インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

男の子はスポーツ好きが当然という同調圧力が苦手でした

周囲がこの話題で盛り上がってる脇でこんなこと書くのもアレですが、私、全然興味ないんですよね、オリンピック。だからここんとこ、新聞の紙面にもテレビのニュース(最近はあまり見ないけど)にもうんざり。特に子供たちを、五輪を頂点とする競争に駆り立てる空気が充満しているのが、どうにも馴染めません。

例えば、こちらはPanasonicの「ビューティフルジャパン」というプロジェクトなのですが、「この国をひとつにする」という、その何気ないフレーズにも私はそうした空気を読み取ってしまいます。

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それでもこの動画が「炎上」したという話も聞きませんし、むしろ多くの方にとっては「え? 何がよくないの?」でしょうね。夢と感動とレガシーに身も心も震えている方の前で「オリンピックに興味はありません」などと言おうものなら変人扱い、ないしは危険人物扱いされかねない勢いです。「この国」の人であれば、オリンピック好きで当然、とりもなおさず東京でのそれならなおさら……という同調圧力を感じるのです。

思えば子供の頃から「男の子はスポーツ好きが当然」という同調圧力が嫌で嫌で仕方がありませんでした。小学校では、ほぼ全員が(冷静に考えればそんなことはなかっただろうと思うのですが)草野球をやっていて、男の子はたいがい「ご贔屓」の野球チームの帽子をかぶっていました。大阪の小学校でしたから阪神タイガース近鉄バファローズが多かったかな。巨人や中日のファンもいたように思います。私はスポーツ嫌いだけど、あまのじゃくでもあったので、当時一番人気がなかった(失礼)大洋ホエールズの帽子をかぶっていました。

子供の草野球って、いや子供だからこそでしょうけど、その巧拙でヒエラルキーが明確になるものなんですよね。それはもう残酷なくらいに。野球がうまくないとあからさまにバカにされ、いじめの対象になる。本当に辛い世界でした。その後もサッカーやバスケットボールなど様々な流行がありましたけど、そのどれもがスポーツ嫌いには理不尽な圧力として迫ってきました。

それでも無理して野球やったり、サッカーの試合を見たり、友人につき合ってスケートしたりスキーに行ったりしていましたけど、そんなことしなくていいんだ、自分は自分だと自信を持って思えるようになったのはずいぶん時が流れてからでした。

水泳も嫌いでしたねえ。私が通った小学校は「ひと夏のうちに何が何でも25m泳げるようにさせる」との教育方針があって、夏休みにも動員をかけられ、強制的に泳がされるのです。後年、大学の体育科目で「泳ぎは何も競泳である必要はない」という考えの先生の元、海でのゆっくりとした楽しい泳ぎ方を教わり、今では何キロだって泳げる(ただし超スロースピードです)ようになりましたけど。

でもこの「今では何キロも泳げるようになった」という言い方自体が、いかに自分もスポーツ至上主義に冒されてるかという証左ですよね。聞くところによると、現在は小中学校でも過度な無理強いはしなくなってきているよし。同調圧力が完全になくなったわけではないでしょうし、いじめの問題はなおも深刻ですけれど、オタクも腐女子もゲーマーも草食系もいて、それぞれがそれぞれの居場所とステイタスを持っていて、昔よりはよほどいい時代になりつつあるんじゃないかと思います。

ただ、私はスポーツ好きじゃないけど、運動選手は尊敬しています。現在通っているジムにもプロや社会人や大学生(野球選手が多い)が大勢いて、そのひたむきな努力や繊細な神経(本当に細かな調整をしてる)には圧倒されることしきり。でも五輪はそんな選手をも不幸にすると思うんです。「過剰な勝利至上主義がスポーツの創造性やアート性を損なってしまっている」というこちらの主張、再掲しておきます。

qianchong.hatenablog.com

それにしても、毎朝新聞を開くと、スポーツ新聞でもないのに一面に巨大な大見出しで金だの銀だの、その数だのが報道されているのにたじろぎます。図書館で主要な全国紙を並べてみると、もっと気味が悪い。紙の新聞のありようは国によって異なるので単純に比較しても意味はないかもしれませんが、世界各国の主要紙の一面でこんなことはあり得るのでしょうか。

お隣の国の冬季五輪ですらこれなのですから、二年後はどうなっているのか……やはり私、2020年の夏は南の島に逃げることにします。

追記

この記事を書いてすぐ、パオロ・マッツァリーノ氏の「反社会学講座ブログ」にこんな記事を見つけました。

ハロウィン、恵方巻、オリンピック
http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-285.html

私はスポーツを否定してるのではなく、興味がないだけです。ただ、ひとつだけ文句をいうならば、興味がないひとにまで、参加や応援を強要するな、ってこと。みんながオリンピックに興味があるふりをしなきゃいけないような風潮がおかしい。スポーツに興味がない者にとっては、オリンピックはハロウィンや恵方巻と同じくらいどうでもいい行事のひとつにすぎないのですから。

わはは、ハロウィンや恵方巻をふくめ、諸手を挙げて賛成です。でも、こうした表明が周囲からの揶揄の対象になり(すでに私は職場で「どうせお嫌いでしょ」的にからかわれています)、うっかりすると批難や糾弾にまでエスカレートしちゃいそうなファナティックな気分が醸成されるかもしれない、というのがいちばん気になるところです。

しまじまの旅 たびたびの旅 9 ……「ひも式」降車ベル

この旅は主に台湾鉄道の各駅停車を使って、ゆっくりのんびり、なかば無計画に台湾を一周する心づもりでした。台湾は島全体がちょうど日本の九州ほどの大きさで、こういう旅行が比較的気軽にでき、旅行中にも「歩いて台湾一周チャレンジ中!」みたいなカードをバックパックにくくりつけた青年を見かけました。こうした台湾一周旅行は“環島(ホァンダオ)”と呼ばれます。

