インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

横断幕の裏に見えるもの

今月八日、サッカーJリーグの浦和レッズサガン鳥栖の試合が行われた埼玉スタジアムで、“JAPANESE ONLY”と書かれた横断幕が掲げられ、Jリーグはこの横断幕を差別的だと判断、速やかに対応しなかったレッズ側にも責任があるとして、「無観客試合」などを含む厳しい処分を出しました。

私は時々テレビでサッカー観戦をする程度のごくごくミニマルなファンですが(しかもJリーグよりは欧州のリーグ……ごめんね)、当日のTwitterのタイムラインを皮切りに、ことの成り行きを注目していました。後味の悪い残念な顛末になってしまいましたが、昨日のJリーグが下した処分や、浦和レッズ側の発表については、まず妥当なところではないかという感想を持ちました。

被害感情や義憤

この件に関して、コラムニストの小田嶋隆氏がご自身のTwitterアカウントでこの横断幕について批判したところ、相当数の「罵倒ツイート」が届いたそうです。私もタイムラインを断続的に追っていましたが、意味不明なものも含め(これ、けっこう怖いです)、その愚かしいツイートに憤りを抑えきれませんでした。

そのうえで小田嶋氏は以下のように書かれています。

 それらのツイートを見ていてひとつ気づいたことがある。
 レイシズムの横断幕を擁護している人々は、必ずしも自分たちが、他者や他民族を「攻撃」をしているというふうには考えていないということだ。
(中略)
 差別を擁護する人たちのタイムラインを見に行ってみて目につくのは、嗜虐の喜びや、残酷さや、邪悪さよりも、むしろ、被害感情であり、義憤であり、正義の感情だったりする。
 つまり、自覚としては、彼らは、「いつもいつも敵に攻撃され続けていることに堪忍袋の緒が切れただけで、本当は自分だって、こんなことは言いたくないんだ」ぐらいに思っているということだ。
3月の横断幕の向こうに:日経ビジネスオンライン

これは鋭い指摘だと思います。ネット上にはJリーグの厳しい処分に対して「でも一般のサポーターに罪はないよな」「サガン鳥栖側の迷惑も考えろ」といったような意見も散見されますが、一見バランス感覚に富むようでありながらレイシズムに対してはいささか緊張感の欠けたこういう意見の延長線上に、横断幕を擁護する人たちや、横断幕を掲示したご本人たちの思考もつながっているような気がします。

厳しい言い方で申し訳ありません。でもこれは自分に向けたものであるのです。今回の問題を通して、それから小田嶋氏のコラムを読んで、自分の中にもそういう思考の根があることに改めて気づかされました。

大好きだけど大嫌い

私は仕事で中国語圏の人々と関わるようになってまだ15年ほどですが、その間に中国大陸や台湾に住んだり、日本で中国語圏関係の仕事をしたりする中で、しだいに形作られてきた態度というかスタンスというか、要するに「他者や他民族」に対する気持ちがあります。何度もあちこちで書いていますけど、「大好きだけど大嫌い」という感情です。

中国語を学び始めて、中国語圏の人々とつきあい始めた最初の頃は「大好き」のみだったんです。ミュージシャンのファンキー末吉氏がどこかで「中国ロックを愛するあまり、国籍を中国に変えようとまでして周囲に止められた」というようなお話を書かれていましたが、その感情の高ぶり、私にもよく分かります。それほど「ハマっちゃう」。

でも中国語圏、特に中国大陸での理不尽な思い、不合理なありかた、どうにもならない旧弊、荒廃した人心に触れるにつれ、その熱は冷めていきます。その一方で、表面的にしか知らなかった文化により深く触れ、漢字を共有している中国語と日本語の繋がりと奥深さを知り、実際に知り合った尊敬すべき人の数も増えていきます。こうしてだんだん「大好きだけど大嫌い」というアンビバレントな感情に引き裂かれてきたんですね。

かろうじて保たれているバランス

私のまわりにもそういう方はいます。ある友人は日中間の交易にかなり早い段階から関わってきた人物ですが、彼女が「私個人について言えば、日本の戦後補償は完全に終わったと思ってる」と言っていたのを思い出します。まあ半分諧謔なんですけど、要するにそれだけいろんな人に騙されて、様々なものをあちらに貢いできたと。もうこれでじゅうぶんでしょうと。

私自身も、まあ自分がバカでもあるんですけど、これまでに何度も何度も何度も何度も騙されたり欺かれたりしてきました。それでもレイシズムに走らないのは、個別具体的に素晴らしい人を何人も知っているからであり、個人のあり方と国や政治や歴史のあり方を粗雑に結びつけまいという気持ちからであり、国ごと引っ越して行けない以上「是々非々」でつきあっていくしかないでしょという諦念からでもあるわけです。

でもそれは、不断に意識をしていなければならない、もしかするとかろうじて保たれているバランス感覚なのかもしれません。小田嶋氏のコラムを読んで、自分はレイシズムと遠く離れたところにいるわけではなく、けっこう危うい稜線上にいるのかもしれないと思いました。

レイシズムの底にあるのは嗜虐の邪悪さよりむしろ被害感情や義憤」。自分にも多かれ少なかれそういう感情はあって、ただそれを漏らしていない、漏らすまいという矜恃をかろうじて保っているだけなのかもしれません。たぶんそれを理性と呼ぶのでしょう。となればこの理性は、お互いに声を掛け合って注意を促し続けなければすぐに失われてしまう類いのものです。その意味でも今回のJリーグの厳しい処分は妥当だったと思います。