インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

教師だって生徒を選びたい

先日、cakesで読んだ、こちらの記事。

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入社試験における採用基準が「素直であり、自ら意思表示のできる人」で「一緒に働きたいと思うかどうか」だというの、とても共感します。もちろん能力やスキルだって大切ですけど、試験で一定程度の選別をしたら、あとはこれに尽きますよね。私も企業で面接担当をしたことがありますが、やはり「この人と椅子を並べて仕事をするとしたら……」という視点で見ていました。だって「ヤだな〜」と思う人が同僚で日々机を並べているのはツラいですから。

いまは教育現場に身を置いていて、入試の面接も担当することがありますが、実は最近、学校の面接も同じで「一緒に学びたい人」を選ぶべきじゃないかなと思っています。教師だって人間ですもん。そして教師だってもっと学びたい。であれば、ともに学んでいける、ともに成長していける相手としての生徒じゃなきゃ、楽しくないですよね。

誰かに何かを教えたことがある方ならたぶん同意してくださると思いますが、「教える」ことって実はこちらが新たに学ばされることでもあります。逆にそうでない一方的な「教え」は、やっていてもツラいのではないでしょうか。

生徒が学費を払って、教師は教育を行う。ここだけを見れば教育はあたかも「サービス業」のようです。生徒を満足させられない教師は、つまり対価に見合ったサービスを提供できない教師は教師失格だ、といった物言いが時々見られますが、これには私、少々違和感を覚えます。

もちろん様々な工夫で教育的効果を上げる努力は必要ですし、教案の作成に手は抜きませんけど、教育は単なるモノやサービスの売買じゃない。だからこちらの記事で書かれているような行儀の悪すぎる客は「来てくれなくていいです」と出入り禁止になるように、学ぶ気のなさすぎる生徒は「来てくれなくていいです」と断るべきなんじゃないかと。

note.mu

ところで何でも牽強付会で申し訳ないですが、冒頭に出てきた「素直であり、自ら意思表示ができる」っていうのは、語学においてもとても重要だと思います。先入観や成功体験や我流にこだわらず、恥を恐れないで大きな声で積極的に参加する人じゃないと語学(少なくとも身体一つで聞いて話すことに関して)はあまり伸びないのです。もちろん、生徒が「素直」に全てを受け入れてもきちんと高みにまで導いていけるという「責任」が教師に伴うことは言うまでもありませんが。

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これは台湾の留学生が卒業時に描いてくださった「通訳訓練で学生をいじめ抜く私」です。ルンバに乗っているのは授業でお掃除ロボットに関する技術通訳の教材を使ったから(コードが出ているのは掃除機が床のコードを吸い込むトラブルに関するくだりがあったから)。手にしているのはアトランダムに学生を指名して訳出させるための名札です。

この学生はとても熱心に学んで、台湾に進出している日系企業に就職していきました。訓練を通してどんどん上達していくので、こちらも本当に楽しかったし、いろいろと学ぶことができました。本人は「最初はいろいろ苦労したけど、通訳が心から好きになりました」とこの絵の裏に書いてくれました。労働が報われるというのはこういうことですよね。