昨年は一青妙氏の、その名もズバリ『「環島」ぐるっと台湾一周の旅』という本も出版されていました。


「環島」 ぐるっと台湾一周の旅

こちらは自転車による「環島」ですね。ほかにも自動車やバスで旅行する方法も書かれていて、その中に旅行とは直接関係ないけれど、バスに関してこんな描写がありました。

誰にも譲りたくないぐらい好きだったのが停車のひもを引っ張ること。天井に張り巡らされたひもを引っ張ると、「ジリリリリリリン」と音が鳴り響き、「次で降ります」の合図になる。降車ボタンがまだなかった時代の懐かしい思い出だ。

おお、これ。私が台湾に住んでいたのは世紀も改まった比較的最近のことですから、バスはすべて降車ボタンだったはず。この「ひも式」の(拉繩式的下車鈴)は見たことがないはずなのですが、なぜか記憶に残っています。あれ、どうしてだろうと思ったら、テレビCMで見たのでした。五月天(メイデイ)のボーカル・阿信が、バンドのメンバー扮する女生徒に言い寄られて、思わず席を立ち降車しようとひもを引っ張る……といった設定で。

この映像、どこかにないかなと思ってYouTubeを検索してみました。検索ワードは「五月天 阿信 廣告 公交車」。果たして、そのCM映像が見つかりました。ネットってすごい。それがこちらです。

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この「ひも式」降車ベルは、台湾の留学生(おおむね二十歳代)にとっても、どこか心の琴線に触れるレトロスペクティブな光景のようで、とある授業で何気なく「昔こういうのがあったそうですね」と話したら、悶えんばかりの勢いで「そう、そう、そうだった!」と懐かしがっていました。

今も台湾のローカルなバス路線などで、この「ひも式」の降車ベルは残っているのかしら。残っているなら、ぜひ一度体験してみたいです。きっと現地の子供たちと「誰にも譲りたくない」と意地の張り合いになるでしょうけど。

前車覆而後車戒。

先日、とあるファッションビジネス系の大学院における「華人率」の高さについて書きました。

qianchong.hatenablog.com

それでいろいろと興味を持って、その大学図書館でこの本を借りて読んでみました。


誰がアパレルを殺すのか

さすがファッション系の学部がある大学の図書館、この本は5、6冊も蔵書があり、そのいずれもが貸し出し中でした。「業界」の方々の危機感が伝わってくるようです。

その「危機」をごくごくかいつまんで言うと、現在日本のアパレル業界が陥っている主な袋小路として、①消費者のニーズそっちのけで利益確保に動き、大量生産・大量出店を続けた末に大量在庫を抱えて赤字、②ICTを活用した異業種からの攻勢を手をこまねいて見ていた、というようなことが挙げられるようです。また特にデパートやショッピングセンターなどにおける「ブラック」な労働の実態にも驚きました。

アパレル系のお店って日本のどこに行っても同じようなラインナップですよね。例えば私の実家がある九州の駅ビルと東京の駅ビルの風景はほとんど同じです。これは以前から気になっていました。ほかにも、なぜ同じブランドが少しずつテイストを変えた兄弟ブランドみたいなお店を次々に展開するのかとか、値段の割に品質はさほどよくなく、しかもセール時期になると「あの価格はなんだったの」と思えるくらいの値引きがなされるとか、老舗デパートの店員さんからして時に驚くほど拙い接客(言葉遣いやホスピタリティ、商品知識など)をするのはなぜなのかとか、いろいろな疑問が一気に解けて、ある意味爽快ですらありました。

いや、なるほどこの業界は大変なことになっているのだな……と思ったところで、これはひとりファッション(アパレル)業界だけの問題じゃないとも感じました。私がいま関わっている「語学教育業界」も、似ているではありませんか。

少子高齢化はずいぶん前から分かっていたはずなのに、学校数を増やし続けて定員割れとか、だからといって生涯学習などに対応する施策はまだまだ手つかずとか、インターネットやICTがこれだけ生活を変えつつあるのに、教師の取り組みは遅れがち、あまつさえ拒否反応を示す人もいるとか。他業種の方には信じられない話かもしれないですけど、いまだにメールや携帯電話さえ使えない、使わないという方がいたりするんですよ。

もちろん、そんな状況に危機感を覚えて、なんとか次の時代の教育を模索しようと頑張っている方もいます。先日ご紹介した、日本語教育にICTを活用するためにどんな方法があるのかを検討するセミナーもその一例かと思います。

qianchong.hatenablog.com

世上よく「教師は世間知らず」などと、なかば言いがかりに近い言説が流れて、その都度憤慨する私ではありますが、確かにそういう一面があるのは否めないかもしれません。私はその原因のひとつが「先生」という呼称じゃないかと思っているのですが、この件についてはまた筆を、じゃない、エントリを改めるとして、とにかく成功体験に引きずられること、ないしはいわゆる「コンフォートゾーン(居心地のいい場所・環境)」から一歩も出ようとしないことだけは自らの戒めとしよう……そう思わせてくれた一冊でした。

しまじまの旅 たびたびの旅 8 ……豆皮と池上弁当

池上の水田の近くで静かな一夜を過ごした後、朝ご飯を食べに「大池豆皮店」に行きました。宿から歩いて数分。駅前でこの宿を管理しているカフェの若いスタッフが「も〜絶対におすすめ! ぜひぜひ!」と絶賛していたお店です。商店街からは遠く離れた、住宅街のはずれに忽然と現れます。

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お店、というより家内制手工業的な食品工場といった趣ですね。早朝一番に参上したので、客は誰もおらず、一瞬営業してないのかと思いましたが、中をのぞくとご家族総出で仕込み中でした。

