インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

湿った薪

  さとなお氏が中国人に講義した際の感想を語っている
  「少しでも分からないことがあると話の途中でも遠慮なく質問してくる」
  わはは、中国人ってそうだ。日本人でこういう人は少ない。講義や授業の途中で遠慮なく質問するのはそれこそ「KY」だとでも思っているのかもしれない。もちろん講演会などでは途中で質問などできないし、授業でも全く予習や調査をせずに来て「○○ってどういう意味ですか」などとたびたび質問されたら閉口してしまうだろうけれど。
  中国人学生に日本語を教えている先生方と接していて、いつも驚くのが「生徒が授業中に発言したがってしたがって(しかも大声の日本語で)、抑えるのに困るくらい」という話だ。
  日本人学生はというと本当におとなしくて、積極的に発言する人はおろか、質問を投げかけてもか細い声で返すのがやっとという人が少なくない。授業以外の雑談だと急に盛り上がったりはするのだが。
  もちろんこちらの授業の仕方が悪くて、生徒のノリが悪いということはあるだろう。まずはそれを反省するとして、だがしかし、日本人学生の不気味なまでの静けさと声の小ささはなんだろう*1
  人前で声高に主張することばかり推奨するわけではない。日本語を教えている先生方には「発言が多すぎて、少々無秩序に傾きかけている」と言う人もいる。でも日本人学生は、せめて語学の授業や通訳訓練で、もう少し意識的に自分のテンションを高めてほしいと思う。コミュニケーションの手段を学んでいるのだから。
  先日、某通訳スクールで通訳者を対象にした「日本語の話し方」講座に参加した。そこで講師を務めていた現役放送通訳者氏も、授業における生徒のノリの悪さ、テンションの低さをこう表現していた。
  「まるで『湿った薪』なんですよね。まずは乾かすところから始めなきゃならない。どんどん風を送って乾かして、それからようやく火がつくという感じです」
  う〜ん、よくわかるなあ、湿った薪のたとえ。
  上述のさとなお氏はこうも書かれている。

でも講師の立場からすると、話の途中での素直な質問って意外と話の推進力になる。ふと「あぁそこがわからないなら、これも話しておこう」なんて違う話もしたりして、結果的にとてもいい説明が出来たりする。

  これも、よくわかる。授業だってコミュニケーションの一種なのだから、相手の反応がないというのは一番やりづらい。

*1:社会人クラスはさすがに活発な発言が多いが、若い人に元気がない。