菊の葉に溜まった露が不老不死の霊水となり、その水を飲んで山中で七百年間も生きてきたというお話。長寿を寿ぐおめでたい曲で、重陽の節句とも関係しているそうですが、反面「死ぬに死ねない」わけですからどこかに憂いというか悲しみをも湛えた、なかなか味わい深い曲です。

この扇は「枕慈童」の詞章に出てくる菊水を意匠化したものらしいのですが、菊水と聞いて本番前にもかかわらず「日本酒の『菊水』って、ひょっとしてこれが由来じゃないの?」と初めて気づきました。うちに帰ってネットで調べてみたら果たしてその通りでした。

www.kikusui-sake.com