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とりあえず「豆皮」と「豆漿(豆乳)」を注文しました。「豆皮」は湯葉を折りたたんでカリッと焼き上げたようなもの。香菜が乗っています。すると、これから配達に行くというお女将さんがヘルメットかぶりながら「豆花は注文しないの? うちの豆花はハッキリ言って世界一おいしいよ!」と豪語するので、じゃあそれも、ということになり、ご覧の通りの大豆づくしとなりました。「豆花」は台湾ではおなじみの、ごくごく柔らかいできたてのお豆腐です。甘い黒糖味のシロップがかかっています。

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豆乳も豆花もできたてで本当においしかったのですが、この「豆皮」が絶品。奥の工場では豆乳を温めて次々に湯葉を引き上げていましたが、それをどうやってこんな感じのクリスピーなパイ生地的仕上がりに持っていくのか。とにかく、本当に独特でおいしい朝ご飯でした。カフェのスタッフの言った通りです。

宿をチェックアウトして、歩いて池上駅に向かい、列車に乗り込む前に駅前で名物の「池上弁当」を買いました。これももともとは駅のホームで売られていたもののようです。レトロな包み紙がかわいいです。

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中身はこんな感じ。福隆駅の弁当に負けず劣らずおいしかったですが、写真をTwitterに上げたら、「野菜がミックスベジタブルなのはいただけない」というコメントをもらいました。まあ確かにここだけちょっと「手抜き感」が醸し出されちゃうかもしれないですね。

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列車に乗ってから食べようと思ってたんですけど、結局乗り込む前に完食してしまいました。

Et tu, JETRO?

以前、エージェント(通訳者の派遣業者)のウェブサイトにこんな記事を寄稿したことがあります。

haken.issjp.com

現在、多くのフリーランス通訳者を悩ませていると思われる「仮案件とリリース」についてはこの記事に当たっていただければ幸いですが、エージェントのブログに寄稿する以上、あまり踏み込んでかけなかった「本音」がありました。それは、こうした傾向が通訳者とエージェントの信頼関係を徐々に損ない、回り回って業界全体が地盤沈下を起こしていくのではないかという懸念です。

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現在、エージェントからメールで届く通訳案件のオファーは、そのほとんどがまずは「仮案件」です。最初から「確定案件」でお願いしますという案件はほとんどなくなりました。もちろん、これは私個人の状況ですから、業界全体がそうなのかどうかはわかりません。でも、Twitterで「仮案件とリリース」についてつぶやくと、多くの先輩方から同じような声が寄せられるのは確かです。

新手のエージェントが登場

実はそんな中、メールで届くオファーがすべて「確定案件」というエージェントが私の知る限り一社だけ存在します。仮に「X社」としておきましょう。この「X社」の特徴は、登録している通訳者に一斉メールでオファーを出すという点です。

通常、エージェントは、仮案件であってもその仕事の難度や通訳者の適性(あるいはランキング)などによって、まずは「この方に」という形でオファーを出してきます。その方がダブルブッキングなどでオファーが受けられない場合次の方へ、とオファーをかけていくのが普通のはずで、つまりここにはまだかろうじてエージェントと通訳者の間の信頼関係が残っています。

ところが「X社」は一斉メールでオファーを出します。つまり、この仕事の条件で応募できる方は応募してください、その中からこちらが選びますというスタンスなのです。

そして応募する際はそのつど、履歴書や直近の職務経歴書を提出する必要があります(通常は年に一回程度更新していく形が多い)。当該業務の経験の有無も書き添えるよう指示があります。自宅から現場までの交通費も書くように言われます。

こうして、「X社」は一斉メールに応募してきた通訳者の中から、その仕事に最適な通訳者を選び、仕事を発注するのです。ここでいう「最適」には、おそらく「コスト的に一番安くなる」というファクターも含まれていることでしょう。加えて、登録通訳者のスキルを把握するという管理コストも削減しているのでしょう。

一見クラウドソーシングにも似て、合理的な方法に思えます。でも「X社」が特異なのは、仕事を発注する人にしか返事をしないという点。つまり、仕事を発注されない人にとっては、応募しても「なしのつぶて」で一切の連絡がないのです。これはちょっとひどいと思いませんか。いくら最初から確定案件であっても、応募して「なしのつぶて」なら応募する側にとっては仮案件と同じです。いつまでたっても開けておいた日時の仕事が決まらない(実際には無視されている)のですから。

さらに「X社」は、他社に比べるとレートが低めです。だいたい通常のレートの5分の3程度といったところでしょうか。推測の域を出ませんが、これは最初からクライアント(通訳者の発注元)にかなり安いレートを提示し、「そのかわり他のエージェントと相見積もりにしないで、うちに直接仕事をください」という営業スタイルをとっているのではないかと思われます。これが「最初からすべて確定案件」の理由なのかもしれません。

「安かろう悪かろう」であっても、クライアントにとっては安く発注できるのでほくほくですよね。「X社」も確実に仕事を取れるのでほくほくです。でも数多の通訳者は応募しても「なしのつぶて」でスケジュール管理はめちゃくちゃに。そう、通訳者だけが不利な立場なのです。それが市場の論理だ、フリーランスなんだから立場が弱いのは当然だといってしまえばそれまでですが、商取引である以上、クライアント、エージェント、通訳者が対等な立場で交渉するべきではありませんか。

あのクライアントまでが

それでも、これまで「X社」からオファーがある仕事は、「安かろう悪かろう」に見合ったというか、「会議の日程が迫ってきたけど、そういえば通訳者はどうする?」的なクライアントの案件も多く、さもありなんという感じでした。ところが、先日またまた「X社」から届いた一斉メールには、少なからず衝撃を受けました。それは案件の発注元がジェトロJETRO日本貿易振興機構だったからです。

www.jetro.go.jp

ジェトロと言えば、経済産業省と深い繋がりを持ち、「外務省が管轄する在外公館に次いで幅広い海外ネットワークを持ち、在外企業の支援を行うとともに、海外経済に関する情報の収集を行っている(Wikipedia)」団体。私も以前、同時通訳の案件を受注したことがあります。その時はさすがに多くの通訳者を使いこなしてきた団体だけあって、通訳者に対する理解も行き届いていると思いました。

