インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

だから私は恐がられる

昨日「なまはげ」や「パーントゥ」のような、人々から恐がられる異形の神々のことを書いたんですけど、かくいう私も昔から人に異様に恐がられます。

もともと面相が「強面(こわもて)」で「厳つい(いかつい)」ということもあるのでしょう。歳を取った最近は外見もずいぶんくたびれてきましたが、若い頃は、初対面の方に必ずといっていいほど「何か運動やってる? 柔道?」と聞かれていましたし、道ばたで「兄ちゃん、自衛隊入らへん?」と勧誘されたこともありますし、よく警察官から職務質問もされていました。
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https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_83.html

通訳学校に出勤すると、教務のスタッフのみなさんがまるで腫れ物に触るかのように私に接してきます。あまりに畏まった対応をされるので、こっちも恐縮しちゃうくらい。そんなに恐い存在に感じられるのでしょうか。まあ確かに授業の設備に関していろいろと要請をして、スタッフの方々に余計な手間をおかけしているのは確かです。そういうのも相まって「やっかいな方」みたいなカテゴリーに入っちゃっているのかもしれません。

通訳学校だけでなく、そのほかの語学学校や専門学校でも、私は知らず知らずのうちに「恐い先生」のカテゴリーに入れられてしまうようです。授業が厳しすぎるということで生徒からクレームを受け、それが遠因で退職する羽目になったこともありました。自分ではちっとも厳しくしているつもりはないのですが、まわりからはとにかく「恐い、厳しい」と言われるのです。授業で「もっと優しく接してください」と言われたことも、生徒に泣かれてしまったこともあります。

人は見た目が9割」などという本がありましたが、本当にそうなのでしょうか。以前はそういうふうに恐がられることに対して理不尽だ、失礼じゃないかなどと思い、その一方で少々傷ついてもいました。でも最近になってようやく「いや、これはやっぱり見た目ではなく、私の本質が人をして恐がらせるのだ」と思うようになりました。

授業を厳しくするのは、私の理屈では、ある意味生徒に対する「愛」であり「誠意」の発露ということになるのですが、そうしたものの一方的な押しつけは往々にして独りよがりだったりします。子供を虐待する親が「しつけのつもりだった」と言い逃れるのとさほど変わらないのかもしれません。

今私が担当している留学生の通訳クラスでは、今月「同時通訳実習」が予定されています。同時通訳といってもほんの入門段階ですが、学校に同通ブース付きの立派な会議室があるので、それを使ってプロの世界を体験してもらおうという企画です。この実習のためにひと月ほど前からいろいろと訓練を重ねてきているのですが、生徒の一部には不安やプレッシャーのあまり泣きを入れる人、落ち込む人、逆にキレかかっている人など、様々な反応が見られます。

もうその気持ちは痛いほど分かります。私だって仕事の前は同じような精神状態に陥りますから。私はそうしたことも含めて、留学生のみなさんが社会に出る前に「仕事の厳しさと、それを乗り越えたときの充実感」を味わってもらいたいと思っているのですが、いかんせん、以前にも書いたように「教育とは歩留まりの悪いもの」。こちらが思った通りの教育効果を上げないことも多いですし、打てど響かぬ学生も、またこう言っては何ですが、クレーマーのような学生も存在しうるのです。

学校だって社会の縮図です。いろいろな方がいる。私自身は、大学時代から、職業訓練としての通訳学校に至るまで、厳しい先生方に巡り会えた僥倖を感謝していますが、それは私個人の価値観であって、じゃあ自分が教える立場になったからといって他人に押しつけてはいけないのです。そんな当たり前のようなことに、ようやく思い至りました。

以前、留学生が卒業時に「授業で生徒をいじめ抜く私」の絵を描いて贈ってくださったことがありました。絵の裏には感謝の言葉と共に「私は本当に通訳という仕事が好きなんだと分かりました」と中国語で書かれていて、教師冥利に尽きると思ったものです。でも、だからといって、その極めてまれなマッチングを「成功体験」として敷衍してはいけないのでしょう。

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以前は「人から恐がられること」に傷ついて笑顔の練習をしたこともありますが、顔面麻痺を患ってしまったおかげで自然な笑顔が作れなくなってしまいました。中国語の“可憐天下父母心(可哀想なのは世の親たちの心≒親の心子知らず)”をもじって“可憐天下教師心”などと嘆じていたこともありましたが、これもやめました。

「自他ともに厳しく」を掲げるのは勇ましくてカッコいいですけど、過ぎたハイスペックは自他ともに疲れるだけですよね。私は昔からよく「肩に力が入りすぎ」「アクセルべた踏み」と言われていました。もうそろそろそれらから卒業しなければなりませんね。じゃないといつか細君みたいに血管が切れちゃうかもしれません。