インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

『お言葉ですが……』異聞

  『お言葉ですが……』は週刊文春に連載のコラムで、たまに同誌を買って読むこともあったけれど、ほとんどは後から文庫本でまとめ読みしてきた。ところが週刊文春での連載は、昨年で打ちきりとなっていたことを初めて知った。ううむ、情報が遅いなあ。
  で、その後は草思社のウェブサイトで連載していたのだが、第十回で休載になっている。『座右の名文』が口述筆記だったこととは関係ないようだけれど(目が極端に悪くなったそう)、とにかく体調がよくないご様子。
  『お言葉ですが……』の単行本は第十一巻まであって、うち第七巻までが文春文庫から出ている。けれど『三月記(仮題)』さんのエントリによると、それ以降は文庫化される予定はないのだそうだ。しかも単行本は第十巻までが文藝春秋から出ているが、第十一巻は販売不振などを理由に単行本化されず、別の出版社から出されたという。何だか不可解な顛末だ。
  『三月記(仮題)』さんのエントリにはもうひとつ、興味深い内容が書かれていた。

さて、この高島氏の他社のも含む著作類の唯一とも言える欠点は、故・白川静さんに対する徹底的な敬遠作戦でしょう。他の著者にならば遠慮なしに批判を加えるのに、白川氏に対しては名も挙げずに、カリスマ学者とか仄めかした上で、「まるで話にもならないデタラメ説」という意味のことを、何の説明もなく書かれていたのを目にした覚えしかありません。この奥歯に物が山ほど挟まったような物言いは、およそ高島氏にはふさわしくないのですが、これはおそらく高島氏の師匠にあたる故・藤堂明保東大教授の影響でしょう。

  へえ、と驚いた。あの高島氏がそのような態度に出るとは、学者同士の確執というのはたいへんなものなのだなあ。
  『お言葉ですが……』の文庫最新刊を読んで知ったのだが、高島氏が中国語を学んだのは、私がいま勤めている学校の前身にあたる組織だったそうだ。藤堂氏は高島氏にとってもちろん東大での「師匠」だが、この組織が中国語学校になったのちの、第二代学院長でもあった。もちろん私にとっては単なる偶然で、そういう事実以上の意味は持たないけれども。
  実はいま、最近復刻された初代学院長の講義録を拾い読みしているのだが、ご本人を知る年配の同僚によれば、この方は斯界の権威で、学術上での敵味方にはかなり厳しかったよし。いったん彼ににらまれると関東一円、いや、東日本では学者生命を絶たれたも等しい扱いになったそうだ。いわゆる「回状がまわる」というやつですか。こわい世界ですね。