そのジェトロが、ついにくだんの「X社」に発注したのです。経費削減の折からやむを得ずだったのか、それともたまたまなのかもしれませんが、ああ、あのジェトロまでがついに、と思いました。

国益などという言葉を振りかざしたくはないけれど、ジェトロのような海外ビジネスを支援する半公的機関までが「安かろう悪かろう」に頼らざるを得ないという状況に、この国の対外政策、外語や異文化・異言語に対する脇の甘さが透けて見えると思いました。こんなことを書き散らしていたらますます仕事は来なくなるかもしれませんが、少なからず衝撃を受けたのでここに書き記しておく次第です。

追記

この記事を書いたのは昨日ですが、今朝の東京新聞にこんな記事が載っていました。

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公取委報告書のポイントに「ほかの発注者と取引できないようにしたりすることも問題視」とあります。くだんの「X社」が一斉メールでオファーを出し、応募してその日時をあけて待っていても「なしのつぶて」で当日まで連絡をもらえない……というのは、これに当たらないのでしょうか。

しまじまの旅 たびたびの旅 7 ……そして誰もいなくなった

花蓮からまた各駅停車の電車に乗って、今夜はどこに泊まろうかしらと思っていたら、車内の乗客がどんどん減っていき、「玉里」という駅のあたりでついに私一人になってしまいました。

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窓の外には水田が広がっています。そうそう、この先にお米の産地として有名な「池上」があるのでした。台東で一泊してもよかったのですが、せっかくならよりローカルな場所へということで、Airbnbで池上の宿を探したところ、若い人たちが駅前で経営しているというカフェを見つけました。そこで水田のそばにある宿を紹介してくれるとのこと。

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メールで連絡を取りつつ、そのカフェに行くと、すぐに宿まで車で送ってくれました。この日もどんより曇っていたのですが、自転車に乗るなら貸しますよとのことで、おすすめに従い、池上米の産地である水田をサイクリングしました。私はあまり知らなかったのですが、ここ池上は夏のシーズンなどは観光客も比較的多いようで、サイクリングロードもきちんと整備されていました。

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この魅力的な一本道を、ゆるゆるとペダルをこぎながら進んでいると……

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とつぜん、観光客が大勢集まっている場所に出くわしました。

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特に何があるというわけでもなく、一本の樹が立っているだけなのですが、この樹は「金城武樹」という名前で、なんでも金城武(かねしろたけし)氏が出演したエバー航空のCM撮影で有名になった樹なんだそうです。

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金城武樹 - 维基百科,自由的百科全书

ふうん……(ごめんなさい、そこまではあんまり興味なくて)。で、今日の宿はこういう外観の、台湾の田舎によくあるスタイルの民家でした。いいですね。

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外の下駄箱に靴を入れて、スリッパに履き替えて、こちらが部屋の共用リビング。季節外れだからか、宿泊客は私一人でこの広いスペースを贅沢に使いました。Airbnbのお宿は当たり外れもあるけど、こういう友人の家に泊まったような感覚になれるところがいいですね。

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若い頃のようにドミトリーでバストイレ共用というのはさすがにしんどいので、Airbnbでそれなりの部屋を探すと、一般的な台湾のホテル事情からしても決して安いというわけではなくなっちゃうんですが、ここは本当に落ち着いて過ごすことができました。

日本語教師が外語を学ぶ必要について

人工知能(AI)や情報通信技術(ICT)は日本語教師の仕事をうばうのか。

そんな問いをテーマの一つに掲げた日本語教育関係のセミナーに出席してきました。もとより日本語教師ではない私は少々場違いではあったのですが「日本語教育とAI、ICT」というテーマが面白そうだったので申し込んだら参加させて下さったのです。AIが登場しICTが飛躍的進化を遂げつつある現在における日本語教育の意義についてのお話はとても興味深いものでした。
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http://www.irasutoya.com/

AIがある種の仕事を人間からうばうかも知れない、というのはずいぶん「ナマ」なテーマではありますが、講演者のお一人はこんな提起をされていました。AIは今後も進化を続けるだろうけれど、①データ化できる、②明確に操作手順(アルゴリズム)を設定できる、③高速に処理できる……の三つを満たしにくい仕事はAIが手を出しにくい領域であり、そこで今後も日本語教師が果たせるがあるのではないか、と。

この件については、私も自分の仕事に関連して想像を巡らせてみたことがあります。例えば、AIによる機械音声翻訳(通訳)が今とは比較にならないほど正確・精確になったら、通訳者や翻訳者の仕事はうばわれてしまうのでしょうか。日本語のみならず外語を学ぶことそのものも陳腐化するのでしょうか。仮にそうなって日本語学習人口が激減したら、日本語教師の仕事はなくなるのでしょうか。

qianchong.hatenablog.com

私自身は、外語を学ぶ意義のひとつは「母語との往還を通して、母語では描ききれない(切り取れない、分節化できない)世界を自覚し、自分の思考に質的な変化を起こすこと」だと考えます。ですから、完璧な機械音声翻訳が完成して、人類が外語を学ぶ意義を失ったら、人類の知はそれ以上深まらなくなるのではないかと想像しています。

だって、そうなった世界では、人々は異文化や異言語を少しも意識することなく、ただ自らが操ることのできる範囲の母語を話せばいいのですから。そのようにして、異言語や異文化に対する興味も警戒も共感も反感も怖れも憧れも、単に母語の内輪での振幅に押し込められてしまった世界で、知は深められていくのでしょうか。

人類は絶えず異言語や異文化に目を向け、興味を持ち、それを知りたいと思う欲求こそが学びを起動させ、そこから得られた洞察が人類の「知的コンテンツ」となって蓄積されてきました。異なる者との接触の中で、多様性の中で思考も鍛えられてきたのではないでしょうか。この点で「神がバベルの塔を破壊し、人々の言語をバラバラにした」という神話の意味は本当に深いと思います。私は、バラバラになった差異の中にこそ、知を起動させる何かが宿っているような気がするのです。

外語を学ぶ際に、母語でも表現できないような高度で複雑なことは外語ではもっと表現できない、というようなことが言われます。これは逆に言えば、母語の豊かさが外語の伸びしろを担保しているとも言えるでしょう。だとしたら、日本語を学ぶ留学生が最終的に受け取る利益は、実は日本語能力だけではなく、それ以上に母語能力の更なる涵養となって現れると考えることもできます。

母語と日本語との往還を通じて、母語の質的な変化を起こし、知を深める。日本語学習をそのようなものだと捉え直すならば、非日本語母語話者が日本語を学ぶという意義は失われないわけで、その意味ではどれほど機械音声翻訳が進化しても日本語教師の仕事はなくならないと言えるのではないか(絶対数は減るかもしれないけれど)。セミナーの発表を聞きながら、そんなことを夢想していました。

そして、これからの日本語教師は、たとえ直接法(日本語で日本語を教える)の教師であっても、最低ひとつの外語を学ぶべきだとも思いました。外語を学ぶことで、自らが教える日本語もより客観的に捉えることができる。AIがその内側に膨大なビックデータをブラックボックスとして抱え、人々のコミュニケーションが母語の内側に収斂していくような時代がくるのだとしたら、なおさらだと思います。

しまじまの旅 たびたびの旅 6 ……肉圓と鵝肉と麻糬

各駅停車で花蓮までやってきて、次の南下する各駅停車の発車までちょっと時間があったので、雨の中、花蓮の街をぶらぶらしました。とはいえ市の中心部まで行くほどの時間はなく、駅近くの住宅街を歩き、人の家の裏庭のようなところを通り抜け、線路のガードをくぐった先にあったのが「肉圓(肉丸)」のこのお店。かなり入りにくそうな外観ですが、お店のおじさんはとても親切でした。

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肉圓は台湾でポピュラーな軽食で、豚肉や筍、椎茸なんかの入った具がゼラチン状というか餅状というか、とにかくもちもちした生地に包まれており、それを油で揚げて碗に取り、ハサミで十字に切って甘辛いソースがかかっている……という、なんとも説明に窮する、でもおいしいたべものです。

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雨の日の昼下がりで、私の他に客は誰もいませんでしたが、時折ガードの上を駆け抜ける列車の音が聞こえてきてしみじみ「フツーの暮らし」的な風情のあるお店でした。

そこからまたあてどもなく歩いていると、「鵝肉先生」というお店が。ここは旅行前にネットで見たことがあったので、入ってみました。

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一人旅なので食べきれるかなと思ったのですが、逆に「一人なんですけど、どうやって注文すればいいですか?」と聞いたら、じゃあ半羽を切ってあげるから、あと何か主食でも頼めば? とのことでそのおすすめに従いました。

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「鵝肉」はガチョウの肉ですね。イメージしていたほど「ジビエ」っぽい感じはなくて、食べやすい味でした。こちらは人気店なのか、店内ほぼ満員の盛況でした。

食べ歩きしていたら各駅停車の発車時間が迫っていたので、帰りは駅までタクシーで。花蓮駅前で名物の「麻糬」(日本の大福によく似ています)を買い込み、さらに南下する電車に乗りました。

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先日花蓮近郊を中心とする大きな地震がありましたが、お店の皆さんは大丈夫だったかしら。奉職している学校に花蓮出身の学生がいるので実家の様子など聞いてみましたが、ケガなどはなかったけれど家の中の家具などが激しく倒れたとのことでした。無事を祈ります。

「頭でっかち」は先鋭化する

またまた「SUSONO(すその)」のトークイベントに参加してきました。今回のテーマは「食べる」。作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏と、オイシックスドット大地代表取締役会長の藤田和芳氏の対談がメインのイベントです。

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susono.life

有機野菜やオーガニック食品の宅配や産直の草分けとして有名な「大地を守る会」。このある意味「伝統的」な市民運動発祥の会社が、ネット+オーガニックという「現代的」なイメージのOisix経営統合したのが昨年秋でした。かなり意外な印象でしたが、藤田氏のお話を聞くと、そこには必然ともいうべき情勢の変化があったのでした。

まずは40年という長きにわたって、生産者と消費者を結びつけてきたネットワークと経験を有する大地を守る会。食のあり方が大家族での家庭料理から少人数あるいは個食へと変化してきた現代に登場したネット通販に強みを持つOisix。両者が手を携えた背景には、日本における有機野菜やオーガニック食品の業界がまだまだ発展途上だという現状があったようです。

発展途上ということは、大きな伸びしろがあるということで、実は人口比で見ても欧米に比べてまだ「有機・オーガニック」への関心や需要が薄い日本を狙って、海外からの参入が始まりつつあるとのこと。例えば昨年オーガニックスーパーのWhole Foods Marketを買収したAmazonや、すでに麻布十番に一号店を出店したbio c' bonなどです。

blogos.com
www.bio-c-bon.jp

上の記事にあるように、AmazonはWhole Foodsの食品をPrime Nowで宅配することも始めたそう。これが日本の都市でも始まったら大きなインパクトがありそうです。すでに海外勢による日本の生産者へのアプローチも始まっているとのことで、藤田氏は日本に有機農業やオーガニック食品がもっと広まって欲しいという願いとともに、日本の農業をもっと守ってあげたいという思いから「オールジャパン」で立ち向かおうと、経営統合へ舵を切ったようです。なるほど、そういう背景があったのですね。

これだけでもとても興味深くて面白い対談でしたが、個人的には「市民運動原理主義化」についてのお話にうなずくことしきりでした。

「頭でっかち」は先鋭化する

私事ですが、私は大学在学中に有機農業に興味を持って、産直や共同購入で手に入れた食品で自炊したり、自然食品店でアルバイトをしたりしていました。当時は友人から「そんなに長生きしたいの?」などと揶揄されるくらい認知度の低かった「有機・オーガニック」でしたが、この辺りの状況を藤田氏は「大地発足当時、自然食品店というと漢方薬店的『抹香臭さ』があった。それが80年代後半からおしゃれな自然食品店が登場し始めたナチュラルハウスなど)」と振り返っていました。そうそう、私もどちらかといえばそういう「おしゃれ」な部分に惹かれていたと思います。

佐々木氏も「当時の自然食品店の店主は、自然ないい物を食べているはずなのにどこか不機嫌で不健康そうに見えた」と諧謔で応じていましたが、そうではない形のお店が増えつつある時代だったんですね。1986年のチェルノブイリ原発事故後の反原発運動の盛り上がりとも軌を一にしていました。私がアルバイトしていたのは「ポランの広場」系列のお店でしたが、店主は「不機嫌・不健康」とは無縁の、とても朗らかで開明的な脱サラ組のご夫婦でした。

それから、「市民運動は頭だけで考えるとラジカルになる」という藤田さんの言葉も「刺さり」ました。運動の針が純粋に振れすぎると、周囲の小さな差異が許せなくなり、先鋭化し、多様性が認められなくなると。確かにそうだなあ。伊丹十三氏の映画『タンポポ』に、そんな親御さんの存在を匂わせる男の子が出ていましたね。首からにんじんぶら下げて、この子に出来合いのおやつを与えないで下さいっていうの。

私は大学卒業後に帰農を目指して田舎に移住し、農業のまねごとや産直の運営などに挑戦するも、最終的にその夢破れて東京に戻ってきた人間ですが、その前後に関わったいくつかの市民運動や労働運動にもそういう「匂い」がありました。リベラルなはずなのにとても非寛容という方もいて、私はだんだん距離を置くようになってしまいました。

例えば、これは運動の本流から見れば些細な問題かもしれませんが、当時は受動喫煙を何とかして欲しいと訴えるだけで、ものすごい批難と批判を受けたものです。その批難と批判をされる方々は一方で反公害運動や公害病患者支援運動を支えている人たちだったりして、若かった私は本当に理解に苦しみました。いまでも理解に苦しみますけど。

qianchong.hatenablog.com

とまれ、大地を守る会は「原理主義者にならないように、地に足の着いた自然食・有機農産物販売をやろう」と、最初から市民運動団体ではなく株式会社化して発足させたのだそうです。この先見の明はちょっとすごいと思います。最近は近所のスーパーでも有機野菜やオーガニック食品が買えるようになっていますが、久しく遠ざかっていた産直をまた利用してみようと思いました。というわけで、さっそく「おためしセット」を申し込んでみました。

www.oisix.com

今回の対談は主に流通の視点がメインの「食べる」でしたが、今後は生産場所の話、最終的な消費場所である家庭での料理についての話についても聞けたらいいなと思いました。

テレビを見続けると××になる?

居間、台所、寝室。小さな家の中に、テレビが三台も。晩年のお義父さんは、日がな一日テレビを見ていました。

テレビって、BGMがわりにつけているとついダラダラと見続けてしまいがちです。それでお義父さんは、みるみる認知症が進んでいったような印象がありました。そこで最近うちでは、テレビは見たい番組だけ見てすぐに消し、つけっぱなしをしないようにしています。

……と、教材作成中に偶然見つけたこちらの古いNHKクローズアップ現代』に、テレビを見続けることと認知症の関係を裏づけるような話が紹介されていました。


クローズアップ現代:2人に1人が“読書ゼロ” 日本人に何が? 2014 12 10 19 30

テレビを見ている時の脳は、テレビの映像と音声をそれぞれ視覚と言語を司る部分で捉え、場面の意味を理解します。ところが次々と場面が変わっていくため、入ってくる情報の意味を理解することに追われてしまい、深く考えることをしにくくなるとのこと。

一方、これが読書では、例えば「トンネルを抜けると雪国であった」という一節を読む際、まず言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとします。この時に脳は「どんな景色?」「主人公はどんな人?」などとイメージを補うために再び視覚を司る部分が動き出し、思考の循環が生まれるというのです。

ここで脳は、過去に見た風景などの記憶を元に想像を膨らませ、場面のイメージを作り上げていきます。番組では、読書にはこうしたサイクルを促す作用があり、想像力・創造力の涵養につながる、というような解説でした。

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なるほど、テレビを見続けると刹那的な受身の理解で手一杯になり、能動的で継続的な思考が起動しにくいんですね。それでなくてもテレビは映像があり、音声があり、さらに昨今はその音声のテロップが過剰なまでに文字で提供されます。これでは思考する必要がほどんどありません。認知症が昂進するのも宜なるかな、と思います。

番組では、読書をする習慣のある大学生と習慣のない大学生では、自らの見解の構築方法に大きな差があることも紹介されていました。サンプル数が少ないので確定的なことは言えませんが、読書の習慣がない大学生のレポートは、他人の見解の引用と自らの見解との差が曖昧で、思考が深まっていかないことが如実に示されていました。

GoogleのAIが、猫とは何かを教えられることなくひたすら猫の情報を集め続けてついには自力で猫を認識したというニュースがありましたが、自分の中に、自分なりの思考を宿すためには、自ら情報を集め、取捨選択し、自分なりの見解を「創造」していくことが不可欠なのかもしれません。

googleblog.blogspot.jp

猫を認識したGoogleのAIはゼロから世界を分節化するという「迂遠」な方法を採りましたが、私たちにはもう少し「効率的」な読書という手段があります。

すでにできあがっている情報を受身的・刹那的に消費するだけのテレビ視聴は、楽だけれども麻薬的な危なさがあるのだと改めて理解しました。うちではいま「テレビを見るとバカになるよ!」が家族の合い言葉のようになっています。

しまじまの旅 たびたびの旅 5 ……羅東の肉羹

台湾の東海岸を南下して、宜蘭の街をぶらぶらしたあと、三つ先の「羅東」駅で降りました。Airbnbで見つけた宿がこの駅の近くだったからです。特に観光地というわけでもなく、駅前もいたって普通のたたずまい。

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着いてから知ったんですけど、この羅東は大きな夜市が立つことで有名らしいです。夜になってから出かけてきましたが、市中の公園を中心に四方の通りが全部夜市になっていました。たしかにこれはにぎやかです。夜市ではネットの口コミで評判の高かった「羊肉當歸湯」や「臭豆腐」などを食べ歩きしました。

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しかし何と言っても羅東でおいしかったのは、これ。「肉羹」です。

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これまた「なんだこれ?」的外見ですよね。ひとことで説明しにくい料理ですが、こちらにとても興味深い記事がありました。「羊羹」との関連も面白いですね。

tw-cai.blogspot.jp

とても軟らかい肉にとろみのあるスープが絡んで絶妙の食べ応え。「肉肉しい」料理なのに、ものすごくあっさりとしています。このお店もネットの口コミで見つけたんですが、着いたのが閉店間際の時間で、お店のおかみさんから「早く注文しないとお店が閉まっちゃうよ〜!」と言われました。無事にありつけてよかったです。

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台湾は島の各地でこうした「羹」を見かけます。肉あり、魚あり、エビあり、イカあり……正直に申し上げて、お店によっては今ひとつのお味もあるのですが、この「林場肉羹」は素晴らしかったです。台湾の“網民(ネチズン)”に感謝です。

続ける習慣について

三日坊主」のことを中国語で“三天打魚兩天曬網(三日漁をしたら二日網を干す)”といいます。三日働いて二日休むなんて、現代ではむしろ理想的な仕事の仕方じゃないかと思いますけど、まあそれは脇に置いて……。

留学生の通訳クラスで英語から日本語へのサマライズを行うための教材を探していたら、「新しいことをとにかく30日間続けて習慣化しよう」と勧める、短いTEDトークを見つけました。新しいことを、ほんの少しずつ、まずは30日間続けてみると、習慣化されて自分の世界が変わるよ、というメッセージです。

www.ted.com

私はかなり飽きっぽくて「三日坊主」が多い性格なのですが、この「続けて、習慣化する」というの、さらには「続ける習慣から外れると気持ち悪いと思えるようになるまで続ける(だからさらに続く)」というのは本当に楽しいし、楽しいと思える以上に実利もじゅうぶんにあるということに、この歳になってようやく実感が持てるようになりました。

ここで言う「続ける」は、どちらかというと自分にとって苦手なこと、不得手なこと、すぐに「三日坊主」になりやすいことをターゲットとしています。自分が得意なことや大好きなことは、ほうっておいてもどんどん続けられますから。そういう意味では何か悪い習慣をやめる(やめ続ける)のにも有効だと思います。

上掲のTEDトークMatt Cutts氏は「やってみてわかるのは、30日というのが新しい習慣を身につけたり、何かの習慣を絶つのにちょうどよい長さだということです」と言っています。そして「並外れた大きなチャレンジは身につきにくいけど、小さな持続可能な変化であれば続けられる」とも。本当に、その通りだと思います。

私は「天命を知る」歳を超えて心と身体の衰えをとみに感じるようになったので、ふたつの「新しい習慣」とひとつの「絶つ習慣」を継続してみました。新しい習慣は「英語学習」と「トレーニング」、絶つ習慣は「飲酒」です。

英語学習は、Duolingoを一年半ほど毎日継続しています。このサイトはとてもシンプルな作りで、パソコンでもスマホでも使え、一日も欠かさず継続できるよう色々な仕掛けが施されています。とはいってもまさに小さな、小さすぎるくらいの持続ぶりではありますが、一年半もやっていると、ずいぶん英語の感覚(特に語順、一般動詞とbe動詞、単数・複数、可算・不可算など)が染み込んできたような気がします。次に英語圏を旅するときが楽しみです。

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https://www.duolingo.com/

トレーニングは、肩こり腰痛予防と健康増進という「どまんなか」の目的で体幹パーソナルトレーニングを。最近は巧みにハードルを上げてくるトレーナーさんの術にはまって、筋トレに移行しつつあります。ジムを三日もあけると、肩や腰のあたりがとても気持ち悪くなってくるので(何となく本末転倒な気もしますが)通い続けています。

飲酒は、ここ数年血圧がとんでもないことになりつつあるので、色々と試してみた結果「断酒」した時がもっとも血圧計の数字が下がることが分かりました。でも完全な断酒は人生がつまらなくなるので、「節酒」。月曜日から金曜日までの平日は飲まず、週末に少しだけよいお酒をゆっくり飲むというスタイルにして、これも珍しく続いています。

いずれの「継続」も、スタートしてから数日、数週間、数ヶ月のサイクルで「こんなこと続けても意味ないんじゃないか的悪魔の囁き」が聞こえてくる(きた)のが共通しています。そこをぐっとこらえて、あるいは他に気をそらせるような手を打って乗り越えるのがコツ……と感じていたら、先日Amazonマーケットプレイスで買ったこの二冊の本にも同じようなことが書いてありました。

「続ける」習慣
「やめる」習慣

そういえばこのブログも、新しい年が明けてから毎日エントリーさせることを続けています。これは、Twitterでいつも拝見している、かさこさん(@kasakoworld)のこのページに刺激されて。

kasakoblog.exblog.jp

いやほんと、その通りだと思います。

しまじまの旅 たびたびの旅 4 ……福隆弁当

各駅停車で宜蘭へ向かう途中、弁当で有名な福隆で下車してみました。

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もともとは駅のホームで売っていた駅弁らしいですけど、今は駅前に何軒もお弁当屋さんが並んでいて、それぞれの味を競っているらしいです。一番手前にあるお店で買い求めました。

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観光シーズンでもない時期の、昼下がりの店内は、すこぶるけだるい雰囲気でした。こちらがお弁当の外箱。お店の中で食べるときは玉子スープ(すごく薄味!)が無料でついてきます。

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中身はこんな感じ。ご飯の上に炒めたキャベツ、その上に色々な具が載っています。豚肉、腸詰め、押し豆腐、煮卵、さつま揚げ(のようなもの)、高菜などなど。見た目は地味ですけど、しみじみおいしいお弁当でした。

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こういうお弁当、台湾のプラントで働いていたときは毎日のように食べていましたが、日本から出張してきた社員さん、それも特に若い方の中には「独特の香りが気になって食べられない」という方が時々いました。えええ、そうですか。私は大好きなんですけど「八角スターアニス)」の香りが苦手、という方は意外に多いみたいですね。

NHK受信料は支払います

昨年の暮れに、東京新聞山田健太氏の寄稿を読みました。

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巷間かまびすしいNHK受信料の支払いの是非に関して、「極論すればNHKを見ても見なくても(中略)社会の公共財として、みんなで少しずつ負担して公共的なメディアを支えることで、民主主義の発展に寄与することをめざしている」と、山田氏はおっしゃいます。なるほどこういう視点があったのか、と目の前の視界が開けるような感覚を味わいました。もちろん、NHKがそういう付託に応えているかどうかは問われるわけですけど。

NHKの最近の報道には首を傾げる事が多い私ですが、それでも衛星契約の受信料を振り込んできました。正直に言って、「受信設備を設置しただけで契約をしなければならない」という放送法の主旨に疑問を感じないわけではありません。それでも「とはいえ見応えのある番組や好きな番組もあるし」「NHKにも心ある職員はいるはず。その人たちを応援しよう」などと自分を説得していたのです。でも、この山田氏の見解を読んでなるほどなと思った次第です。

最近のNHKはけしからん、だから抗議の意志も込めて受信料は払わん、というのはやや短絡的に過ぎると思うんです。全ての報道がひどいわけではないし、優れた番組もある。SNSでは現在の報道を「大本営発表」と揶揄したり、「NHK解体」などという勇ましい言葉も散見されます。でも2018年の現在の状況を「大東亜戦争」当時と全く同じと断じるのは粗雑に過ぎますし、NHKを解体して、じゃあどうするのか。単に罵詈雑言をぶつけて自らの溜飲を下げるだけで、少しも建設的ではありません。

この国には公共放送が存在し、曲がりなりにも(かなり曲がってはいても)いくばくかの事実を私たちに伝える役割を果たし、権力に対する批判も皆無なわけではありません。「大本営発表」になぞらえたりするのは「オレは奴らに痛快な一撃を加えてやったぜ」的清涼感はあるのかもしれませんが、現状を少しでもよい方向に持っていこうと願う理性的な態度からはほど遠いのではないでしょうか。

私たちにできることは、山田氏がおっしゃるように、公共的なメディアを支えつつ、おかしいことはおかしいと一人一人が声をあげ、伝えていくことでしょう。白か黒か、all or nothingで一刀両断にするのはあぶないと思います。……とはいえ、NHKのオフィシャルサイトから投書しても、いつも「なしのつぶて」なんですけどね。

城南エリアの淡麗系ラーメン三選

例によってほうぼう食べ歩きを極めた末の厳選、というわけではまったくなく、単に私が好きで、なおかつ自宅からも比較的近いので何度も行っているお店です。

麺や維新

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「特醤油らぁ麺」は味玉、豚チャーシュー、鷄チャーシュー、ワンタンが載っている豪華版。いずれの具も丁寧かつ細やかな調理をされているのが分かります。中華麺というより稲庭うどんみたいな食感の麺もはぎれよくて秀逸です。喜多能楽堂に行った際には必ず寄りたくなるお店。東京都庭園美術館の帰りにもおすすめです。


八雲

「特製ワンタン麺」は豚ワンタンとえびワンタンが三つずつ入った心躍る一杯(二つずつのハーフもあります)。スープには黒醤油と白醤油があり、注文時にハーフ&ハーフで頼むこともできます。「ミシュランガイド」に載ったせいか、最近はいつも長蛇の行列で、店頭に庇がないので真冬や真夏は並ぶのがちょっと辛いです。

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松波ラーメン店

世田谷線のトラムが行き交う線路沿いにある、雰囲気のあるお店。得心麺にはワンタンが入り、さらにチャーシューがこれでもかと載っています。正直、ちょっと食べ応えがありすぎなほど。担々麺もあって、こちらは“孜然粉(クミンパウダー)”をベースにしたスパイスが添えられ「お好きなだけどうぞ」というサービスつきです。

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いま気づきましたが、三つともボリュームたっぷりのワンタンメンですね。でもいずれも若い人向けの「こってり・ぎとぎと」とは無縁で、血圧も気になるお年頃にぴったりの「淡麗系醤油味」です。ただ、それでも関西で育った私にとっては、いずれのお店もやや塩気が強いと感じます。あとお玉一杯分くらい薄めてもらえると抜群に美味しいと思うんですけど、仕方がないですね。ここは東京ですから。